謎の本
「ひとつ聞きたいんだけど。君たちはなぜここに竜が眠っていることを知ったの? 偶然神殿を見つけたとしても、竜本体が眠っているかどうかなんて普通は、わからないよね? 誰かまだここに信者でもいたのかい?」
岩牢への長い階段を黙々と下りて牢へたどり着いたとき、それまで考え込んでいたマリオンがやっと口を開いた。
「それはね」
ラヴィーニアが答えようとしたが、それをニコーレがさえぎった。
「話を持ち込んだのは、あの魔術師だ。一年前、ダゴスの町にふらりと現れて、派手に魔法使ってグロリアに自分を売り込んだのさ。いいかげん信用されてから、持ち出した話がこれだ。」
ニコーレは母親に「様」は当然使わない。しかし、母とも呼ばない。それにマリオンは気づいたが、口には出さなかった。代わりに口にしたのは、グロリアが夢だといった言葉だった。
「不老不死? 四つの大陸制覇?」
ニコーレが顔に嫌悪の表情を浮かべた。
「最初からどっか変だとは思ったさ、あんなやつ。とんだ与太話だと思ってた。でも、グロリアは信じた。確かにすごい魔法がいろいろ使えるやつだったけどな。昨日、お前があの場所へ来ることも早々と予見してた」
ニコーレがいったん言葉を切り、息を吸い込む。
「でも君は信じてなかった」
マリオンが彼の言葉を引き取った。じろっとニコーレの暗い色の瞳が、マリオンを睨んだ。
「ああ、信じてなかった、あんな胡散臭いやつ。誰が信じるもんか。虫唾が走るやつ、という点ではお前といい勝負だぜ」
「そりゃ、気の毒に」
マリオンが苦笑を浮かべ、頭を軽く左右に振った。
「よっぽど、やーなやつだってことだね。一難去ってまた一難ってとこか」
マリオンの軽口にニコーレは、無言のまま鋭い視線を投げた。やがて、牢の前でのおしゃべりに痺れを切らしたケイモスが、入り口の重い鉄格子を引きあけ、マリオンに中へ入るよう促した。
「もうひとつ、訊いていいかい?」
素直に牢の入り口をくぐりながらマリオンが、ニコーレのほうを振り向くと、彼は無言のまま一瞬のためらいもなくうなずいた。それは質問に答えてやれと母親のグロリアが言ったから、と言う理由なのだろうか、という考えがちらりとマリオンの頭に浮かんだ。
「僕に『どうしても、竜を目覚めさせて魔力を制御したいと思わせる』と、言い切ったグロリアが持ってる切り札ってなんだい?」
マリオンの直截的な物言いに、ニコーレが目をみはった。
「ずいぶん露骨な問いだな。頭を使うことを忘れたのか?」
マリオンは口を軽くへの字に曲げ、おどけたように目をぐるっと回して見せた。
「今更もう、めんどくさい」
あまりにも簡単な答えに、ラヴィーニアがくすくす笑い、さすがのニコーレも苦笑を浮かべた。
「ならこっちも今更面倒だ、はっきり言うぜ。そんな話、俺は知らない。グロリアとセルブラントだけが知っている話だ、と思う。ラヴィは聞いてるか?」
ラヴィーニアは首を左右に振った。
「あたしも、具体的な話は知らないわ。ちょっとだけ聞いたのは、昔このあたりを仕切っていた人の話に関係してるってだけ」
「仕切ってた人?」
マリオンとニコーレが気のあったところをみせて声を合わせて復唱し、お互いにしかめ面を見合わせた。
「・・・・・・相変わらずね、あなたたち。そうね、それがよくわからないの。神殿の神官だったかもしれないわ。それとも巫女かしら? 二人にお酒を持っていったときにちらっとだけ聞こえた話だもの」
「そっか、じゃあしょうがないね。セルブラントが何を考えていたにしても、切り札は最後まで取っておくのが普通だからね」
あきらめたマリオンは床の上からクッションを拾いあげ抱きしめると、マットの上にあぐらをかいて座った。
「セルブラントってどんなやつ?」
「聞きたいことは、あとひとつって話じゃなかったのか?」
牢の鍵を確かめていたニコーレが、目も上げず逆に問い返した。マリオンが声を出すより先に答えたのは、ラヴィーニアだった。遠い記憶を思い起こすように空中を見すえている。
「少しクセのある黒い長い髪で、白い肌。目の色は、あなたと同じ緑、だったわ。珍しい明るい緑色」
