決裂
長い石の階段を上るのはつらかった。筋肉が悲鳴をあげているが、横にニコーレがいては顔に出せない。息を深くつくと、胸の奥が痛むが、奥歯を噛み締めて耐えた。こんな風に身体が痛むときに痛い!と悪態をつくのは、ある意味とても正しいのだと、改めて認識する。口に出せないだけで、痛みが何割か増したような気もしてきた。痛みが走るたび、マリオンは胸のうちでありとあらゆる悪態をついた。
ニコーレは、時折横目で彼を牽制しながら、ゆっくりと階段を上っている。特に急いでいる風はない。あるいは、少しだけ気を使っているものか。
二人は無言のまま三階分ほど階段を上って地上へ出て、長い渡り廊下を抜けて広間へ向かった。
そこへ辿り着くまでに、今いる場所が白い石で建てられた広大な建物であることが知れた。地下は深いが、高さはない。二階建ての平板な建造物だった。その柱も壁も一様に白く、美しい彫刻があちらこちらに施されている。それ以外はいたってシンプルで実用的な調度品しか置かれていない。
「すごい建物だな。カデカミナ山脈の近くに、こんな大きなものがあるんだ」
感心したように声をあげたマリオンに、ニコーレが面白くもなさげに教えてくれた。
「近くなんじゃない。ここは、カデカミナのど真ん中だ。山と山の間にあるんだよ」
「へぇ。そうなのか。全体的にすごく古そうだね。彫刻が少し風化している」
彫刻の施された白く太い柱を叩いてみているマリオンに、ニコーレは軽く肩をすくめた。
「さぁどうなんだろうな。俺たちが建てたわけじゃないし、わからんな」
おや? とマリオンが眉を上げたが、ニコーレはそれ以上答える気がないらしく知らん顔だ。
広間へ入る寸前にニコーレが小さくつぶやいた。
「俺はこんなところ、大嫌いだ」
マリオンが聞き返すまもなく、ニコーレは大きく扉を引きあけ中へ入り、
「アルヴィンを連れて参りました」
と、大きく呼ばわった。
「お入り! さあ、アルヴィン。こちらへ来て席にお着き」
明るい緋色のドレスで着飾ったグロリア、が大きな口でにこにこ笑いながら手招きしている。天井の高い壁も柱も白い開放的な広間の中には、中央に十人ほどが座れるように椅子が置かれた大きなテーブルがしつらえられ、大量の食べ物が載せられていた。酒の入っていそうな大きな壺もいくつか置いてある。
中央の席にはグロリア、その両側に揃いの衣服を着た側近らしい年かさの男が四人、その隣にラヴィーニアが座っていて、隣には多分ニコーレのための空席がある。グロリアがマリオンのために指し示しているのは、彼女の真正面にある席だった。
「よく似合っているじゃないか。その服も」
「そりゃ、どうも」
マリオンは眉をしかめて、肩から斜めにかけられた緋色のストールをひらひらと振ってみせた。
「趣味のよろしいことだ」
あははは、とグロリアが喉をそらして大声で笑った。
「これからずっとアルヴィンには、白を着てもらうことになるね。ストールの色が気に入らなきゃ変えてもいいわ。それは、あたしの色だからね」
マリオンは不審そうに眉を寄せた。
「何故? 何故、白を着る必要がある?」
グロリアは、再度、自分の向い側の椅子を指し示した。
「まぁお座りな。話は長くなるわえ」
「逆らうな。早く座ったほうがいい」
後ろにいたニコーレが、小さい声で促している。マリオンは顔をかすかにしかめながら、いささか乱暴に椅子を引き、どっかと音を立ててかけた。身体の痛みは、この際問題ではない。
「魔術師殿は、ご機嫌が斜めだねぇ。まぁ、それもすぐ直るよ。酒はいける口かえ?」
「話が先だ」
「悪いねぇ。あたしゃ酒でも飲まなくては、口が滑らかに動かなくてね」
グロリアの言葉とともに、戸口のそばに控えていた召使たちが慌ててやって来て、それぞれのグラスに酒を注ぎ始めた。
「では、乾杯」
嬉しげに笑みを浮かべたグロリアが、グラスの縁まで注がれた酒を一気に空け、そばにいた召使が再びグラスをなみなみと満たした。マリオンも酒は飲めないほうではない。というよりもどちらかといえば、底なしと呼ばれるほうで、いくら飲んでもほとんど顔にも態度にもでないのだが、今日は飲まないことに決めた。形だけグラスに口をつけると、辛抱強くグロリアが口火を切るのを待っている。
