5.長い1日の終わり
わたくしに用意された伯爵邸の一室で、再び例の侍女の自害報告を受けた。
「水差しの件はギルバートに一任を。あなたは自害した者の調査を」
「かしこまりました」
父が付けてくれた護衛騎士は三人。本来なら伯爵家の騎士を頼りたいところですが、そこまでの信頼関係を結べていないことと、何よりこの家には私設騎士団がいないことが大きい。
伯爵には護衛騎士が付いているようですが、アドリアン様は腕に自信がおあり故か、護衛騎士がいらっしゃらない。
……侵入されやすいのも無理はありませんわね。
まずはマルクス伯爵家に私設騎士団とまでは申さずとも、常駐する護衛騎士は確保しなくてはいけませんわ。
「この件も心配ではありますが、今一番の心配は、レティシア様の初夜のことです!」
そんなことを考えていると、ルミナが気合いの入った声を上げた。
「そうね。公爵令嬢であるわたくしの初夜だものね」
先回りして言ったわたくしに、ルミナは両手で口を抑えた。
「そう、そうです! そうなのです、レティシア様! レティシア様の記念すべき日なのですから、精一杯整えさせて頂きます!」
わたくしの言葉がよほど嬉しかったのか、ルミナはさらに気合いを入れて支度に走った。
「今夜この王国で一番お美しいのはレティシア様です!」
鏡に映る姿を見て、ルミナが満足そうに微笑んだ。
「いいですか、レティシア様。驚くこともあるかもしれませんが、」
「全てはアドリアン様に委ねますわ」
「……」
わたくしの言葉を受け、ルミナは言葉を失ったように目を瞬かせた。
そしてーールミナは一度視線を伏せ、
「……遅くなってしまいましたが、本当に、おめでとうございます。レティシア様の幸せが、私の幸せです」
どこか涙ぐみながら言った。
「お別れのような言い方、やめてちょうだい。わたくしの幸せの中には、あなたもいるのだから。……これからもよろしくお願いね」
「……っ、お任せください!」
ルミナは深々と頭を下げ、部屋から出て行った。
完全に扉が閉まってから、枕の下に手を伸ばした。亡くなったお母様が、わたくしにくださった護身用の短剣。あらかじめ、ルミナたちがいない隙に隠しておいたのだ。
それを強く握りしめた。
予定より早い時刻に、控えめなノックが部屋に響いた。
「お入りください」
ゆっくりとドアが開くと、先ほどの正装とは異なり、動きやすさを重視した軽装のアドリアン様が立っていた。
「早かったのですね。どうぞ、中へ」
「……失礼する」
アドリアン様は一瞬躊躇いを見せたものの、部屋に入ってきた。
「お願いした通り、早くお越しくださり、ありがとう存じます」
「いや、まぁ……それくらいのお願いは……」
ルミナはかなり上等なワインを部屋に置いていったけれど、今宵これを口にすることはない。
「それでは早速ーー」
わたくしの言葉に、アドリアン様の肩がわかりやすく跳ねた。
「れ、令嬢は見た目と違い、とても積極的なようだが……レディ教育にはこういうことも含まれているのか!?」
「……あなた様は、何を仰っておりますの?」
わたくしが一歩近づくと、一歩後ずさるアドリアン様に、思わず尋ねてしまった。
「な、何をって、」
ーーその時、不意に。
再びノック音が響いた。
声を上げかけたアドリアン様の顔の前に、咄嗟に人差し指を立てた。
「……恐らく、二人です」
「は?」
「こちらを」
怪訝そうにわたくしを見るアドリアン様に、小声で告げながら護身用の短剣を握らせた。鞘から抜き、その刃が本物だと理解した瞬間、途端にアドリアン様の顔つきが変わった。
「すべては終わってからお話しいたします」
わたくしを見る眼差しが、真剣なものへと変わった。
「お気をつけて」
アドリアン様は無言で頷き、ドアの前へと進み出た。開ける直前、アドリアン様がわたくしに目を向けた。
片手で下がるよう促され、わたくしは音を立てないよう部屋の隅へ移動した。
開くドアの影に身を隠す位置に立ち、アドリアン様はゆっくりとドアノブを回した。
「っ!!」
すべてが一瞬だった。
ゆっくり開きかけたドアが、突然乱暴に押し開かれた瞬間、金属が空気を裂く音が響いた。
アドリアン様の剣が一閃し、最初の男の喉元を捉える。
血の臭いが、部屋に一瞬で広がった。
アドリアン様は、間髪入れずもう一人へ振り返った。
「……何者だ。ここへ何の用だ」
先ほどまでとは別人のような冷たい声が、室内の空気を張り詰めさせた。
……なるほど。騎士を志していたというのも、誇張ではなさそうですわね。
「言わない気か? ならば力づくで吐かせてやる」
そう言ってアドリアン様が飛びかかろうとした、その瞬間ーー
もう一人の男が、手にしていた短剣を部屋の奥へ投げつけた。
「……ぐっ……」
その短剣は、床に倒れていた男の腕へ深く突き刺さった。
思わずそちらへ視線を向けた直後ーー
激しい破砕音とともに、廊下の窓ガラスが内側から砕け散った。
「くそっ……仲間を置いて逃げたか!」
アドリアン様が悔しそうに顔を歪めて言う。その騒ぎを聞きつけ、わたくしの侍女と護衛騎士、そしてマルクス家の執事やメイドたちが駆けつけてきた。
ひとまずは収まったのだと、ようやく息をつこうとしたーー
「……アドリアン様!」
その時、倒れていた男の様子がおかしいことに気づいた。
男は口元から血を吐き出していた。
……毒……かしら?死を覚悟した上で、ここに来ていたということ?
「毒の可能性がある! 令嬢は近づかないでください。誰か、医師を呼べ!」
それどころではなくなったのは、言うまでもない。
執事や侍女たちが右へ左へと慌ただしく動き回り、気づけば東の空が白み始めていた。
「……とりあえずの危険は去ったかと思いますが、これはどういうことか、説明してもらえますか」
別の部屋へ移されたあと、アドリアン様と二人きりになったところで、アドリアン様は、改めてわたくしに向き直り、そう尋ねてきた。
「もちろんお話いたしますわ。ですが、その前に……」
「その前に?」
朝早くから起こされ、結婚式のために頭の先から爪の先まで整えられたわたくし。
女性ほど時間はかからないにしても、そのわたくしと同じように、早朝から動いていたであろうアドリアン様の顔には、はっきりと疲れが出ていた。
……この方は、今後わたくしの最大の味方になるかもしれませんもの。初日から疲れを残すわけにはいきませんわ。
「一度、休みませんこと? 今後の話をするにしても、このままでは頭が働きませんわ」
その提案に、アドリアン様は一瞬、視線を逸らしーー
少しの間のあと、頷いた。
「では一度部屋で休んで……午後のお茶の時間頃に、改めてお伺いいたしますわ」
「それではそのように」
そう言ってアドリアン様は部屋から出て行かれた。
……本当に、長い一日だったわ。
わたくしの身に起こったこと、これからのことも。考えなければいけないことはたくさんあるけれど……。
今はとりあえず休みましょう。起きたら、きちんと整理して考えなければ。
なぜ暗殺が続くのか。犯人は……いいえ、黒幕は誰なのか。そもそも狙われているのはわたくしなのか、それともーー
考えなければいけないことは山ほどある。でも今は、ただ疲れを癒したい。
そう思いながら、わたくしは静かに眠りについた。




