第四十話 呪い
建久9年(1198年)12月27日、頼朝は、相模川にて行われる橋供養に出かけた。この橋は、稲毛三郎という者が、三年前に亡くなった妻の冥福を祈って造ったものとされている。亡くなった妻は、妻政子の妹というから、頼朝にとっては、義理の妹である。式はやがて滞りなく終了した。
帰路につく途中、八的原と云う場所で、馬が急に興奮し出した。
「どうした?落ち着け。ん?」
ただならぬ気配が生じ、前方が淀み始めた。「何事か?」周りの従者たちには見えないらしい。「鎌倉殿!お気をつけて!」従者たちはひたすら馬をなだめていたが、一向に治らない。
すると・・・・
頼朝の頭上に九郎義経と伯父源行家の亡霊が現れたのだ。亡霊は、ただじっと頼朝を見据えていた。頼朝は、その亡霊たちの姿を絶えがたい恐怖を感じた。「うわあああああああああーーーー!!!」「鎌倉殿!如何されました?!鎌倉殿!」
思わず顔を伏せ、もう一度上げた時は既に亡霊は消えていた。「幻か?」
頼朝は何とか持ちこたえて、先を急ぐと今度は稲村ヶ崎の辺りで、波間に童が現れて、じっと頼朝を見ている。幼くして壇ノ浦に消えた安徳天皇の亡霊だった。「あ、安徳!!!」流石の頼朝は、ついに気を失い、落馬して倒れてしまった。
「大変だ!鎌倉殿が馬から落ちた!」
急ぎ鎌倉に戻った。
頼朝の容態は依然、芳しくない。
「落馬の怪我は癒えたのに、どういうことなのか?」
高熱を出し、呻いている。
「うううう。貴様らにはあれが見えぬのか?!」
わ、わしが殺した者共が亡霊になって、わしに取り付いているのだぞ!
「鎌倉殿は高熱でどうかしてしまった・・・とにかく解熱剤を投与しよう」
「わからぬのか?!四六時中、昼も夜も纏わり付いている!政子!政子!」
「佐殿、佐殿。政子はそばにおりますよ」
「政子、助けてくれ。亡霊たちが、顔の溶けた九郎が、血まみれの平家が何十人とわしを取り囲んでいる」
「佐殿、お気を確かに」
頼朝の容態は一向に良くならない。
「鎌倉殿の意向を汲んで祈祷師を読んでみよう」
それからは、様々な加持祈祷が試みられた。しかし頼朝の容態はまるで良くならない。
「助けてくれーーーーー!!!うがあああああ」
○出雲須佐部落
全国を視察し、情報集めをしていた舞が部落に戻ってきた。
すぐさま武角の待つ部屋へと出向いた。
「舞、ご苦労だったな」
「武角さま、最重要なお話がございます」
「なんだ?述べてみよ」
「鎌倉の頼朝が呪われている・・・と云う噂が」
「呪い・・呪いがどうかは知らぬが、やたらと鎌倉の人間が死んでいるな」
「武角さま、これは将門のせいではないですか?」
「そうかもしれぬ。吐かしておったからな。鎌倉を呪ってやると」
「頼朝を助けられるのは我らだけでは?」
「・・・・舞、お前も知っているように呪いを粉砕するのはそう容易くはない」
「ですが!このまま見捨てるには、あまりにも残酷!」
「わしも将門だろうと思う・・・が、呪いを粉砕するには奴を滅殺しなければならぬ。奴は抜け目ない。どこかに身を隠して我らの目の届かないところから呪術をかけている」
「・・・・」
「それに我らは人助け集団では無い。頼朝とは何の繋がりもない」
「関わるな・・・と?」
「そうだ。因果応報としか云いようがない」
「おそらく、源氏は頼朝の息子の時代で・・・終わる・・・絶える」
「九郎殿がおります」
「将門は九郎殿をもう追わないと云っていた。奴はわかっている。九郎殿はすでに源氏を捨てていることを」
「九郎殿はこの先、どうなるんでしょうか?」
「1つの郎党として生きるだろう。わしは楽しみだがの。ははは」
再び鎌倉。
これまでと思った周囲は、正治2年(1201年)1月11日、頼朝を出家させ、13日、最高権力者は呆気なく身罷った。頼朝53歳、痩せ衰えて木乃伊のようになっていた。悲惨な死に様である。
今でも、橋供養があった相模川(馬入川)の界隈(神奈川県茅ヶ崎市)では頼朝の死に関する俗説が残っている。
頼朝が橋の渡り初めをした際に、馬が当然暴れだして、頼朝を乗せたまま馬が川に落ちて、それからこの辺りの川のことを馬入川と呼ぶようになった。
また式の帰途、鶴峰八幡宮付近(茅ヶ崎市浜之郷)で、亡霊があらわれ、馬が暴れ出して棒立ちとなり、落馬をした頼朝が傷を負って、翌年死去した。後年里人たち相計り義経一族の霊を慰めるために、この場所に弁慶塚を造った。