酒を注ぎ終わったメイドが、マリオンの皿に野菜メインの料理を取り分けた。肉はだめだとラヴィーニアから聞いているのだろう。どのへんの郷土料理かはわからないが、ほんのりと嗅ぎなれない香辛料の香りがしている。
「白は、清浄の色だ」
軽く二杯目を飲み干したグロリアが、野太い声でいきなりそう言い放った。
「お前さんにやってもらわなくてはならないことは、その昔、巫女がやっていたことさ」
フォークで野菜をつついていたマリオンは顔を上げ、グロリアを睨みつけた。
「巫女? 僕は男だぜ?」
こう見えてもな、と隣の席で小さな声でニコーレがつぶやいたのが聞こえたが、席と席が離れているのでテーブルの下でこっそり蹴りを入れるわけにもいかず、無視することに決めた。
「巫女といってもそれは初期のことで、後期は、白い魔女と白い魔術師だったという話さ。男も女も関係ない」
「・・・・・・それで?」
グロリアは、太くがっちりした肩をひょいとすくめた。
「坊・・いや、アルヴィン殿は、竜神殿を知っているかえ? その昔、このへんにあったものさ」
「竜神殿? 太陽神の代わりに魔竜を崇めた、というあれか? 竜のほかにも古代生物や妖魔を使役していたということだが」
グロリアは、グラスを口元に持っていきながら満足そうにうなずいた。
「若くてもやはり魔術師だわいね。さすがによく知っている」
「カデカミナにもあったとは知らなかったな。僕が知っているのは、もっと北の方にあった神殿だ」
「ここらにもあったのさ。しかも廃れてしまってから、まだ七、八十年程しかたっていないはずだ」
「こんな山の中に? ここいらに人が住んでいたのか?」
いたって疑わしげにマリオンが尋ねた。こんな山の中に、人が住んでいたとは考えにくい。
カデカミナ山脈は雪が深い。近隣の町に秋の気配が訪れた頃、山脈は雪で閉ざされてしまい、町が夏を感じ始めたあたりにやっと春がやって来るような場所だ。少し南、あるいは東へ外れれば、もっと住みやすいいい場所があるのに、わざわざこんなところへ人が村落を作ろうとするはずがない。
「そうさ。ここの神殿は特別でね。秘密裡に崇め奉られていたのさ」
マリオンは首をひねった。
「どちらにしても竜神殿、竜信仰は、あまり公に認められてはいなかったはずだけど?」
グロリアは大きくうなずいた。
「もちろんそうだ。黒魔術と一緒にされて、血の生贄を奉げていた神殿もあったようだからね。だが、ここのはそんな一般的なものとは違ってる。もっともっと特別なものだったのさ」
焦らすようにグロリアはそこで言葉を切り、手の中のグラスをまた大きくあおった。心得たように、召使が再び酒をなみなみと注ぐ。
「それで? ここのは他の神殿と何処が違う?」
マリオンは続きを促した。グロリアはにんまりと笑った。
「他の神殿はね、竜の頭蓋骨、あるいは竜のミイラなどを崇めていた。ご神体は、そういうものさ。そうだろ?」
「だろうね」
マリオンはうなずいた。
「だが、ここカデカミナ神殿のご神体は、そんなものじゃない。ここのご神体は、眠れる本物の生きた竜。カデカミナに封印された白い竜なのさ」
「なん、だって?」
マリオンは、思わず大きな声をあげた。その反応に気をよくしたらしいグロリアがにんまりと笑い、さらにグラスをあおった。
「カデカミナの竜はね。何百年か前にある一族によって、封印された古代魔竜さ。白く巨大で大いなる魔力を持っていた、と聞いているよ」
グロリアはグラスを置き、フォークを手に取ると、手元の皿の大きな肉の塊をぐさりと刺した。
「竜は、今でもこの山脈の奥深くに眠っているそうだ。ここの神殿に仕える者たちがいなくなってしまったために、竜はただ眠っているだけさ。もったいないとは思わないかえ?」
「もったいない?」
先ほどより幾分蒼ざめた顔色でマリオンが訊ねた。グロリアが血の滴り落ちそうな肉を噛み切り、頑丈な顎で咀嚼しながらフォークを振り回した。
「巨大な白い竜だよ? うわさではカデカミナの山を、半分ほども覆い隠してしまうほどの大きさだったとも言うわえ。その魔力は計り知れなかろう? そこらの妖魔なんぞ、問題にもならないほどの魔力さ。その竜がただ眠っているんだ。起こさない手はないだろう?」
