第十話 頼朝の決起
伊豆蛭ヶ小島が、キナ臭い。
ガサガサ。
「誰だ?!」
頼朝の見張り、平家付きの武士達は夜半、怪しげな人の気配を感じた。
キラリ。
月下の光が何かに反射した。
「あれは刀だ!」
ザザザザザザ。
うおりゃああああーーーー!
数十人の武士が踊りかかってきた。
「敵襲!」
見張りは魂消て、やっと刀を吹いたが時遅し、ズバッ!一人が斬られた。
がキーン、チャリーン!
見張りは五人ほどだ。
「な、何者だ!貴様ら」
問答無用。バサバサと斬りにきた。
ぐわあああ!
数十人の武士を相手ではたまらない。しかも奇襲だ。見張りはあっと云う間に全員斬り殺された。
「佐殿!」その武士達は頼朝の小屋の前に出た。
「阪東の者たちか?」
「左様です。北条家のものです」
この時、すでに頼朝と政子(北条時政の長女)は婚姻を結び、娘を出産していた。父・時政はこの婚姻に反対であったが、政子は家を飛び出し、自らの道を選んだ。
「逃げましょう!」
「あい、わかった」
この少し前、「以仁王の令旨」と云う報が頼朝に届けられた。
○以仁王の令旨
以仁王・後白河法皇の第三皇子。彼は平氏政権の圧力で30歳近くでも親王宣下を受けられずにいた。平家が皇家に踏み入り次々と公職についたからだ。それでも、出家せずに皇位へ望みを託した。だが、安徳天皇の即位によって思いは断たれ、基盤である荘園の一部も没収された。
流石に烈火の如く怒った。治承4年(1180年)4月9日、源頼政(平治の乱の時、クーデターを起こした源義朝と敵対し、平家に加担した人物)と謀った以仁王は、「最勝親王」と称し、諸国の源氏と大寺社に平氏追討の令旨を下した。
『平家物語』に、挙兵を呼びかける諸国源氏の名が記されている。
この挙兵の理由はこうだ。
「皇位をだまし取る平氏を討ち、皇位に就くことを宣言する!」
しかし、以仁王は戦いの中、敵の矢に当たり落馬したところを討ち取られた。
以仁王と頼政の挙兵は失敗したが、源頼朝や源義仲、甲斐源氏、近江源氏などが各地で蜂起し、治承・寿永の乱の幕を開けた。
令旨が出されてから暫く、頼朝は静観していたが、平清盛が各地の源氏派を潰しにかかった。
命の危険を感じた頼朝は、決起を施したのである。
まず、石橋山の戦いで敗北し、真鶴岬(岩海水浴場)から船で安房国(千葉県)へ脱出した。房総の上総広常と千葉常胤に加勢を要請し、その後、千葉一族と合流、広常が大軍を率いて参上し、上総・千葉両氏を勢力に加えた頼朝は太井・隅田の両河を渡り、武蔵国に入ると葛西清重、足立遠元に加え、一度は敵対した畠山重忠、河越重頼、江戸重長らも従える。
治承4年(1180年)10月6日、かつて父・義朝と兄・義平が住居した鎌倉に入る。
此処には康平6年(1063年)、河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都・石清水八幡宮を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮(現元八幡)として勧請した宮がある。
頼朝はご先祖に祈願しに来た。その隣には政子も同行した。占い師も連れていた。
決起の報告である。
「おばあ(占い師)、わしは平家を討てるか?」
「明るい未来と闇の未来が見えまする」
「ははは、あやふやな答えじゃの。いいか、政子。わしは先祖の前で誓うぞ。平家を打倒する。そして此処、鎌倉を寝ぐらとしよう」
「此処をですか?」
「そうだ。先ほど見たろう?あの場所に城ではない。八幡宮を建立する」
「そんな、無防備なものを寝ぐらに?」
「情景を見ろ。三方を山に囲まれ、一方は海だ。自然の城壁となる。そして宮は一般に開放する」
「な、なんと?!」




