6.逃げ場のない炎
「お嬢様っ!! レティシアお嬢様っ!!」
眠りについたばかりのところを、ルミナの大きな声で叩き起こされた。
「……どうかしたの? もう少し休ませてちょうだい」
「火事ですっ!! 屋敷が燃えてるんですっ!!」
ぼんやりとした頭に、ルミナの叫び声が鋭く突き刺さる。
その言葉の意味を理解した瞬間、眠気が一気に吹き飛んだ。
「申し訳ございません! 火の回りがあまりに早く、レティシア様のお部屋までたどり着くのに時間がかかってしまってーー」
「それはいいから、早く避難を」
そう言いながら、ガウンを羽織ってドアへ向かう。
「熱っ……」
「危険ですので、レティシア様は触られないように!」
ドアノブはすでに熱を帯び、素手では触れないほどになっていた。
「レティシア様、手を口に! よろしいですか? ドアを開けますよ?」
わたくしが頷くのを確認し、ルミナは勢いよくドアを開けた。
ゴォォ……と唸る音とともに、すぐそこまで火の手が迫っていた。
「……なんてこと……」
「こちらです!」
ルミナはわたくしの手を引き、火の手のない方へと駆け出した。
「どうしてこんなに燃え広がってるの!?」
「わかりませんが、結婚祝いとして贈られたロウソクの燃え上がり方が普通じゃないんですっ!」
ルミナは周囲を警戒しながら進む。
……ロウソクの燃え上がり方が普通ではない? それはつまり、意図的に仕掛けられたということーー?
「こっちです!」
わたくしたちが駆け込んだ先には、この屋敷のメイドが立っていた。煙と熱で視界が利かぬ中、その声に、わたくしとルミナは迷うことなく従った。
直後ーーガチャリと音を立てて、部屋のドアが閉められた。
「なっ!? 何するんです! どうして鍵なんて!!」
ルミナがドアを叩きながら叫ぶ。
「……ごめんなさい。母さんのためには、こうするしかなかったの」
ドアの向こうのメイドは、それだけ告げると、足音を遠ざけた。
「……この家の者が買収されていたということですわね」
わたくしの言葉に、ルミナの顔色がさらに青ざめる。
「……もっ、申し訳ございません、私がもっとちゃんと屋敷の間取りを覚えていたらっ」
「今はそんなこと言っている場合ではありません。まずはここからどうやって出るかを考えなくては」
咳き込みながら窓を開け放つと、ここは3階。
この風向きでは、火に包まれるのも時間の問題。……いえ、その前に煙で倒れるかもしれませんわ。
その時、轟音と共に隣の部屋の壁が吹き飛んできた。
「……火の周りが早すぎますわ」
ルミナの言う通り、結婚祝いのロウソクが原因であるなら、あれは全室、そして廊下すべてに飾れるよう贈られたもの。つまり至るところに、火種が仕掛けられているということで……。
完全に見誤ってしまった。
暗殺者を撃退できたことに安堵し、追撃が来ることなど念頭にすらなかった。これは完全にわたくしの落ち度。
こうなれば、何よりも生き残ることが先決。
窓の外を見下ろした、その瞬間――
「レティシア様危ないっ!!」
「きゃあ!」
ルミナがわたくしを突き飛ばした。床に強かに尻を打ちつけ、一瞬、動きが止まる。
自分がいた場所に目を向けるとーー
「ルミナ!!」
炎に包まれ崩れ落ちた壁が、ルミナとの間を遮った。
「レティシア様! お逃げください!」
どう見ても、ルミナに逃げ場はない……。
「お早く! まだ逃げられます!」
「……何を血迷ったことを言うのっ! わたくしがあなたを置いて逃げるわけがないでしょう!?」
はしたなくも淑女らしからぬ大声を上げた。
吸い込む息が熱い。呼吸が乱れる。頭が回らない。
「……そのお言葉を聞けただけで、ルミナは幸せです。どうか私のためにもお逃げください」
ルミナも、もうわかっているはず。
わたくしに、逃げ場などない。
仮に逃げられたとしても、公爵令嬢としてーー小伯爵夫人として、ルミナを置いて生き延びることなど、わたくしにはできませんわ。
「わたくしのメイドはとんだ阿呆ですわ。何年経っても、わたくしの真心を疑うだなんて」
わたくしはもう逃げられない。
大きく吸い込んだ空気は熱気を帯び、体内から焼きつくような熱さを感じた。その熱さは心よりも先に身体を動かした。
……一人で死ぬより、心を許した者の側を選びますわ。
「レティシア様っ!?」
燃え盛る炎の中へ踏み込み、ルミナに抱きついた。
「あなたの忠義に報いる機会をくださいませ」
「……っ、レティシア様……」
軽やかなガウンの裾に、炎が燃え移る。
レティシア・アウローラ・ヴァルモンともあろうものが、恐怖で震えるなんてあってはならない。
だけどーー
熱い。
息が吸えない。
視界が白く霞む。
怖い。
誰か……。
「私は、レティシア様の幸せだけを願います」
「ならば、あなたも幸せにおなりなさい」
この震えは、ルミナのものか、それともわたくしのものか……。
吸い込む息も、そして吐く息も熱を帯び、自らが火を吐き出しているのかと疑うほどだ。
ほんの一瞬一瞬のようで永遠にも感じる時間ーー
咳き込もうにも、もう咳すら出ない。
何も考えられなくなったのが早いか、意識が途絶えたのが早いのか。それに気づく間もなく、わたくしの意識は途絶えた。