「馬鹿な! なんて馬鹿なことを考えるんだ? 僕に、僕にその竜を起こしてみせろとでも言うつもりか?」
マリオンが手にしていたフォークを乱暴に放り出し、それは皿にぶつかると、がしゃんと派手な音を立てた。
「察しがいいねぇ。頭のいい子も好きだよ、あたしゃ」
「冗談じゃない!眠っている竜は、静かに眠らせておけばいいじゃないか。僕はそんなことはごめんだ」
マリオンはナプキンも放り出し、席を立とうと椅子を後ろに引いた。
「だが、竜の寝床へ行かなくては、その魔法封じははずれないわえ」
「なんだと?」
マリオンの動作が止まり、じろりと右目がグロリアを睨んだ。
「何のためにそれをお前さんに、はめたと思っているのだえ」
笑いを含んだグロリアの太い声が、心底、癇に障る。マリオンは、無意識に左目を覆う銀の眼帯に手を当てた。ずっと顔に張り付いているのに、それは一向に温まる気配もなく冷たいままだ。その冷たい銀の感触が、なおさら彼の怒りをあおった。
「僕にこいつをはずせないとでもいうつもりか」
「それをはめるのは、誰でもできる。だが、はずすにはある条件がなければはずせないのさ。はずすためには、竜の眠る神殿へ行かなけれならない。そういう魔法がかけてあるのさ」
マリオンは、再び椅子にすとんと腰を落とした。
「仲間に魔術師がいるんだな?」
グロリアが再びにんまりと笑う。
「もちろん、そうだよ」
「じゃあ、そいつにやらせればいいじゃないか。わざわざ、僕をここまで無理やり引っ張ってくる必要なんかないだろう」
グロリアは肩をすくめた。
「そりゃあたしだってそう思ったさ。でも、彼はそれをことわったんだ」
「僕もことわりたいね」
「お前はことわれる立場にないんだよ。言うなれば、自身の魔法を人質に取られているようなもんさ」
マリオンが悔しげにグロリアを睨みつけた。現在、魔法が使えない身では、単独でこれをはずすことは難しい。となれば、どこかでそれなりの魔力を持った魔術師に力を借りてはずすしかないのだが、それをグロリアが簡単に許すはずもなかった。
「お前は極上の魔術師だ。あれをつけたままで魔法が使えるとは、彼だって思っていなかったようだからね。お前さんなら、きっと竜を眠りから覚まして、その魔力を手中に治めることに成功するはずだよ」
「無理だね」
マリオンの返事はにべもない。
「なぜ?」
「まずひとつ。僕は白い魔術師ではない。僕の魔術は、現在混沌だ。あらゆる創始の魔法が入り混じり、白であり、なおかつ黒でもある。一度、一部だけでも黒だった者は、白だけには戻れない。白い竜は徹底的に黒い魔術を嫌う。だから僕は、白い巫女の代わりにはなれない。ふたつめ。白い竜は、黒いものより制御が難しいんだ。あれは光の浄化によってその魔力を抑えるということができない」
「では黒で、血の魔術で押さえればいい」
口をはさんだグロリアに、マリオンが唇をゆがめて不遜な笑みを浮かべて見せた。
「僕は、あんたに魔術の講義など受ける気はないよ。そもそも、白であることが第一前提のものを、わざわざ黒く穢してしまったら意味ないじゃないか、馬鹿なのか」
マリオンの無礼な言い方に、グロリアの両側にいた側近のうちの若い方の二人が即座に立ち上がった。
「おやめ! 黙って座っておいで」
グロリアの一言で、二人は再び席に着く。
「確かにね。一流の魔術師に、あたしが魔術の講義なんぞしても無駄だわいね」
マリオンは軽く肩をすくめると、椅子の背にどんとだらしなく寄りかかった。
「そしてみっつめ。僕に眠る竜を起こす気が、まったくない」
ふんっ、とグロリアが鼻で笑った。
「黒い竜を、その身に飲み込んだ魔術師の台詞とも思えないね。あたしは知ってるんだよ。お前さんの魔力の源が何処にあるのか」
そうかな? とマリオンは思う。確かに彼の魔力の大元は、金色の左の目にある。だが、それはあくまでも増幅された分であってすべてではない。黒い竜を飲み込む前に、すでに彼は、魔術師として充分な魔力を持っていた。だからこそ、左目の魔力を封じるための魔法封じをつけていても、彼はある程度の魔法が使えるのだ。グロリアはそれに気がついていない。だが、今の問題はそこではなかった。
