第二十六話 壇ノ浦模索
九郎軍は屋島の後、下関に向かったが、嵐に遭い、1ヶ月ほどかかった。その先の彦島には平家が居る。彦島は本州最南端にあたる。目の前は九州。その間を挟む海峡が関門海峡。すでに源範頼が3万余騎を持って九州を制圧していた。下関は梶原景時の軍が制圧していた。
平家は地上では負ける。水軍に疎い源氏軍とは海上決戦に持ち込むに違いない。
今度は奇襲とはいかない。正面決戦である。
九郎は摂津国の渡辺水軍、伊予国の河野水軍、紀伊国の熊野水軍などを味方につけ、840艘の水軍を編成していた。
合戦前の軍議、軍監・景時が述べた。
「私が合戦の先陣になり、指揮いたします」
九郎はその意見を「否」とした。自らが先陣に立つと云うのである。
景時は「大将が先陣など聞いた事がない。あなたは将の器ではないですぞ!」と云い合いになり、斬りあい寸前にまでなった。これが後の景時の頼朝への讒言、義経の没落に繋がったのではないか?
九郎は思った。「平家は500艘が善いところだろう。こちらは840艘。確かに数では優っているが。我らの水軍は取って付けた付け刃。景時にこの無頼の水軍を纏められるか?否だ。しかも、ここは彼らの膝元だ。平家は地の利を利用するに違いない・・・」
地の利・・・が九郎にはわからなかった。
そこで地元の漁師たちが呼ばれた。
「何処で戦えば有利だ?」
漁師たちは述べた。「関門海峡では狭すぎます。壇ノ浦に持ち込むべきでしょう」
「ここは潮の流れが急ではないのか?」
「確かに急ですが、魯を取られることはないですじゃ。しかも午前と午後では流れが変わります」
「如何様に?」
「全く逆になります」
「では、その潮に乗れば勝てるか?」
一同からおお〜〜っと、声が上がった。つまり、まず操舵人を殺して、船の動きを止めてしまえば善い。
数で優っている源氏軍が各船を取り囲み、一気に襲う。
「ですから船がもって行かれる程、流れは急ではないです。平家は潮の流れを知っています。その手には乗りません」
合戦は午後との書が届いていた。潮が落ち着いた時を指示している。
「とにかく壇ノ浦に持ち込むことです」
「他に手は無いか?」
「ワシらは漁師です。戦術などわかりません」
「わかった。かたじけないな。漁師たちに明日は海から退去するよう伝えてくれ。弁慶、褒美を渡せ」
裏をかく手はない。ガチ勝負だ。
とんでもない合戦が行われる・・・漁師たちは震え上がっていた。
九郎は一ノ谷以来、正攻法で勝ち進んだことは無い。数で勝れば勝てるとも思っていない。
しかし、梶原景時は違った。「数で押し込めば善い」
幹部同士がこういう場合、危険を孕む。
「須佐の力を使おう」九郎は思っていた。
景時は九郎がそんなことを考えているとは思うわけもない。「なんだ、こいつは?俺が、俺がと・・・兵たちが可愛そうだ」
元暦2年/寿永4年 3月24日(1185年4月27日)午の刻(12時頃)、知盛率いる平氏軍が彦島を出撃して、「関門海峡壇ノ浦」で両軍は向かい合った。




