25.規格外なわたくしたち
マルクス家に戻り、三日後には公爵領へ向かうことをルミナや護衛騎士に伝えると、慌ただしくルミナたちは準備を始めた。
わたくしはと言うと、一人部屋に篭りーー
「困りましたわね……」
馬車の中で、今日明日中にはアディと同衾することになった。それはいいのだけれど、問題は良さそうな夜着がないということ。それもこれも全て、初夜での騒動で、夜着のまま庭に出て汚れてしまったからだ。
もちろん、あの一着だけだったわけではない。でもあれは「初夜用」として準備した物だから、まるで夜のウエディングドレスのような純白の生地だった。
いきなりこのような色つきの物でも良いのかしら……。ルミナ……に、相談するのもおかしな話だし、かといって明日買いに行くのも気が引けますわ……。
そもそもそう言うことは夜に行われるのだから、あまり見えないのではなくて?
「ならこれでいいかしら?」
そう思い、淡いブルーの生地の夜着を手に取った。
その直後、別の侍女にお風呂の準備ができたと言われたわけだけれど……。
三日後、公爵領に向かう前に、と言いましたけど、それは今日のことなのかしら? それとも明日のことなのかしら? 嫌だわ、わたくしったら。肝心なところをはっきりさせていませんでしたわね……。
すっかり身支度を整えて、いつ来るかもわからないアディを待っているくらいなら、今日なのか明日なのかはっきりさせて来ようか。そう思ったわたくしは、いつもは向かわない時間に、アディの部屋に向かった。
「どうぞ」
ノックしたわたくしに、アディの声が返ってきた。
「失礼致しますわ」
「シア!」
どこか驚いたようにアディは声を上げ、わたくしに駆け寄ってきた。室内に入るよう促され、そのままアディの部屋へ入った。
「忙しかったですか?」
アディの片手には手紙が収まっていた。
「ああ、いえ。これは王太子殿下からの招待状です」
「まぁ! お兄様ったらもうアディに声をかけたのですね」
確かに封蝋には王家の紋章が押されていた。
……よほど、早く動き出したいのですね。かの方のために。
アディはわたくしにソファに座るよう言った後で、その手紙をテーブルの上に置いた。
「いつかあなたと飲めたらと思っていたワインがあるんです。つまみも用意するので、少し待っていてください」
呼び止める前に、アディは部屋から出て行ってしまった……。
今日なのか、明日なのかの確認だけしにきたつもりでしたけど、これはもう、アディの中で今日なんですわね……。別に嫌というわけでもないですし、むしろわたくしも結婚した方がアディで良かったと思っていますけど……。
いざそうなるのだと思ったら、急に体が熱くなってきた気がする。
少し窓を開けようと、窓際に近づいた。
アディの部屋から見る景色は初めてだ。伯爵家には、大きな樫の木があるけれどーー
「ここは樫の木が良く見えるのね」
「そうなんです。いつかあの木にブランコをつけて、子供を乗せてあげたいんです」
ワイングラス二つと、トレイの上に軽食を載せたアディが部屋に戻ってきた。
もう一度、庭の木に目をやる。大きな樫の木には、確かに子どもが乗れそうなブランコが似合うのではないかしら。
「随分早かったですわね」
そう聞いたわたくしに、アディはおかしそうに笑う。
「そこでルミナに会ったんです」
「ルミナに?」
「ええ。もしかしたら必要になるんじゃないかと思って用意していた、と言われました。あなたの侍女は優秀だ」
特にルミナには話していなかったのだけれど。普段は気にしない夜着を自分で選んだあたりから、怪しまれていたのかもしれませんわ。
アディがワインボトルを傾ける。トクトクと、音を立ててワインがグラスに注がれた。少しずつ、ワインの芳醇な匂いが部屋に広がっていく。
「これはあなたが生まれた年に製造されたワインです」
「貴重な物ではなくて?」
「なんというか……、自分なりの願掛けで用意していたんです」
もう一つのグラスにも、トクトクと赤いワインが注がれる。熟れたワインの匂いが、吸い込んだ息に混ざっていた。
「……覚えてますか? 式場で私はあなたに“不本意なのはお互い様だ“と酷いことを言った」
それは誓いの口づけの直前のこと。
あの時は、自分も我慢しているのだから、わたくしにも我慢するようにと聞こえましたわ。
「確かに不本意ではあったけど……。もし、お互いの立場や環境、全てをひっくるめて分かり合えることができる女性であれば、公爵令嬢としてではなく、一人の女性としてその人を幸せにできるように努力しよう。……そう誓う日に、一緒に飲めるように用意していたんです」
アディはワイングラスを差し出した。それを手に取ろうとした瞬間、アディはグラスを引っ込めた。思わず彼の顔を見上げるけれど、彼は目を細めてわたくしを見ているだけだった。
アディは数回、口を開いては閉じるを繰り返した。どうしたのかと思わず首を傾げた時ーー
「……プロポーズは間に合いませんでしたが、今あなたに誓わせてください」
アディはわたくしの前で跪いた。
「レティシア・アウローラ・ヴァルモン嬢。私、アドリアン・マルクスは生涯をかけてあなたを守り、共に歩むことを誓います」
そうして差し出されたのは指輪ーーではなく、ワイングラス。
「指輪の代わりに、ワインですか?」
「規格外な私たちらしくないですか?」
微笑みながらグラスを受け取ったわたくしに答えるように、アディは隣に座ってきた。
アディは言ったわ。「ヴァルモン嬢」と。
これはきっと、わたくしが本当に、ヴァルモンからマルクスになるための、大切なこと。
「ではわたくしも」
「はい?」
「アドリアン・マルクス卿。わたくし、レティシア・アウローラ・ヴァルモンは生涯をかけて卿のために尽くすことを誓いますわ」
アディが答える前に乾杯、と囁き、カチン、と二人のグラスを合わせた。
それを聞いたアディは笑い出す。そして遅れて乾杯、と言い二人グラスを傾けた。
この時間がなくなってしまわないように。隣に座るアディにそっと寄り添った。




