第十一話 鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮。通称、鎌倉八幡宮。
京の石清水八幡宮を祖としている。清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの氏神として崇敬され、武神・弓矢の神・必勝の神とされた。
頼朝は現在は無くなったが、本宮裏にあった宮に住んでいたと云われる。其処で軍事作戦会議などもしていたらしい。何といってもパトロンは伊豆の豪族・北条が付いている。八幡宮周りには家臣たちなどの屋敷が立ち並んだ。
山を削った「切り通し」と呼ばれた辻は、独特の景観だ。辻幅は馬一頭が通れるくらいの狭さ。そして壁肌は斜めに傾斜している。切り通しの一番の目的は物資の輸送だ。各地から行き来した。そして敵来襲の際、多くの兵が一遍に通れない作りである。切り立った崖上には鎌倉武士が弓や槍を構え、それに対抗する。普段でも崖上には見張りを要した。
「我らの拠点は此処だ」
伊豆に幽閉されていた頃は、亡き父を思い、読経に暮れていた頼朝である。心身深さが読み取れる。
完成までには十年ほど掛かっている。
その間も戦さは幾度もあった。勝ちもあり、負けもあり・・・情勢は良いとは云えなかった。
宮の周りには寺院も多く立ち並んだ。戦死者は其処に弔われた。しかし、あまりに戦死者が多く、寺でも収容できなくなった。その為、下位武士は切り通しの壁に穴を掘り、埋葬された。「やぐら」と呼ばれる。
現在でもその跡が見て取れる。
「鎌倉は武士の亡霊が漂う都」
そんな言い伝えも揶揄された。
しかし、そんなものはまだない。貧弱な八幡宮の建立始めの頃である。
「後白河天皇は清盛はどう出るか?」
武士政権は平家が最初であるが、本当の武士政権は鎌倉から始まる。その時代は約700年続いた。
鎌倉に居を構えた頼朝は源氏の長となり、戦さに出るよりも作戦の立案や政(政治)に司るようになる。
「頭が痛い・・・もっと激烈な武士は居ないか?」
何といっても戦さに勝たなければ政もない。
そんなある日、頼朝を訪ねる武士集団がやって来た。
「平泉・藤原の武士団?」頼朝は理解出来なかった。
「その大将が九郎義経と申しております」
「九郎?!常盤の子か?生きていたのか!よし、通せ」
九郎は頼朝に接見した。
「九郎か?」
「はい、兄者、やっとお会い出来ました」
「うむ。苦労をかけたな。この時勢に駆けつけてくれたか・・・嬉しいぞ」
「兄者・・・・」
二人はその場で泣き崩れた。周りにいた家臣たちも、もらい泣きしたと云う。
後、武士政権を確固たるものにする頼朝と天才武将と歴史に残す義経、この異母兄弟二人が両雄組んだのである。奥州藤原をバックとする義経。伊豆・北条をバックとする頼朝。「平家を倒せる!」誰もがそう思った。が、現実は違った。つまり、源氏が2人になった。これが悲劇になって行く。




