8.経験から来る最大の防御を
「……毒、ですか?」
「今はまだ、その可能性があるという段階です」
わたくしが戻ったのが、式の最中ということは、今はまだ暗殺者に襲われていないということ。
確定しているのは、式前の水差しの件のみ。
……そう言えば、何故式の最中に戻ったのかしら……? 一番最初は水差しを侍女から受け取るところだったのに、それ以降は式の最中でしたわね……。決定的な違いは、アドリアン様が側にいること、かしら? この点も、考える必要があるのかもしれませんわね。
……ですが今は、目の前のことを。
「当家は、家柄的に恨みを買っていてもおかしくございません。失礼ながら、マルクス家はいかがでしょうか?」
「……私の家は、新興貴族ーーいわゆる成り上がりです。あなたの家以上に、強く恨まれている可能性はあるかもしれません」
そう。マルクス家は近年勢いをつけている家門。古くからいる貴族たちの中には、煙たがる人間がいてもおかしくない。
……ですがそれならば、狙われるのはアドリアン様であって、わたくしではないのでは?
「あなた様が個人的に恨まれている可能性はございませんの?」
「私が、ですか?」
「他意はございません。可能性の話でございます」
一瞬、片眉を上げたアドリアン様は、すぐに目を伏せ考え込むように顎に手を当てた。
「ない……と、思いたいですね」
わたくしを見ながら、眉を下げて言うアドリアン様は、前回も思いましたけど……存外、可愛らしい方ですわ。
「わたくしは邸宅に到着次第、お父様に手紙を書こうと思います」
「ヴァルモン公爵に?」
「はい。マルクス家には騎士団がなく、わたくしが連れて来れた騎士は三名のみ。ですので、小規模でもマルクス家に私設騎士団を作ることを優先させたいのです」
「うちに……騎士団?」
寝耳に水とでも言うかのような顔をするアドリアン様に、さらに言葉を重ねる。
「失礼ながら、マルクス家はヴァルモン家ほど警備は厳重ではないかと存じます」
「まぁ……それはそうだと思います」
「ですので、そこから変えさせて頂きたく存じます」
胸に手を当て、言葉を紡ぐ。
……大丈夫ですわ。この方はきっと、この言葉を好意的に受け止めてくださいますわ。
「アドリアン様には騎士を賄う財力がおありです。そして当家にはそれに見合う騎士がおります。少数でも我が家の騎士を融通してくださるよう、お父様にお願い致しますわ。つきましては、アドリアン様にはその騎士団長を務めて頂きたく存じます」
「……私が、騎士団長?」
アドリアン様は、今日わたくしが見た中で一番、顔を輝かせた。
「式の最中、手を取らせて頂きましたが、アドリアン様には剣の心得があるのではなくて?」
「まぁ、……はい、あります、が……」
「ぜひその腕前で、今後設立されるマルクス騎士団の団長を務めて頂きたいのです」
手を合わせ提案するわたくしに、アドリアン様は頬を掻いた。
「あなたはまるで、私が騎士を目指していたことを知っていたかのようですね」
そう言うアドリアン様に、笑みを返す。
……それはあなた様が、わたくしにお話してくださったことですもの。
そしてあなた様は、ご自身の剣ではないにも関わらず、暗殺者を一人、確保される腕前をお持ちですから。
「私が騎士団長の器かはわかりませんが、令嬢の提案は前向きに検討致します」
「レティシアですわ」
「はい?」
わたくしの言葉に、アドリアン様はきょとんと、随分可愛らしい顔をされた。
「レティシア・アウローラ・マルクスです。名はレティシア。アウローラは洗礼名、マルクスは家名ですので、どうかレティシアと」
アドリアン様は一瞬目を逸らし、考える素振りを見せる。
そして息を吸い込み、
「レティシア嬢」
繰り返す時の中で初めて、わたくしの名を呼んだ。
「もう夫婦ですのに、『嬢』は要らないのではなくて?」
「いや、さすがに公爵令嬢をいきなり呼び捨てには……」
アドリアン様は困ったように口篭る。
……本当に、教育しがいのありそうなお方だわ。
「あなたは、使用人も疑えと言うんですか?」
馬車が邸宅へ向かう道中、今夜起こり得る暗殺者の話と、火事の時のメイドの話をやんわりと伝えた結果だった。
「もちろん疑いたくありませんわ。ですが……愛やお金は人を変えてしまうのも事実です」
火事の時、わたくしたちを閉じ込めたメイドはこう言った。「母さんのためには、こうするしかなかったのだ」と……。
「例えば親を人質に取られ、言うことを聞かなければ危害が及ぶとなればーー」
「手を貸さざるを得ない……」
わたくしが最後まで言うまでもなく、アドリアン様は頷きながら言った。
そして眉間に皺を寄せ、考え込む。
「今の言葉で、思い当たる人がいらっしゃるのですか?」
「……そんなことはないはずですが……『親を人質に』と聞いた瞬間に、思い浮かんだ人間はいます」
「それはマルクス家のメイドか何かでしょうか?」
わたくしの言葉に、アドリアン様は視線を落としながら頷く。
「そう、ですね。父の方針で、仕えてくれる者に対しては破格の給料を出しています。なので辞める者が少ないんです。皆、十年以上働いている信頼できる者だけです。……ですが一人だけ、陞爵した後でうちに働きに来た者がいます」
「……それがメイドでしょうか?」
「はい。元々いた使用人の姪で……確か、病気がちの母親と、幼い兄弟を養っているので、そこを突かれたら恐らく……」
メイドとしてマルクス家に仕えている時間が短ければ、それだけ忠義も薄いと捉えることができる。
……買収されたのは、そのメイドなのかしら。
「とりあえず私の方ではまず、そのロウソクの撤去ですね」
「はい。かなり勢いよく燃え盛るものなので、中に油か何かが仕込まれている可能性があります」
メイドの件とロウソクの件はアドリアン様に一任するとして……。それ以外の可能性となると……。
「どうかされまして?」
わたくしが考え込んでいると、アドリアン様が目を細めてこちらを見つめてきた。
「……暗殺者の件といい、公爵家の情報網は恐ろしいと思ったんです」
困ったように笑いながらアドリアン様は言う。
「訂正させて頂きますわ」
「はい?」
「わたくし個人の情報網です」
……わたくしの経験から来る情報ですもの。
そう思いながら微笑むわたくしに、アドリアン様は唖然とした顔をされた。
直後。
「ははっ! そうですか、レティシア嬢の情報網とは、私は恐ろしい方を妻に迎えたようだ」
わたくしの前で初めて心から、そしてとても楽しそうに微笑まれた。
「あなたの情報網に余計なことを流されないよう、誠心誠意働かせて頂きます」
胸に手を当て、頭を下げながらアドリアン様は言うけれど。
その姿はどこか楽しそうに見えた。
「では暗殺者に備え、早めにお越しください」
「ええ。そのように」
わたくしたちの話が纏まってしばらく後、馬車がマルクス家に到着した。
……どうか、今夜を無事に越えられますように。




