Last はじまりの握手
案の定、智弘は電話に出た。
私の声だとわかった瞬間、戸惑いはしたものの電話を切ることはしないでくれて、彼のアパートで会う約束を取り付けた。
鍵は開いていた。すぐにドアを開けて、部屋に駆け込む。智弘の姿を見た途端、私はしがみつくように抱き着いた。
「ごめん…」
ためらいつつも背中に手を回してくれたことに、安堵を覚える。
「ごめんって、何によ」
「…連絡、無視して」
「それだけ?」
「……あの日、俺、無理やり…、怖かったよな」
そう言って私を引き離そうとする智弘の腕を、離すもんかと掴む。
「怖くなんてなかった。ただ、話して欲しかったよ…」
何を思っての行動だったのか、わからなかったその時でさえ、抱かれているはずなのに、私が彼を抱きしめたいと思っていた。
こんな風に気持ちをぶつけてくれることさえ嬉しいと思ってたの。
「智弘が私にしてくれたから、返してあげたいとか、そういう気持ちじゃなくて。私が――智弘に何かできること、してあげたいって思った」
「…十分、救われてたよ」
「違う、だって、私は――知りたかったのよ」
智弘の“傷”を。
「傷の舐め合い、なんでしょう?どこに傷があるのか、教えてくれなきゃ、舐めてあげられない…」
傷を舐め合うなら、それこそ対等でなくちゃ意味がない。
奈津美さんのこと、ちゃんと逃げずに聞くから。
「…奈津のことは、もういいんだよ」
私に腕を掴まれたままの智弘が、うなだれてつぶやくように言った。
こんな時まで、本心を話してくれないのか。悔しくて途方に暮れそうだ。
「無理しなくていいよ…」
「そうじゃなくて。そりゃ複雑だったよ。でも結婚するって、急な話じゃなかったし覚悟してたから」
「じゃあなんて自暴自棄に…」
「だーかーら!千夏が、陽太に口説かれてるから!」
「はぁ…!?」
「確かに奈津から結婚の話聞かされて、でも思ったよりショックじゃなくて!ああ、俺千夏に会いたいなって思って連絡したら…」
(どういうこと?)
あの日、智弘が私に連絡してきたのは、奈津美さんの結婚報告にショックを受けて、傷ついたからなんじゃなかったの?
だから私のこと、奈津美さんの代わりみたいにして――
「違うわ!どんだけ最低な男だよ」
「最低だよ。でも最低だって思わなかったのよ私は」
「千夏は陽太だけじゃなくて俺まで甘やかす…」
「……違うの?」
「違うよ、千夏のこと、奈津の代わりにしたことなんて、ない」
ゴツンと、頭に固いものが乗る。
話の腰が折れた、とグリグリ顎を擦りつけてくる。痛い。
「……陽太に口説かれても、もうついていくなよ…」
頭の上から、智弘の消え入りそうな声が落ちてくる。
なんか、可愛いこと言っている。
どんな顔で言ってるの。表情が見たくて私は顔を上げるけど、見られてたまるもんかとばかりに避けられた。
でも、サラサラの髪から覗いている耳は、真っ赤だ。
そんな真っ赤な耳して、ついてくなよ、なんて、まるで――私のこと、好きみたいじゃない。
「いや、だから…さっきから、そう、言ってるだろ…」
気づけば、声に出していたらしい。絞りだされた声で届く返答は、なんだか余裕が無さそうだ。
「いつものスマートでいけしゃあしゃあとした智弘はどこへ行ったのよ」
「なんだようるせえな悪いかよ…いけしゃあしゃあって何、使い方合ってる?」
呆れたように言う智弘の声は、優しい。
「俺、あの時、自分の気持ちにびっくりしたんだ。千夏が陽太のことずっと好きなの知ってるの、俺だけなのに。陽太にとられたくないって思った、今は俺のだろって、自分に言い聞かせるみたいに…抱いた」
智弘から語られるあの時の感情は、私の想像とは全く違っていた。
それを聞いて初めて、智弘の伝えてくれる気持ちを、理解できた気がする。
「怖かった。俺は千夏の幸せより、自分の幸せを優先したんだ。だから、合わせる顔が、なかった…」
そのことを、心底悪いことのように智弘は言う。
「私だって、そうだよ」
陽太が、幸せになってくれればいいって思ってた。それは私とじゃなくてもいいとさえ思っていた。
でも、智弘に対して抱いた気持ちは違った。
「智弘が奈津美さんのこと想ってるのもわかってて、でも私は、私が幸せにしたいって、思ったの。それってきっと、智弘の思ってくれた気持ちと、一緒でしょう?」
だから、自分を責めるみたいに言わないで。同じ気持ちだったんだよ。
嬉しかったんだよって伝えたら、今度こそ信じてくれる?
「――信じるよ、……泣くな」
気づけば私は涙を流していたらしい。
一瞬ためらいながらも、智弘は私を胸に引き寄せてくれた。
「……さっきの、返事は」
どれだけそうしていただろう。私の涙が落ち着いてきたのを見て、智弘が私に尋ねる。
「さっきの?」
「陽太に口説かれても、もうついていかない?」
その返事をずっと気にしてたのか。何なの、さっきから可愛すぎるこの人。
愛しさが止まらなくて、胸が苦しい。
「――うん、行かない。私は、智弘のもの」
そう言うと、私を包む腕が強まる。
「あ―…その台詞をね、嬉しいと思っちゃってることに、驚きを隠せないっていうか…」
「隠さないでよ。隠すからややこしくなるんでしょう」
「そうだな、人って…変わるんだな」
自分に似た境遇の女の子を、ちょっと助けてやるくらいの気持ちだったのに。と、智弘はボソボソ呟いた。
結果オーライね、と私が笑う。
いつの間にか、同じだけの気持ちを、天秤にのせてたみたい。
「幸せにしてくれるんだ?」
「そっちが幸せにしてくれるならね」
「いいね、受けて立つよ」
向かい合って、智弘が私の手を取って、ぎゅ、と握る。
それはいつかの、私たちの始まりの瞬間の握手と――まるで同じだった。
(おわり)
天秤(Libra)にのせた気持ちが等しくなりました。ここからが本当の始まりかと思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました!
陽太の告白が中途半端になってしまってますので、その辺の補足を番外編で書きたいと思います。
陽太との関係はどうなったのか、気になる方がいたら、読んでみてください。