やはりラヴィーニアは女の子とみえ、まず見かけから教えてくれた。
「身長もそうね、アルヴィンくらい? もう少し高かったかしら?」
と、ニコーレを見上げた。ニコーレは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「言葉づかいは丁寧。慇懃無礼っていう感じか。ちょうどグロリアに挨拶したときのお前みたいだな。レディ、だのサーだのお嬢さんだの連発しやがって」
「なるほど?」
マリオンが苦笑した。
「いかにも黒魔術師っていう感じだったわ。あなたとはちょっと雰囲気が違うけど・・・・・・。でも」
ラヴィーニアが言葉を切り、小首をかしげ
「ちょっと似てるかもな」
と、ニコーレが後を引き取った。
「僕に似ている?」
いくら考えても誰も思いつかないのだが、ますます誰なのか興味が湧いてきた。なぜ彼は顔の半分を覆うマスクをつけていたのか? 会ったことがない、というのが本当ならば、何故、彼は詳しく自分のことを知っているのだろう? 竜を目覚めさせるとき、それがわかるのだろうか? 自分のまいた種の結果を、必ず彼は確認するためにやってくるだろう、とマリオンは確信に近いものを抱いていた。
ニコーレたちがマリオンを置いて去ったあと、ラヴィーニアだけが食事の盆を下げて戻ってきた。
「ここには、なにか竜に関する文献とかないのかい?」
パンとサラダ、スープののった盆を受け取りながらマリオンが尋ねると、ラヴィーニアが首をかしげた。
「竜神殿の? さぁ? 見たことないわ。あ、でもあの魔術師が持ってきた本がお母様のところにあったかもしれないわ。なにが書いてあるのか、見たことはないけど」
「そう。できたらそれ持ってきてくれないかなぁ? こっそりでも大手を振ってでもどっちでも持ち出し方は君に任せるから」
マリオンが頼むと、ラヴィーニアはにっこり笑った。
「いいわ、今夜持ってくるわね」
「ありがとう、助かるよ」
同じく微笑を返しながら、マリオンが盆の上のパンに手を伸ばした。さっきの席ではほとんど何も口にしていない。というよりも、昨日からほとんど何も食べずにいたので、ほんのり暖かい香ばしいパンがありがたかった。
「ね? アルヴィン。あなたのお母様のことだけど」
立ち去らず、そのまま牢の前に座り込んだラヴィーニアがいきなりそう言いだした。パンをちぎって口に運びながら、マリオンが首をかしげた。
「白い巫女してた?」
「へ?」
意外な問いにマリオンがパンを口いっぱいにほおばったまま、目を白黒させた。もちろんしていない。彼は無言で首を左右に振った。
「あたし、どこかであなたのお母様にお会いしてると思うの。あなたに似ていて水色の瞳。真っ白なドレスで腰のあたりまでの長い金の髪。あなたのよりもっと緩やかにウェーブがついている髪に真珠の飾りをとめていたわ」
マリオンは再び無言で首を振った。彼の母親は白いドレスは着なかった。似合うとか似合わないとかそういう問題ではなく、真っ白なドレスは特殊なものと考えられていたからだ。
もちろん、今マリオンが着せられている真白な上下も、普通では決して着ない。白は神聖な色で白の魔術師、神官や巫女、花嫁、花婿、その他特殊な場合の着用に限られている。
法律で決まっている、という類の約束ではなく、葬式には黒や濃紫を着る、と似た約束事のようなものである。
「違ってる? あたし、何処でお会いしたか覚えてないの。でも白い簡素なドレスだったから、普通ではないでしょ? 花嫁さんか巫女さんか・・・・・・」
「花嫁は簡素ってことはないでしょ」
やっとパンを飲み込んだマリオンが水差しから石のゴブレットに水を注ぎながらつぶやき、ラヴィーニアがうなずいた。
「そうよね。だからきっと巫女さんだったのかしら、と思ったの」
「僕の母はごく普通の、魔法なんて使えない人間だから、巫女なんてやってたとは思えないし、今までそんな話を聞いたこともないな」
「え? 魔法使えないの?」
ラヴィーニアが大きな目をくるっと回した。
「使えないよ」
たまねぎと人参のスープの鉢に、行儀悪く直接口をつけながら、マリオンが首を振った。
「じゃあ、お父様が魔術師なの?」