「だいたい、なんであんたが黒い竜のことを、僕の左目のことを知っているんだ?」
「それはね、アルヴィン」
グロリアが、残りの肉の塊を再びフォークに刺して、口元に運びながら言った。
「うちの魔術師殿が教えてくれたのさ。お前さんの魔力の源は左目で、しかもそれがお前さんの弱点でもある、とね。あそこの街道であの日、あの時間にお前さんがつかまると教えてくれたのも彼だよ。あのたわけた」
と言って、グロリアはじろっとニコーレのほうへ目を向けた。睨まれたニコーレは、視線を皿に落とし、気づかないふりをした。
「小芝居でお前さんが引っかかると踏んだのも彼だ。あんたの性格もよく知っているようだね」
「・・・・・・? 僕を知っているのか? 彼は・・・・・・」
占い師アニスの顔がちらりと脳裏に浮かんだ。だとすれば彼女も関係しているのだろうな、きっと。だが、ここまで知っていながら、僕の本当の名前は知らなかったのか? それともそんなものは、どうでもよかったのか。
「せっかくだ、白い竜のことは、その腕のいい仲間の魔術師に頼めよ」
「残念だね。彼はもうここにはいないんだよ。お前さんが来る直前に出て行ったさ。お前さんとは、まだ顔をあわせたくない。あとは全部彼に任せると言い残してね」
「・・・・・・! 無責任な! そいつはいったいどこの魔術師だ?」
マリオンは顔をしかめた。
「名前はセルブラント。本名かどうかは知らんわえ。お前さんをよく知っているが、会ったことはないとも言っていた、さて、心当たりがあるかえ?」
セルブラント? よく知っているが、会ったことがない? どうにも思い当たる魔術師がいない。マリオンは首をひねった。
「・・・・・・年は?」
グロリアが笑った。
「魔術師の見た目の年なんぞ、当てになるもんかい。まぁ、あえて言うなら、見た目はあんたと同じくらいかね? 十八、九くらいの若い男さ。黒髪でちょうどあんたくらいの背高だね」
「黒髪で僕くらいの身長・・・・・・? セルブラント?」
思い当たる魔術師はいない。
「顔は? どんな顔つきの男だった?」
「おやおや、いやに気にするね? 思い当たる男がいたのかい?」
マリオンの真剣なまなざしに、グロリアが眉をあげて問い返した。
「いや、いないけど気になるじゃないか」
グロリアは再び酒のグラスに手を伸ばした。
「どんな顔だったかは、あたしにゃよくわからないね。彼は顔を隠していたから」
「隠していた?」
意外な答えにマリオンの目が大きく見開かれた。グロリアは自分の左目を指差した。
「そう、今お前さんがつけているような銀のマスクを、常に顔の上半分につけていた。見えるのは口元だけさ。人前ではずすことはなかったね」
「・・・・・・」
考え込んでしまったマリオンをちらりと見やり、「さて」とグロリアは、一息ついてテーブルの上を眺め回した。
「アルヴィン殿には、話の大体はわかってもらえたと思うんだが、どうかね?」
「まるっきり、わからないね」
マリオンはまだじっと目の前のグラスを見つめたまま、答えた。
「よしんば僕が白い竜を起こして制御できたとする。さて、そのあとはどうなる? どうする? あんたの目的はなんだ?」
グロリアは、今度は大きな揚げた魚にかぶりついた。香辛料とハーブのソースがたっぷりとかかっている。油で赤い唇がぬらぬらと光った。
「そうさね。その魔法で世界を統べるっていうのはどうだえ? ここには全部を連れてきてはいないが、あたしには自由になる兵隊が何千といるんだ。仲間も大勢いる。もっと増やそうと思えばいくらでも増やせるよ。その軍事力とお前さんの魔力があれば、北半球は思いのままさね」
マリオンはそれを聞くと、白いのどをそらして大声で笑った。
「陳腐な! なんて俗物なんだろう! 僕に世界を統べる力をくれてやろうとしているのか?」
そのまましばらく彼はげらげら笑いつづけ、顔色を変えて立ち上がろうとした側近をグロリアは片手でとどめた。
やがて、マリオンは笑いをおさめ、袖口で涙を拭いた。
