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第三十話 静

九郎は捕虜とした平宗盛らを連れて京都に戻った。

「九郎さま、ご無事で」

待っていたのは白拍子しらびょうし(踊り子)・しずか(17歳)。かつて平氏追討の戦勝祝賀会で見そめた愛妾である。九郎も父に厭わず妾を多く持った。20人ほど居たと云われている。静もその中の1人であった。

「静、私は親の仇を取ったぞ。誉れ高いか?」

「はい」


後白河法皇は鎌倉に大勝利の恩賞にと九郎に更に官職を与えた。

「兄者、私が京を席巻して見せますぞ」九郎は鎌倉政権の将来に「良かれ」と思ったのである。・・・が。源範頼と梶原景時は鎌倉への報告のため、先に京を出て鎌倉に帰った。


噂を聞いていた頼朝は弟に恩賞を与えようと思っていた。

すけ殿(頼朝)、範頼と景時が戻りました」

「景時、苦労であったな」景時が頼朝に接見した際、思いもよらぬことを述べた。

「佐殿、九郎殿は弟君であられますが、正直に報告させていただきます」

「善い、気兼ねなどするな。正確な報告が知りたい」

「恐れながら云わせていただきます。九郎殿は暴挙による、暴挙。1つ、高慢で誰も心から従っていない。2つ、手柄は自分一人のものと考える。3つ、法皇を頼朝より重んじている。4つ、24名の家来が義経の真似をして勝手に官位を受けました」等、激しい怒りをぶつけた。

範頼も似たような報告をした。

「う〜〜〜〜む・・・」頼朝は考えた。

「傲慢さがあったのは少々、仕方がないにしても法皇から官職を数度貰って喜んでいるのか・・・」

弟をどう処断すべきか。確かによくやってくれたが、新時代に向けて大事は東国武士団の絶対団結だ。法王に利用されているのが分からぬのか・・・」


頼朝は決断した。

「許可なく官位を受けた24名は鎌倉を追放」「頼朝に忠を尽くす者は、今後、義経に従ってはならぬ」。


この話を九郎が聞いたのは京から平宗盛らを鎌倉に護送する途中だ。

晴天の霹靂せいてんのへきれき

「何故だ?!兄者に会って誤解を解かねば」

急ぎ、弁明書を鎌倉に送った。九郎は宗盛を鎌倉へ護送中である。云わば英雄のはずだ。弁明書さえ届けばこんな誤解はすぐ解け、功績を讃えてくれるに違いない。そう信じた。


しかし、現実は違った。頼朝は怒涛の如く怒った。

「官位の件など何も報告して来ないのに、こんな時だけ送ってくるとは。それもわずか一通!これで済ませるつもりか!」


鎌倉の少し前、腰越に着いた時、足止めを喰らった。

「鎌倉へ入ることまかりならぬ。しばし待て」と警備に足止めされた。一行はそこで数週間待つが音沙汰がない。九郎は頼朝宛に文を記す。

これが世に云う「腰越状」である。

弁慶が下書きした書が現在も残っている。


『腰越状』内容一部

「当然恩賞があるべきはずなのに、讒言ざんげん(悪口)によって、勲功を黙殺されたばかりか、義経は犯した罪もないのにお咎めを受け、ただ為すことなく血の涙を流しております。事実を調査せず、鎌倉の中へさえ入れられませんので、私の思うところを申し上げることも出来ず、むなしく数日を送りました。このような事態に至った今、兄上の顔を見る事も出来ないのならば、骨肉を分けた兄弟の関係が既に絶え、前世からの運命も極めて儚く、縁は何の役にも立たないのでありましょう。亡き父以外に、誰が私の悲しい嘆きを申し開いてくれましょう。誰が憐れみをかけてくれましょう」


腰越状を読んだ頼朝は胸を動かされ、京都に帰して少し様子を見ようと思った。「弟は戦士としては凄い奴だ。だが政治には疎すぎる。まだ子供なのだ。平家を父の仇とばかりに日々を送ってきたからか・・・しかし、許せば団結に私が背くことになる・・・」