口の中のスープを飲み下し、マリオンは、ため息をついた。魔法は遺伝しない。向いた体質や興味を持つ性質などは遺伝するだろうが、魔法そのものは遺伝子の中に組み込まれない。
しかし、今でも魔法を使わない一般の人間には、魔術師、あるいは魔女の息子は魔法が使える、という先入観が行き渡っているようだ。もちろん、彼の場合は父親が人間ではないのだから、遺伝という言葉は正しい。
魔族は、存在そのものが魔法的生物だ。ある意味、すべてが魔法でできている、といっても過言ではない。魔法を使えるかどうかは、種族にもよるが、マリオンの父は魔族の中でも魔術に長けた種族だったようだ。その息子であるマリオンは、おのれの魔法を開放するというよりは、逆に制御する方の修行をしてきたといってもいい。たぶん、マリオンの子供にも、修行をしなくてもある程度の魔術を使えるという(あまりありがたくない)遺伝子は、否応なく組み込まれることだろう。
だが、あきらかにラヴィーニアは、「魔術師の息子は魔法が使える」という誤解をしている。マリオンはあえてそれを修正しなかった。
「うん、父親はね」
嘘は言ってない。いまここで自分が半分人間ではない、という説明をする気にもなれない。グロリアの思惑通り、ラヴィーニアと結婚でもすることになれば話は別だが。自分では結婚とか、どこかに落ち着いて家を構えるなどというものは、夢のような幻のようなもので、これまでの短い人生の中で一度も真剣に考えたことがなかった話だ。いや、真剣に、どころか冗談でも思い浮かべたことがない。グロリアに言われて初めて、ラヴィーニアは可愛いからそんなに悪くはない話だけど、と胸の中でちょっとだけ考えてみたというのが正直なところだ。
「そういえば、君のほうがニコよりもお姉さんだったんだね? てっきり逆だと思ってたよ」
あら、とラヴィーニアは小さく笑い、それからおどけて頬を膨らませて見せた。
「それってあたしが子供っぽいという話なの? それとも」
間髪入れずにマリオンが話の後ろを引き取る。
「ニコが老けてる、って話だと思うよ」
ラヴィーニアは下を向いてくすくすと笑い、それからふと顔をあげ、真面目な表情を浮かべた。
「私とニコはほとんど同じくらいなの、たぶん。十七年前にお母様がカデカミナの入り口のあたりであたしを拾って、ちょうどその一週間後にニコが生まれたの」
「君って、カデカミナ、ここで拾われたの?」
何か少し引っかかるものを感じて、マリオンは首をかしげた。
「ええ、沿海州側の入り口だけどね。どうして? 何かまずいことでもある?」
「いや、ないよ。あるわけないだろ」
ささやかな疑問はとりあえず胸の奥にしまっておくことにして、マリオンは慌てて首を振り、今度はサラダの鉢に手を伸ばした。ゆでたジャガイモと人参、いんげんとマッシュルームが淡い味のドレッシングで丁寧に和えられている。
「すごくスパイスが独特だね」
味は淡いが、香りは濃厚だ。口に含むとほんのりとほどよい塩味と辛味、なんともいえぬ香りが野菜の味をひきたてている。
「そうね、うちのほう、ダゴスではこういうスパイスよく使うの。港には船で遠い国からいろんな香辛料やハーブが届くから・・・・・・。口に合う?」
「うん、とっても美味しいよ」
それを聞くとラヴィーニアは嬉しそうな顔をした。
「全部あたしが作ったの。お料理もちゃんとできるのよ? ね? お得でしょ? お嫁さんにしてくれるわよね?」
サラダをほおばりながら、うんうんとうなずいて聞いていたマリオンは、彼女の最後の言葉に危うく口の中の人参を吹き出しそうになった。それはなんとか押さえたのだが、今度は気管のほうが刺激されたらしく、派手に咳き込む彼をラヴィーニアは横目で軽く睨んだ。
「なによ。あたしじゃ何か不満? 気に入らない? 他に好きな女の子でもいるの?」
ようやく息が普通にできるようになってから、マリオンは頭を振った。
「そんなことじゃなくてさ。昨日や今日会ったばかりの男、と君は結婚してもいいわけなのかい? どこの馬の骨かすらわかんないのに? そこんとこが全然僕の理解を超えてるよ」
ため息混じりのマリオンの言葉に、ラヴィーニアはちょっと首をかしげた。