「世界を統べるほどの魔力があったら、僕はあんたの言いなりになんぞならないよ。真っ先にあんたは牢獄行きさ。いや、どっかの孤島がいいかな?」
グロリアは、動じない。
「では、こういうのはどうだえ? お前さんは竜を目覚めさせただけで仕事は終わり、そのまま旅を続ける。うちの可愛い娘が、白い巫女になる」
まだにやにや笑いを顔に貼り付けたまま、マリオンがグロリアのほうへ指を振って見せた。
「確かに、僕よりは白い巫女のほうが竜を制御するには向いているだろうけれど、それがうまくいくかどうか保証はしないよ?」
グロリアは、皿に残った付け合せの野菜を一口で平らげると、ナプキンでちょんちょんと口元を叩いてにっこりと笑った。
「それでもし、お前さんがよければ、可愛いラヴィを嫁にもらって一緒に竜を飼いならせばいいのさ。あたしとしちゃ、それが一番いいと思うんだけどね? どうだえ?」
「はぁ?」
グロリアの意外な提案に、マリオンは目をぱちくりさせた。ラヴィーニアはすでにその話を何度も聞かされているらしく、気にした様子もない。口元に小さな笑みを浮かべ、知らん顔で皿の料理をつついている。
一方、隣のニコーレのほうは、また苦虫を噛み潰したような顔をあげもせず、ナイフを握り締めていた。
「幸い、ラヴィは、お前さんが気に入ったらしいし、あたしとしてもお前さんのような魔術師が身内にいてくれるのは頼もしい限りだ。しかも、お前さんの頭の良さと、気の強さは気に入ってるよ。たとえ、半分がた、若さゆえの無鉄砲からのものであってもね」
どうりでね、ニコーレが僕を目の敵にするわけだ。マリオンは口元に苦笑いを浮かべ肩をすくめて、首を横に振った。
「そして、話は戻るわけだ。あんたは軍隊で、僕は魔力で世界を統べる、と」
「いいや、戻らないよ」
グロリアはすました顔で酒のグラスを口元へ運び、大きく一口飲んだ。
「あたしはね、ここからずっと南へ下ったダゴスという町で、手広く商売をしているんだ。あのへんの商人は、ほとんどあたしの息がかかったものがまとめている。あのあたりであたしの名前を知らない者はいないよ。さっきも言ったとおり、兵隊もなんぼでもいる。軍隊じゃないけどね。腕の立つ者もたくさんいるわえ。同じ商人仲間も大勢いる。そいつらと手を組んであたしゃ、四つの大陸すべてを自分の守備範囲にしたいんだよ」
グロリアは、凄みのある笑顔を見せた。
「そのためには力がいる」
マリオンは、一度呆れたように口を開きかけ、再び閉じた。
「何か言いたいことでもあるのかえ? お言いな、お前さんらしくもない」
「・・・・・・そんなに手広く商売をして、いったい何が得られるんだ? 金か? 名声か?」
「両方だろうねぇ」
うっとりしたような声でグロリアが言った。
「世界を統べるよりももっと陳腐だな」
マリオンが吐き捨てた。
「人様の夢を、頭から悪く言う気はないけどね。あんたの寿命があと何十年かは知らないが、その望みは必要以上にでかすぎないか? 生きているときは確かに金は必要だろうけれど、ごく普通に飢えずに食えればいいだろ。もっと必要なら働きゃいいさ。だけど、人は死ぬときには、自分の身の丈分の場所しか要らない。死んだあとはなおさら要らないだろ?」
「ほう? あたしにゃ分不相応だとでも言うのかえ?」
マリオンは頭を振った。
「あんただけじゃないよ、みんなに言えることさ」
「あたしにゃ、もうひとつあるんだよ、望みがね。不老不死にしてもらうのさ。それなら、死んだあとのことなど心配する必要などない」
グロリアの答えに一瞬言葉を失ったマリオンは、ゆっくりと瞬きをしてそれから低い笑い声を上げた。
「不老不死?! はっ! ホントに馬鹿じゃないのか、あんた」
重なる無礼な物言いに耐え切れなくなったように、再び側近のひとりが椅子を蹴倒して立ち上がった。
「これ以上、グロリア様に無礼な振る舞いは許さん!」
「おやめ、ケイモス。この子には勝てないよ」
グロリアの言葉に、ケイモスと呼ばれた男が顔色を変えた。
「お、俺にこいつが殺れないとでも、おっしゃるので?」
「殺れねぇよ。いいから黙って座ってな」
と、答えを返したのはグロリアではなく、それまで無言で聞いているだけだったニコーレだった。
