第七話 奥州平泉
佐藤兄弟は、不思議に思った。
なぜなら九郎が何処で手に入れたのか?元服姿だったからだ。それも烏帽子を折る烏帽子屋五郎大夫に源氏の左折れの烏帽子。
「九郎殿、元服(成人)でございますか?何処で?」
「私は16歳になった。旅の途中、祝ってくれる人も居ず、自分で行った」
「元服名は?」
「義経とした」
「源九郎義経殿!」
佐藤兄弟は、尋ねた。
「失礼とは思いますが、代金は如何されたのですか?」
「刀を売った」
九郎は刀を実は元々持っていた。
旅の途中、白木屋と云う店で衣服を揃えた。その際、源氏の証である宝刀を売ったのだ。
常盤御前より三番目に出生した牛若(義朝の九男)の護り刀として左馬頭(義朝)が授けたものだった。武家にて男子出生すれば必ず守刀として刀を授ける習慣があったからだ。
「では、九郎殿は刀をお持ちでは無いのですか?」
「いえ。あります」
と、云うと背に手を回した。そこから鞘も無い刀が出てきた。
「おお!そ、それは如何なる法術か?!」
見事な刀だ。同時に不思議な光を自ら輝かしていた。
何だ?この刀は生き物の様だ・・・
「名は?」
「無い。鞍馬で須佐殿に頂いたのです。何でも使いこなせば私の精神に感応し、不思議な力を発揮する・・・と云われた」
「須佐殿?」
不思議なお方だ・・・・佐藤兄弟は顔を見合わせてひねった。
鞍馬義経祭「牛若丸の歌」一部
一、父は尾張の露と消え
母は平家にとらえられ
兄は伊豆に流されて
おのれ一人は鞍馬山
二、敵の平家をほろぼして
わが家源氏をおこさんと
ひるは学問剣術は
人目をしのぶ夜のわざ
三、七つの道具をなげだして
弁慶あやまる五条橋
金売吉次がおともして
落ちゆく先は奥州路
四、鏡の宿の元服に
その名は義経源九郎
途中のなんぎ切りぬけて
秀衡やかたに着きにけり
そして暫く行くと平泉の都が見えてきた。
九郎は其の大きさに魂消た。
○藤原 秀衡
平安時代末期の武将。奥州藤原氏第3代当主。
保元2年(1157年)、父・基衡の死去により家督を相続。奥六郡の主となり、出羽国・陸奥国の押領使となる。両一円の軍事・警察の権限を司る官職であり、諸郡の郡司らを主体とする武士団17万騎を統率していた。
平泉は平安京に次ぐ人口を誇る大都市だった。財力は馬と金によって支えられ、豊富な財力を以った。
この時代、源平に対抗しうる唯一の氏である。が、奥州は動かなかった。嘉応2年(1170年)5月25日、従五位下・鎮守府将軍に叙任される。右大臣・九条兼実は秀衡を「奥州の夷狄」と呼んだ。貴族達は奥州藤原氏の財力を、その武力が天下に関わる事を恐れながらも、「蛮族」と蔑んだ。秀衡は気にしていたと思われ、源平合戦の際に加担しなかったのも「普段は我らを蔑むくせに都合のいい時に藤原を頼ろうとは愚劣千万だ!」と不満を抱いていたことも中立の立場を堅持した理由ともされている。
では、なぜ、秀衡は源氏の九郎を引き取ったのか?秀衡の舅で、政治顧問であった藤原基成は一条長成(常盤御前の夫)の従兄弟の子で、そのコネをたどったのではないか?とされている。
九郎は秀衡に接見した。
「九郎殿か?」
「いかにも」
「難儀な生い立ちだったな。あなたは此処で何の気兼ねもなく暮らしなさい。私を父と思いなさい。そして武芸に励みなさい」
九郎は信用していなかった。
「藤原がなぜ?私などにそのような施しをする?」
そして馬も刀も与えた。
「裏があるに違いない・・・」
とは云え、どこにも行く場所など無い。
「力を付けるまでだ・・・」
秀衡には6人の息子がいた。後継者は正室腹の次男・泰衡と考えていた。しかし側室腹の長男・国衡も武者柄ゆゆしく期待が高かった。さて、この異母兄弟の間に源氏が入ってきた。
「父は何を考えているのか?」
この時から後継争いが始まるのである。しかし、九郎にはそんなことはどうでも良かった。思うは平家打倒である。
「親の仇、母を妾にした恨み、いつか壊滅させてやる!」