「どこの馬の骨って言うんなら、あたしだっておんなじだわ。いいえ、あたしのほうがきっともっとわけがわからない素性だと思うの。だってほんとの両親の顔すらわからないもの」
うーん、とマリオンは唸り、どう答えるべきか返答に詰まった。ラヴィーニアは期待を込めた大きな瞳で、じっと彼を見つめている。
「結婚とかどっかに落ち着くとか、僕は今までそんなこと考えてもみなかったからなぁ」
そもそも僕自身が魔術師としてきっちりと確立していない今、それどころじゃない、って部分もあるんだけど、と心の中でため息をつきながらこっそり補足しておく。
「だいいちさ、ニコがいるじゃないか。実の息子なんだろ?」
ラヴィーニアはぷーっと、今度は本気で不満げに頬を膨らませた。
「ニコがあたしと結婚すればいいと言うの?」
「いや、その問題ではなくってさ」
じゃあどれよ? と、鉄格子越しに詰め寄るラヴィーニアにマリオンはたじたじとなった。
「跡取りの問題さ。ラヴィには悪いけど、普通は実の息子が一番可愛いもんだと思うんだけどなぁ」
「そんなもん、誰が決めたんだよ」
岩牢から廊下に通じる入り口の暗闇の中から突然、鋭いニコーレの声が飛んできた。
「遅いから迎えにきた。こんなやつにそんなにかまう必要なんかない」
「アルヴィンにご飯を持ってきたのよ。悪い?」
ラヴィーニアがつんとあごを上げた。
「盆を置いておきゃすむだろ。ガキじゃねぇんだから」
そこまで言うとニコーレはちらりとマリオンへ目をやり、
「たぶんな」
と、嫌みったらしく付け加えるのを忘れなかった。
「ふん。男の嫉妬はみっともないぜ。鏡見てみなよ。目が三角になってるぜ」
マリオンが自分の右目を指で吊り上げてみせて口元を笑いに歪ませると、ニコーレはがしゃん、と派手な音をたてて岩牢の鉄格子を蹴り飛ばし、おかげで太く頑丈なはずの鉄の棒が、かすかに内側に湾曲してしまった。
「あいかわらず足癖の悪い奴だなぁ。なんでもすぐ気に入らないものを蹴りたがるのはよくないね」
「牢から出てみろ、真っ先にお前に蹴りを入れてやる」
マリオンは立ち上がるとわざわざ鉄格子のほうへ歩いていき、にやりと笑ってニコーレが蹴飛ばし曲がってしまったそれをゆっくりとなでた。
「よーくわかったよ。僕がグロリアの立場だって、君よりはラヴィのほうがずっと可愛いだろうからね」
じろりと睨むニコーレの視線は、視線で人が殺せるものならマリオンなど見事に八つ裂きになっているだろう、というくらいの凶悪さに満ちていた。彼は無言のまま、つかつかと岩牢へ近づくと長い腕を突っ込み、マリオンの胸倉を乱暴に引き寄せた。やせているが筋肉質の引き締まったニコーレの腕が、マリオンの上着の襟を呼吸ができないほどきつく引き絞った。今までよりもトーンを落とした低く暗いニコーレの声が、マリオンの耳元で静かにささやく。
「いいか、二度とそこへグロリアを持ち出すな。生きてここから出られなくしてやる。脅しだと思うなよ」
それだけを言うとニコーレは、マリオンの身体を乱暴に突き放し、心配そうに見守っていたラヴィーニアをせかしながら上へあがっていってしまった。牢の中へ残されたマリオンは、膝をついて座り込み、軽く咳き込みながら上着の首の周りを緩めた。
「今のは確実に本気だったな。どうやらあいつの痛いところをついたってわけか」
ニコーレの目の中には、本気の殺意が見えた。さっきのグロリアの宴席でさえ、これほどの殺気は感じられなかった。あの時はせいぜい、半殺しにでもすれば気が済む、といった程度のものだったが、今のは違う。彼から発せられる負の感情が、ぴりぴりとした空気となって肌で感じられるほどだった。彼もきっと自分と同じく複雑な育ち方をしているのだろうと思う。もしかしたら、マリオンよりももっと根深く屈折した感情を、常日頃抱いているのかもしれない。彼の心の中に巣食う深いよどんだ闇を、垣間見たような気がした。
だが、その闇の正体は知れない。彼の抱いている闇は、いったいどんなものなのだろうか。そして、ニコーレはいったいこの件に関して、どうしたら一番いい、と思っているのだろう?
