第一話 サンタと花嫁
師走の午後三時、俺はサンタクロースの格好で銀行を出た。
赤いジャケット。白い付け髭。背中の麻袋の中身は、現金ではなく書類一式だ。排気ガスと乾いた冬の風が、鼻の奥に刺さった。師走の街は忙しない。誰もが俯いて、足早に歩いている。
仕事の依頼は、いつも同じ経路で来る。携帯に番号非通知の着信があり、場所と時間と「何を」だけが告げられる。「誰から」と「誰へ」は教えられない。俺も訊かない。それがこの仕事のルールだ。
今日の格好は依頼主からの指定だった。「目立たないように」ではなく、「目立っても記憶に残らないように」。師走のサンタは、翌日には誰の記憶からも消える。
——そのはずだった。
封筒を受け取る際、銀行の担当者の手が一瞬だけ震えていた。
訊かなかった。訊かないのがルールだ。
引き渡し先は高速で一時間半の倉庫。あと三時間ある。駐車場に向かって早足で歩いていると、後ろから声がした。
「待って」
振り返ると、ウェディングドレスを着た女が立っていた。
白い。頭のてっぺんから足の先まで、徹底的に白い。ベールはなく、髪はところどころほつれている。ヒールの片方が、根元から折れていた。くすんだアスファルトの上で、そのドレスだけが場違いに白かった。
師走のサンタと逃げた花嫁。組み合わせとしては最悪だ。
「乗せてってください」と彼女は言った。「お願いします。どこでもいいので」
声が、思ったより静かだった。泣き声でも、叫び声でもない。どこか芯の通った、静けさだった。
俺は彼女を見て、腕時計を見た。十五時十二分。余計なトラブルを抱える余裕はない。
だがこの女がトラブルになるかどうかは、まだわからなかった。
「どこでもいい、は困る」
「じゃあ、ここから遠ければどこでも」
まあ、遠くには行く。
「乗れ」
彼女は「ありがとうございます」とも「助かります」とも言わず、ただ静かに助手席のドアを開けた。折れたヒールのせいで、少し足を引きずりながら。
車内に、かすかに花の匂いがした。式場の花か、それとも彼女自身の匂いか、判断できなかった。
——俺の仕事は、書類を届けるだけでいい。記憶に残らなければいい。
第1話 完
なのになぜか、その日は妙に記憶に残りそうな予感がした。