「ニ、ニコーレ様までそんなことを?!」
ケイモスはがくりとうなだれ、召使が直した椅子に不承不承腰をかけた。
そこまで聞いて他人事のように涼しい顔をしていたマリオンが、ほうとニコーレのほうを見た。ニコーレに『様』という尊称をつけると言うことは、側近より格が上だということか。視線を感じたニコーレも暗い瞳でマリオンのほうを向いた。
「お前は俺が殺る。いつかきっとな」
ニコーレはグロリアに聞こえない程度の小さな声で、しかしマリオンにだけははっきりと聞き取れるようにささやいた。マリオンは、かすかに唇の端をあげ彼に微笑を返した。
「できるもんならやってみなよ」
ニコーレは、ばん、とテーブルを強く叩き、ゆっくりと立ち上がった。
「そうかい。そんなら俺が今、殺ってやるぜ」
再び、二人の視線が強く絡み合い、ぴりぴりとした空気があたりに漂った。だが、何度も話が途切れて少しいらだっているようなグロリアが大声で彼を制止した。
「ニコ! 義兄になるかもしれないんだよ。無礼はおよし。あたしの話を最後までさせておくれな」
マリオンの目が、驚愕に大きく見開かれた。
「義兄? まさか?」
「おや、知らなかったのかい? ニコはあたしの息子だよ。正真正銘、血のつながった、ね」
こともなげに言い放つグロリアから、顔をそむけたニコーレの目が暗く輝き、口元が凶悪にゆがんだ。
「あまり似てないな。親子だとは思わなかったよ」
いかにもありそうなことなのに、一度もそんな関係だとは考えてもみなかった。せいぜいラヴィーニアの幼なじみだろうと漠然と思っていた程度だったのだ。
マリオンが正直に言うと、
「そんなこと、どうでもいいだろ。関係ねぇ」
食いしばった歯の間から言葉を押し出すように、ニコーレが吐き捨てた。
「それもそうだ」
マリオンが言い、ふっと軽い笑いを漏らした。
「義兄になるつもりなんてないし、ね」
「おや? ラヴィは気に入らんのかえ? こんなに可愛い娘なのに」
少しいらついた表情のグロリアがマリオンの言葉を聞きとがめ、彼はおおげさに肩をすくめて見せた。
「そういう話以前の問題だ。僕が気に入らないのは、あんただよ」
「ああ、そういうことかい。別にいいじゃないか。姑とは用があるときだけ顔をあわせりゃいいのさ。義弟ともね。ラヴィと二人で仲良く竜神殿を護っていてくれれば、あたしにゃ文句はないよ」
あっさりと言うグロリアに、マリオンの顔が盛大にしかめられた。
「僕はそんなことを問題にしてるんじゃないぞ。あんたの竜に対するそもそもの考え方が気に入らないんだ」
再びニコーレは無言のまま席に着き、顔を伏せている。それをちらりと眺めてからグロリアは、また先ほどの話を蒸し返した。
「では、さっきの話に戻ろうかね。不老不死、に何か問題があるのかえ? お前さんに馬鹿、と言われるようなことではないと思うんだがね。古今東西、不老不死は常命の人間の見果てぬ夢だったはずだよ。今はわずかに一握りの魔術師だけが、その夢を果たしているだろう。お前さんもその仲間の一人じゃないのかえ?」
フォークを置いたグロリアは、そばについた召使が酒の壺を離せないほどひっきりなしにグラスをあおり始めている。さすがに少し酒が回ってきたのか、頬に赤みが増しているようだ。マリオンは、そんなグロリアの目をまっすぐ見据えている。
「僕は、不老不死ではない。確かに普通の人間よりは老化の速度は遅いだろうし、長生きでもあるだろうけれど。だいいち、僕はそんなことが楽しいことだ、とは思っていない」
「いいねぇ、若い者は。そんなこと、で片付けられるんだねぇ」
グロリアは、大仰にため息をついて見せた。
「だが、あたしにゃ、それは許せないことなのさ。もうこれ以上年をとるのも、志半ばで死んでしまうのもごめんだわえ」
「だから、馬鹿だ、というんだ」
マリオンはずいっと椅子を後ろに引いて背に寄りかかると、高々と長い足を組んだ。もちろん、無礼は重々承知の上である。
「どこが、だえ?」
グロリアの眉が高く上がった。
「死なない人間に、夢は見られない」
マリオンは、はっきりとした発音できっぱりと告げた。グロリアは、一瞬グラスを持つ手を止めた。