マリオンには、彼が「撤退して、元の生活に戻りたい」と言いそうな気がしている。それが一番健全で安全な考え方なんだが、とマリオンは心の中で虚しくつぶやいた。グロリアがあの調子では、息子の考えに同意するとは到底思えない。
「さて、これからどうするかな?」
残ったパンとサラダを機械的に口に運びながら、マリオンは小さくひとりごちた。左目を覆ううっとうしい銀の塊に手を当ててみる。ひんやりとしたそれは相変わらず強い魔力を放ちながら、彼自身の力をねじ伏せようとしている。
「こいつが外れさえすれば、どうでもなるんだけど」
ここをぶち壊して逃げることも、こっそりと姿を消すことも、もちろん一人で勝手に竜を目覚めさせて制御することも・・・・・・。
だが、外れない限り、魔法を使うことはできない。もうだいぶ落ち着いているが、まだあちこちの筋肉が痛み、頭の奥で神経が時折悲鳴をあげている。次はどれだけの負担を総身に受けることになるのか、それすらもわからない。命にかかわることでもなければ、これをつけたまま魔法を使うのは二度とごめんだった。グロリアの言う切り札がなんなのかが気になるが、今はそれを探るすべもない。怒らせたら怒りに任せて手がかりになりそうなことでもしゃべるのかとも思ったが、よほどきつく、あるいはうまく口止めされているのだろう。
「セルブラントって奴か・・・・・・」
食べ終わった食器を重ねた盆を入り口のほうへに押しやると、マリオンはクッションを枕にマットの上にごろんと寝そべった。食べてすぐ横になるのはいささか行儀が悪いが、この際半分病人だし、と無理やりこじつける。仰向けになるとよけいに左目の銀が重かった。
「ああ、うっとうしい。これだけでもセルブラントって奴にはきっちりお礼してやらなくちゃな。とびきりのやつを・・・・・・」
セルブラントの銀マスクの下の素顔を見たとき、自分がどれだけの衝撃を受けるのか、今はまだマリオンには知るすべもなかった。
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白い光がそこにはあふれている。その場所には影がない。闇がないからだ。そこにあるのはただ白い光のみ。美しく広がる空間には巨大な白竜がゆったりと身体を伸ばし、優雅とすらいえる風情で眠っている。柔らかく暖かな光が彼のうろこに反射して、美しく煌めいている。全長は百二十フィートほどにも及ぶだろうか。あるいはもっと大きいのかもしれない。
その竜によりそう小さな影は、か細く華奢な人間の女性だった。腰まで滝のように流れ落ちる淡い金色の髪、水色の瞳、ふっくりとした桜色の唇。顔立ちは繊細だが、その目の中には強い意志の力が垣間見える。白いなめらかな手が優しく竜の額をなで、柔らかな声が歌うようにささやいた。
「もうじきね。もうじき、あの子が来るわ。そうすればあなたは目覚めることになるのよ。大丈夫、あの子ならきっとうまくやれるわ」
大丈夫、大丈夫よ、声は優しく子守唄を歌うように続いている。
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うとうとといつのまにか眠り込んでしまったマリオンを起こしたのは、ラヴィーニアの軽い足音だった。
「アルヴィン、本を持ってきたわ。でもね」
でもね、に続くラヴィーニアの次の言葉を待ちながら、彼女が格子の隙間から差し入れてきた本を受け取った。正方形に近い、革張りで装丁された黒い立派な本だ。顔のそばに近づけると、ぷんと独特の革の香りがした。手触りや表紙の具合からすると、さほど古い本とも思えない。
「その本、開けないのよ」
ラヴィーニアが声をひそめた。
「開けない?」
鸚鵡返しにマリオンが聞き返し、黒い革の表紙を開こうとしてみる。なるほど革の表紙は、ぴったりと糊で貼り付けられたように張り付いていた。指でページの縁をそろりとなでてみるが、はがれる様子はなかった。どうやら魔法で封印が施されているようだ。
「誰に読ませないために?」
僕か? でもそれなら何故、これをわざわざここへ置いていった? グロリアなら読めるのか?
