28.なかったことにされる恐怖
夕餉の前に、一度図書室に向かった。領内で起こった数々の出来事を詳細に残されている本を読むために。
「……まずはここからね」
少しずつ確認していこうと、一番新しいものから手に取った。それは昨年の領内の記録書。……だけれど、公式的に残しているものだから、当然の如く人身売買については書かれていない。
異例の大雨による、川の氾濫。それによる浸水被害で農地は荒れ、多くの人的被害が出た、と書かれている。
でもーー
「被害数が、明らかにおかしいですわ」
公式的に残すものだから、明記はされていない。だけど、被害にあった地域の領民の数からしたら、人的被害者数が多すぎる。本当にこの数の被害が出たのであれば、この地域は廃村になってしまう。
意図的に隠しているからこそ、数字の辻褄が合わなくなると言うことだろう。
「よく読めば、違和感に気づくということなのかしら……」
誰に言うわけでもなく、呟いた言葉。
それに反応するかのように、カタッと何かの音がした。
「誰かいるの?」
呼びかけにも返事がない。気のせいかと、手元の本に目を落とした瞬間ーー
ガタンッ!!
「っ、きゃあああ!!」
本棚が大きく揺れ、わたくしを目掛けて倒れ込んできた。
大きな音がしたはず。でも誰も来ない。
どうして誰も来ないの? これは偶然?
そんなわけない。
体が軋む音が体の中で響く。まるで本棚がミシミシと食い込んでくるようなそんな錯覚。
痛い。
怖い。
死にたくないーー
それから直ぐに、全身の感覚が失くなっていった。
これは知っている。
わたくしはもうすぐ死ぬのだわ。どうして今なの? 公爵領の……いいえ、公爵家内で起こったなんて、それじゃあこの家の中に、わたくしを殺したいと思っている人間がいるということじゃない。お祖父様とお話しして、執事長や侍女長も昔から変わっていないのに。一体誰がーー
「……ふっ……ううっ……」
繰り返しの時の中で経験してきたものは、一瞬で終わることばかりだった。何かを考える前に、意識が途絶えていた。唯一、火災の時も「その時まで」時間はあったけれど。でもあれは、ルミナがずっと一緒にいてくれた。けれど今回は違う。たった一人で、緩やかに、じわじわと死が近づいてくる。
決して逃れられない、迫り来る死期を感じたら、自然と嗚咽が漏れていた。
死にたくない。
また繰り返しの時に戻されるかもしれない。だけど、その保障もない。
その時フッとアディの顔が頭を過った。動き出す馬車の窓から、手を振るアディの姿を見たのが最後だ。
次はいつに戻るのだろう? アディはまた、わたくしと過ごした時を忘れてしまうのだろうか? あのむせ返るほどの幸せな時間を、彼は失くしてしまうのだろうか?
「……アディ……」
死ぬことへの恐怖ではなく、彼と共に過ごした時間がなかったことにされる時に戻されるかもしれない恐怖。
完全に意識がなくなる直前に、彼の名を呟いた。
「護衛騎士をつけるとは言え、気をつけてーー」
気がついたら、アディの声が耳に届いた。
「シア!?」
馬車に乗り込もうとしていたところだったようで、踏み台にかけていた足を踏み外し、アディに向かって倒れ込んだ。
「大丈夫ですか!?」
体が震える。息も上がっている。そしてーー
「なっ、なんで泣いてるんです!? どこか痛いんですか!?」
式当日でも、王宮に向かう前でもない。今は、公爵領へ向かう直前、アディが見送ろうとしていた時に戻ってきた。
そうーー
わたくしと過ごした時間を、覚えているアディのところだ。
「どうしたんですか? 泣かないで……。やっぱり行くのは止めましょう。少なくとも今日は止めてください。いいですね? このまま部屋に戻りますよ?」
何も答えないわたくしを、アディは軽々と抱き上げ踵を返す。目の端に、ルミナたちが慌ただしく動いているのを感じたけれどーー
今はアディにしがみつき、声もなく安堵の涙を流していた。




