第二十三話 一ノ谷へ
三草山の勝利の後、部隊を3手に分けて福原に向けた。敗走する平家軍を追撃するは土肥実平。北から福原を攻める安田義定。九郎自身は奇襲を仕掛けるため、鵯越からさらに南下し一ノ谷を目指した。その数、70騎。
東は源範頼、北は安田義定、西は九郎義経と、平家の本拠地を挟み撃ちする戦術である。
寿永3年/治承8年(1184年)2月7日早朝、源氏主力軍の源範頼が東から攻め込んで来た。しかし、福原では平家も兵力を増員し、生田川で両者一進一退の攻防が続いた。
鵯越からの悪路を九郎は華麗に騎馬で進んでいく。「九郎殿は馬を自分の手足のように扱う」
途中、弁慶が地元の年老いた猟師を道案内として連れてきた。
「平家の陣はこの先ですが、残骸絶壁の下。とてもじゃないが行けません」
「回り道は?」
「無いんですじゃ」
「九郎殿、如何しましょうか?」
九郎は猟師に問いた。「・・・鹿はこの崖を降りるのか?」
「鹿は行きます。外敵から逃れるためです」
「・・・鹿も四つ足、馬も四つ足・・・」
「なんですと?九郎殿」
「蝦夷(アイヌ)の狩りのやり方だ」
「蝦夷!」佐藤兄弟は知っている。九郎が蝦夷の村に居たことを。
「騎馬で崖から奇襲をかける」
「な、なんですと?!そんな無茶な!」
そして数頭の馬を崖に突き落とした。すると、無事に崖を降りることが出来た馬がいた。
「行くぞ!」
「と、殿原、遅れを取るな!」
どどっっどどどっどど!!!!
九郎が自ら先頭に立ち、崖を騎馬で駆け下りていった。
これが有名な「義経の逆落とし」である。
この大奇襲に平家は大混乱。兵力的には平家が優っていたが、逃げ出す兵が続出した。そこへ土肥実平らが合流。平家軍は次々と討たれ、鎌倉軍は一ノ谷の防衛線を奪い取った。
「見ろ!一ノ谷を!」
こう着状態だった福原生田川では範頼軍が一ノ谷から煙が上がるのを見た。「九郎殿がやった!」奇襲成功を確認した範頼軍が平家軍に総攻撃を仕掛けた。
「一ノ谷からも鎌倉軍がくる!」
背後を抑えられた平家軍は大混乱に陥り、範頼軍は防衛線を突破する。更に北から安田義定も平家防衛線を突破。挟み撃ちにされた平家の大敗北を喫した。
平家軍は船へと逃げ込み込んだが、全ての兵が船に乗れるわけはない。定員超過で沈没し多数の兵が溺死。我先に船に乗らんと互いを蹴落とし合いの逃走。海岸は血で染まった。
平敦盛も船に乗るべく、海へ向かって敗走していた。海に入った時、鎌倉軍の追討兵が敦盛に追いついた。名は熊谷直実。
敦盛が振り返ると熊谷はびっくりした。
「この男、若いが身分の高い奴だ」敦盛の顔など知らない。
「鎌倉兵!私は極上の相手ぞ。打ち取れば出世するぞ!」
熊谷は勇猛な武士である。敦盛などではかなう相手では無い。
「此奴、死を覚悟している・・・」
鎌倉の援軍がその場にやって来た。「熊谷が対峙している。加勢しろ!」
敵の身なりを見るなり、「此奴、平家の大将ぞ!殺せ!」
「まて!」と熊谷が味方を制止した。
「熊谷殿!」
「此奴には名誉の死を。惨殺はやめろ!私が首を切る!」
敦盛は座り込んで覚悟を決めた。
そして、熊谷は敦盛の首をはねた。
平敦盛・享年17。
此の敗北で平家は壊滅的な被害を被った。幹部級も次々と討ち取られた。此の時期の戦いにより平家滅亡が確定的になったと云えるかもしれない。
「出雲など余計な戦さだった。こちらに全集中させるべきだった・・・」
出雲の戦さほど恥な戦いは無かった。
「須佐は何処で出てくるのか?・・・その時は平家の最期だ・・・」
平家の弱体の影には須佐があった。
「兵をどう動かす?」
平家は皆、四国屋島に逃げ込んだ。