だが、この魔法の様子では単純な封印だけで、読んでいい人間を特定しているような気配はなかった。マリオンは、眉を怒らせ、右手の人差し指の第二関節を強くかんだ。
「奴の嫌がらせって感じだな」
その様子を見守っていたラヴィーニアが、小さい声でセルブラント? とつぶやいたが、マリオンの耳には届いていない。
「開く、封印を。結ばれた約束よ。開きたまえ、我が前に」
魔力を伴う言葉がマリオンの口から流れ出る。ラヴィーニアが驚いたように口に手をあてた。
魔法封じをそのままに、再びマリオンが魔法を使うとは思わなかったのだろう。マリオン自身も命にかかわらない限り使うのをやめようと思っていたはずなのだが、どうしても逆らいきれなかった。かけられている封印魔法は、いたって初歩のもので移動魔法よりかなり負担は軽い。だが、やはりそれなりの摩擦がマリオンの身体を襲った。彼は歯を食いしばりそれをやりすごし、ひたすら耐えた。
「アルヴィン、やめたほうが・・・・・・」
ラヴィーニアの小さな手で押さえられた口から漏れた遠慮がちな言葉は、当然の如く無視された。呪文と共に開放の魔法が、本の封印を解くべく作用し始めていた。かすかに空気の摩擦音がする。やがてそのかすかな音は、ぴしり、と何かを打ち付けるようなはっきりした音となり、白い光が本を一瞬の間だけ輝かせた。同時に肩を上下させ荒い息をついたマリオンが、がくりと前にのめり床に手をついた。
「大丈夫? アルヴィン」
心配そうなラヴィーニアが鉄格子越しに声をかけると、彼は無理やり白い顔をあげ、にこりと笑ってみせた。
「大丈夫。これくらいなんでもないさ」
彼は袖口で荒っぽく額の汗をぬぐい、深く息を吸い込むとおもむろに本の表紙に手をかけた。固く分厚い黒革の表紙がゆっくりと持ち上げられると、
「開いたわ!」
ラヴィーニアが手を叩いて歓声をあげた。当然さ、とつぶやきながらマリオンは中の頁をぱらぱらと繰り、顔をしかめた。全部の頁が手書きの古代ルーン文字で埋め尽くされている。となれば、やはりグロリアが読むための本ではない。たいていの場合、一般人にはこの古代ルーン文字は、あまりなじみがない。グロリアがこの文字を読めるとは思えなかった。
「いやみな野郎だ」
「もしかしてこれってあなたにも読めない文字なの?」
しかめた顔を勘違いしたラヴィーニアが興味深げに本の中をのぞきこんでいる。マリオンは頭を振った。
「いや、読めるよ。古代ルーン、魔法文字だ。奴の嫌がらせだろ、きっと」
ラヴィーニアにはマリオンの言葉の意味がわからず、不思議そうに目をしばたたいた。
「僕に読ませるための本だよ、どう見ても。なのにわざわざ封印までしやがって」
「そうね、あなたしか読めない本よね」
ああ、そうだよ、と答えようとしたマリオンの手が止まった。いいかげんにぱらぱらと繰っていた頁を閉じて最初の頁に戻そうとして、ひときわめだつ太く赤い書体に目がいったのだ。
そこだけはルーン文字ではない。まるで氷のように冷たい手がふいに首筋に押し付けられたように、きゅっと彼は身を固くした。その白い頁には、美しい流れるような書体で真ん中にただ一言、こう書いてあった。
『我が同胞、マリオン・ローセングレーンに捧ぐ』
「マリオン、って誰のことかしら? 女性の名前よね?」
彼の本名を知らないラヴィーニアが不思議そうに尋ねたが、マリオンには言葉もない。ただ無言で文字を見つめている。ラヴィーニアは彼の受けた衝撃の内容はわからぬものの、その大きさのみを感じて黙り込んだ。
震える指先で書かれた文字をゆっくりとなでてみる。しっかりとした筆跡で書き込まれた文字は、そこに書かれた意味以外のものを語ってはくれない。




