第十七話 義仲の反乱
少し時間を戻す。
義仲は平家を追い出して入京、蓮華王院に参上し、平氏追討を命じられる。公卿議定において、勲功の第一が頼朝、第二が義仲、第三が行家という順位で、位階と任国が与えられた。京中の狼藉の取り締まりをも委ねられる。義仲は武将を周辺に配置して、自らは中心地である九重(左京)の守護を担当した。
後白河法皇は天皇・神器の返還を平氏に求めたが、交渉は不調に終わった。
やむを得ず、都に残っている高倉上皇の二人の皇子のいずれかを擁立することに決めた。ところが義仲は「今度の大功は自らが推戴した北陸宮の力じゃないか。平氏の悪政がなければ以仁王が即位していたはずだ。よって以仁王の系統こそが正統な皇統として、北陸宮を即位させよ」と朝廷に執拗に申し立てた。
「皇族・貴族にあらざる者」が皇位継承問題に介入するは、皇族・貴族にとって不快であった。
後白河法皇は「天下静ならず。又平氏放逸、毎事不便なり」と義仲を責めた。義仲はすぐに平氏追討に向かうことを奏上し、失った信用の回復のため、戦果を挙げたかった。義仲は腹心を京に残して平氏追討のため、都を後にした。
義仲の出陣と入れ替わりに、朝廷に頼朝の申状が届く。内容は
「平家横領の神社仏寺領の本社への返還」
「平家横領の院宮諸家領の本主への返還」
「降伏者は斬罪にしない」
「一々の申状、義仲等に斉しからず」
つまり、上口は義仲には値しない・・と云う事だ。決別を意味している。決別とは「死」である。
法皇は頼朝を本位に復して赦免し、東海・東山両道諸国の支配権を与えた。
そんなことは知らぬ義仲は、西国(西日本)で苦戦を続けていた。水島の戦いでは平氏軍に惨敗した。そんな時、義仲の耳に飛び込んできたのは「頼朝の弟が大将軍となり数万の兵を率いて上洛する」と云う。驚いた義仲は平氏との戦いを切り上げ、少数の軍勢で帰京する。
その間、後白河法皇は義仲軍を壊滅させる準備に入った。
延暦寺や園城寺の協力を要請し、僧兵などをかき集め、堀や柵をめぐらせ法住寺殿の武装化を計った。更に義仲陣営の摂津源氏・美濃源氏などを味方に引き込み、兵数は義仲軍を凌いだ。
そして法皇は義仲に対して最後通牒を行う。
「ただちに平氏追討のため西下せよ。院宣に背いて頼朝軍と戦うのであれば、宣旨によらず義仲一身の資格で行え。もし京都に逗留するのなら、謀反と認める」
後鳥羽天皇、守覚法親王、円恵法親王、天台座主・明雲が御所にて、義仲への武力攻撃の決意を固めた。
追い詰められた義仲は法住寺殿を襲撃する。義仲軍の決死の猛攻の前に法住寺殿側は大敗した。御所から脱出しようとした後白河法皇を捕縛し、五条東洞院の摂政邸に幽閉する。義仲は天台宗の最高の地位にある僧・明雲の首を川に投げ捨て、義仲は五条河原に百余の首をさらした。
「首を?・・・」九郎が弁慶の話に聞き及んだ。
「そうです。奴らは、僧や法皇側の兵を・・・」
「狂っている・・・」
九郎が京を夜半、視察したのはそういう頃である。
その後、九郎たちは、範頼軍と落ち合った。
「範頼!京へ!一気に攻め入るぞ!」
「おおーーーー!!」




