第二話 逃走の理由
国道に出てから五分ほど、俺たちは黙っていた。
ラジオもつけなかった。エンジン音と、タイヤが路面を踏む音だけが車内に満ちていた。助手席の女は膝の上で手を重ねて、ただ窓の外を見ていた。
「名前、聞いてもいいですか」
「凌」
「小春です」と彼女は言った。「小さい春と書いて、小春」
小春。声に出さずに、頭の中でなぞった。
「なんで逃げた」
「式場のトイレの前で、父の電話を聞いてしまって」
声は静かだった。泣いてもいなかった。
「相手方に多額の負債がある。うちの会社と合併させるための結婚だって。父がそう言ってた」
「それで逃げたのか」
「あの場で問い詰めても、ごまかされるだけだから」
「賢い判断だ」
「サンタクロースに言われるとは思いませんでした」
「俺は今日だけサンタだ」
「そういう仕事なんですか」
「そういう仕事だ」
小春は窓の外に目を向けた。夕暮れ前の空が、橙色に差し掛かろうとしていた。街道沿いの古びたガソリンスタンドが、オレンジの光の中に浮かんで、すぐに後ろへ消えた。
しばらく黙っていて、また小春が口を開いた。
「その会社、名前を聞いたことがあります。父の電話に、何度も出てきてた」
「その会社の名前は。」
「アーク……何とかって。聞き取れなかったんですけど」
俺はハンドルを握ったまま、何も言わなかった。
麻袋の中の封筒。その表に印刷された会社名が、一瞬だけ頭をよぎった。
訊かなかった。訊かないのがルールだ。
信号が赤になった。隣の車線に、花屋のトラックが停まった。荷台から零れるように、白い花が覗いていた。小春はそれをじっと見ていた。何も言わなかった。
「腹は減ってないか」
信号が青になった。俺はアクセルを踏んだ。