「なんだって?」
「聞こえなかったかい? 死なない人間には夢が見られない、といったのさ」
繰り返すマリオンに、グロリアは頭を振った。
「ちゃんと聞こえたわえ。何が言いたいのかわからなかっただけさ」
マリオンは唇の端をあげて、シニカルな笑みを浮かべた。
「今言ったとおり。あんたが不老不死になったとする。沿海州を仕切り、四つの大陸を統べる。それで? あんたはまだ生きる。知り合いがみんな亡くなっていっても、自分の身内が滅んでも、町が様変わりしても、あんたは生きる。たとえ世界が滅びてもあんたは生きるだろう。それで? 一人で生きて何が楽しい? どんな夢が見られるの?」
グロリアは、なんだそんなことか、とばかりにふっと息をついた。
「それでも夢は見られるさ。間違いないよ。どんどん先へ進めばいいんだよ。いくらでもあるさ、やりたいことなんてね。世界が滅びる? そんなことはありえないさね」
「そうかな?」
マリオンはまじめな顔に戻った。
「僕にはあんたが、死ぬことばかり夢見ているところが見えるようだけどね」
グロリアが巨体を揺らしながら大声で笑った。
「若造にそんなことを言われるとはねぇ。お前さんの方こそ、まだ若いのに・・・・・・若いんだろ? ほんとにまぁ、夢のないことだよ」
マリオンは、くくくと含み笑いをした。
「若いよ。十七だからね。まだ見た目どおりさ。だけど、そんなことは関係ない」
マリオンは組んでいた足を下ろすと椅子を前に引き、今度はテーブルの上に肘をついて両手の上にあごを乗せた。緑の右目が悪戯っぽい輝きを帯びる。
「どうするの? あんたの方が白い竜より長生きしちゃったら。おおごとだぜ?」
ぎくりとしたように、グロリアが身を後ろにひいた。
「そんなことなんか、起きるものか。竜は長生きだわえ」
マリオンは、口の端にまたシニカルな笑いを浮かべた。
「長生きだということは、いつかは死ぬってことだよ? 魔族や魔獣といえども不死ではないさ」
鼻息も荒くグロリアは、巨大な胸を上下させ、深く息を吸って吐いた。
「次の竜を探せばいいさ」
「そりゃご苦労様なことだ。ま、そのころ僕は、すでにこの世にいないだろうから、全然平気だけどね」
むむっ、という唸り声がグロリアの口から漏れた。
「あ、そうだ。ひとつ聞こうと思ってたんだけどね。僕が竜の寝所へ忍んでいって、目覚めさせたとするよね? 僕がそのまま逃げたりしないって保証は、いったいどこにあるんだい? そのころにはもうすでに僕のこの」
と言って、彼はあごの下から左手を引き出して、自分の左目のあたりをさらりとなでた。
「魔法封じもはずれているはずだけど。僕を引き止める何物もないわけだよね?」
「あるわえ」
グロリアがやっと自分のペースを取り戻して落ち着いたように、にやりと笑った。
「何が? ラヴィ? さらって逃げたらおしまいでしょう? 誰が追ってこられるんだろうね?」
ニコーレがきついまなざしを投げてきたが、何も言わない。マリオンのほうも知らん顔だ。
「財宝も不老不死も僕には魅力がないし、世界を統べることも貿易を仕切ることにも興味はない。・・・・・・もちろん、あんた自身にもね」
再びの無礼な言葉にもグロリアは動じない。むしろ、自信たっぷりにうなずいてみせた。
「お前さんには、まだ言ってないことがあるんだよ。お前さんがどうしても竜を起こしたくなる、そしてあたしにその魔力を預けたくなる、そんな理由がちゃあんとあるのさ」
「中途半端な目覚めで竜が暴走したら、人死にが出るとかそういう話かい? それもあまり僕には関係ないなぁ」
さらっとかなり冷徹なことを言いながら、マリオンは身体を起こした。
「そういう場合は、もう一度竜を封じてしまえばいいだけだしね。だいたい、白い竜はよほどのことがない限り血を流すことはないと思うよ。光の中に飲み込んで消滅させることはあるかもしれないけどね。町がひとつなくなっちゃったりしたら、さすがにまずいとは思うけど、あんたの部下がどうこういう場合には、あんまり罪悪感はないかもね? 頭のよくない独裁的な暴君に仕えていた間抜けな自分を呪うしかないだろうから・・・・・・」