頼朝は悩んだ。


九郎はその間、待ちに待った。しかし、ついに思い発した。「私が真の心をを込めた『腰越状』が無視された」と。「京に帰ろう!」「く、九郎殿、誠か?」誰もが思った。「まずい!」「九郎殿。待ちましょう」「もう善い!頼朝に恨みがある者は私について来い!」この言葉は即、頼朝に伝わった。

「おのれ!九郎」頼朝は九郎に与えた平家の旧所領24ヶ所を全て没収した。兄弟の契りは切れた。


九郎は近江(野洲市大篠原)で宗盛を斬首し京都に戻る。京に入ると頼朝と対立していた叔父・源行家が「こうなれば西に独立国を作りましょう」と接近してきた。頼朝は、九郎と行家が手を組むのか調査させた。結果、頼朝は「行家討伐令」を伝え、義経追討を決断する。


4ヶ月後、義経は刺客60騎の襲撃を受け、兄が自分を殺そうとしていると悟り、行家と結んで挙兵に踏み切った。後白河法皇に頼朝追討の発令を求め、従わないなら皇室全員を引き連れ九州で挙兵すると告げ、法皇は「頼朝追討」の宣旨を下した。しかしその直後、朝敵にされて怒った頼朝が、6万の大軍を都に送ると聞き及び、態度を180度変えて、今度は頼朝に求められるまま6日後に「義経追討」の宣旨を下すのである。

九郎に味方の武士が集まらない。彼に恩賞として用意できる所領がなかったことが何よりの原因である。西国で再起を図るべく大阪湾に出たが、暴風に吹き戻され、家来とも離れ離れになってしまう。その後、女人禁制の吉野山に身を隠し、静とも別れる。都に戻ろうとした静は従者に裏切られて荷を奪われ、頼朝勢に捕らえられてしまう。


鎌倉に送られた静は九郎の逃亡先を尋問されるが、彼女は何も知らない。なら、舞の名人ゆえ、源氏の繁栄を祈る舞を鶴岡八幡宮に奉納せよと命じられる。静は頼朝の為に舞うなど恥辱とし、固辞したが厳しく強要され、結局、舞うことになった。ただし、当日の舞は思いもよらぬ内容であった。


「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」

(吉野山で白雪を踏み分け、山深く入ってしまったあの人の足跡さえも今は恋しいのです)


「しづやしづ しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」

(おだまき=麻糸の玉がくるくる回転するように、「静、静」と呼ばれた昔に戻れたらどんなに良いでしょう)


彼女は頼朝の為ではなく、九郎を慕う心を歌い舞った。居並ぶ鎌倉武士が身を乗り出して聴き入る。

彼女は命をかけ、プライドを守ったのである。一同は感動し袖を濡らしたが、頼朝は激怒した。

「わしの前で反逆者を慕い、別れの歌を舞うのか!!」刀を抜き、斬りかかった。

だが政子が割って入ってこう述べた。「私と佐殿も、かつて駆け落ちした身ではありませぬか?静の気持はよく分かります。愛しい人と離れる不安は耐え難きもの。ここは別れてなお慕う彼女の貞節を誉めるべきです」。政子は自分が着ていた衣を褒美として与えた。

妻に諭されて頼朝の勘気は収まった。

しかし、静は許された訳ではない。九郎の子を宿していたので鎌倉で産むよう命じられた。頼朝は「女子なら見逃すが男子なら殺せ」生まれたのは男子だった。泣き叫ぶ静の腕から赤子は取り上げ、由比ヶ浜の海に沈められた。静は半狂乱になった。

9月、半年の鎌倉幽閉を経て静は自由の身となり京都へ帰った。静が鎌倉を去る時、政子や大姫(頼朝の長女)たち女性陣は、彼女に同情してたくさん贈り物を送った。


その後の静の伝承は様々である。九郎を追って奥州へ向かった途中、彼の死を知ったとされるものや自殺したなどが残っている。

とにかく20歳そこそこで亡くなったとされている。

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