じろり、とグロリアの目がマリオンをねめつけた。そろそろ彼女の堪忍袋も限界にきているのかもしれない。ひくひくとこめかみが引き攣れているのが、遠くからでも見てとれる。だが、口調のほうは極めて穏やかに抑えてあった。
「今、そんな大口を叩いていると、いざというときに困ることになるわえ。あんたの青ざめた顔を見るのが楽しみだよ」
マリオンはつんと顎を上げ生意気な表情を浮かべると、ふふん、と鼻で笑った。
「今の言葉、そのまんま返してあげるよ。ま、僕は別にあんたの青ざめた顔なんか見たくもないけどね」
ばん、と分厚いグロリアの手がテーブルを叩いた。びりびりとテーブルが震え、上の皿や壺がぶつかりあってかちゃかちゃと音を立てた。
「もういい! お前のしたり顔の講釈なんぞ、聞きたかないわえ! ニコーレ! この子を岩牢へもどしておしまい!」
「おやおや、話がまだ全然終わってないんだけどな」
マリオンがつぶやくが、もうグロリアは聞いていない。ニコーレとケイモスともう一人の男がマリオンの背後に立ち、彼に立ち上がるように促した。
「三日後だ。お前が竜を起こしにいくのは! いいね、戯言なんぞ、聞きたかないよ? 説明や質問はニコかラヴィにお聞き! その日まであたしにその顔を見せないでおくれ、いいね?」
マリオンは肩に手をかけようとするケイモスの手を振り払い、静かに立ち上がるとグロリアに向かって、完璧に貴族の流儀にのっとった優雅な動作で一礼した。
「では、これにて失礼いたします。レディ・グロリア、ごきげんよう」
ぎりぎりとグロリアが歯噛みする音が、テーブルの端にいても聞こえてくるようだ。彼女の顔がすっかり赤黒く染まり、今にも血管がぷつんと切れてしまいそうに見える。マリオンは涼しい微笑を貼り付けたまま、くるりと踵を返し、三人の護衛を従えたどこかの王侯貴族のような格好で部屋から出た。その後ろで閉まった扉に、がしゃん、と分厚く重いグラスが叩きつけられる音が聞こえた。
「なんでお母様をあんなに怒らせちゃうわけ?」
廊下の半ばまできた時に、駆けてきたラヴィーニアが息をはずませながら、マリオンに追いすがった。
「さぁね? ま、成り行き、かな? そもそも、僕だってかなり怒ってるんだよ?」
ラヴィーニアは深くため息をついた。
「だからって、あんな・・・・・・。これからなだめるのに苦労するわ」
「だいいちね。こんなやり方は賢くない」
マリオンの強い口調に、はっとラヴィーニアが彼の顔を見上げた。
「僕の好奇心をうまく刺激しとけば、何の見返りもなく僕は竜の目覚めに協力したかもしれない」
心の中で『占い女アニスのように』と付け加える。
「僕は自由を束縛されたり、権力や腕力で脅されるのが一番嫌いだ。僕の反感を一番買うやり方でやろうとするから、こんなことになるんだよ。おんなじやり方でどこが悪い?」
ラヴィーニアに言い聞かせるようなマリオンの言葉に
「やつが考えたんだ」
ぼそりとニコーレがつぶやいた。
「だれ?」
マリオンが眉を寄せてニコーレを振り向いた。
「魔術師だよ、セルブラント」
「そいつも頭が悪い・・・・・・」
と、言いかけたマリオンの背筋がざわめいた。一番反感を買うやり方を、わざと、セルブラントがグロリアに提案したことに気がついたからだ。
「こうなることを予測してたんだろ、きっと」
ニコが面白くなさそうな口調でつぶやき、マリオンが無意識に小さくうなずいた。
「そのようだね。彼は・・・・・・」
僕をよく知っている、という言葉を、喉の奥に飲み込みながらマリオンは唇をかんだ。
「俺にはお前も馬鹿の仲間に見えるけどな」
ぼそりとつぶやく意外に鋭いニコーレの言葉に、マリオンは首をすくめて
「ごもっとも・・・・・・」
と、言うしかなかった。のせられた僕が一番大馬鹿なんだ。グロリアに余計なことをしゃべらせないために、なのか。それとも、あまり考えたくはないが、単に僕への嫌がらせのためなのか?
すっかり黙り込んだマリオンを心配そうにラヴィーニアが見つめ、さらにその彼女をニコーレが見ている。しかし、見られている方はどちらもそれを知らない。期せずして「見ている側」が、両方とも小さくため息をついた。




