13.2ヶ月の時を越えて
ルミナと早々に神殿へ向かうことにした。
アドリアン様がわたくしに隠しておられる以上、表立って動くわけにもいかない。あくまで内密に、神殿へ祈祷に行く体で家を出た。
首都の中心近くだと、万が一の時に噂になるかもしれない。そう思い、あえて首都の外れ、一部舗装もされていない道を通る神殿に行くことにした。
ルミナの話だと、当該の子は身体が弱いとのことですし……。神殿での親子鑑定ではなく、神官様に我が家に起こし頂くことがいいかもしれませんわ。
無意識にスカートのポケットに手が伸びた。かさりと音を立て指先が紙包みに触れる。取り出すと出てきたのは、密かに忍ばせていたイチゴ味のキャンディ。
かつてお母様が、泣いていた幼いわたくしにくださったことがあった。涙が止まるように。立ち上がれるように。そして、前を向けるようにとくださった甘い甘いキャンディ。以来、何かあった時に口にするようになった懐かしい味。
それを無性に舐めたくなり、口の中にそっと含んだ。優しいイチゴの味が口内に広がる。
ガタン!
と思った瞬間、馬車の外で大きな音が聞こえた。
直後ーー
「きゃあああ!!」
馬車が大きく傾き、身体が車内のあちこちにぶつかった。頭を強く打った衝撃、骨が軋む痛み、ルミナの叫び声が遠ざかる……。
「……っ……」
一瞬の出来事だった。
何が起こったのかわからない。目を開けると、自分が横たわっているのがわかった。
「……ル、ミナ……?」
掠れた声に、ルミナは返事をしない。
わたくし自身も身体が重く、一言発したのが精一杯だった。あちこち痛みに襲われ、気が遠くなりそうだ。辛うじて動くのは指先だけ。
ーーこれは知っている。
死の直前の意識が途切れる感覚だ。
……馬車が襲われた? まだ暗殺は続いているということ? 焦るあまり、護衛を減らしてしまったのが間違いだったんですの? それとも行く前に馬車の点検をしなかったことが誤りだったのかしら。
ほんの数分前まではそこら中が痛かったのに、今は全く痛みを感じない。
間違いなく、その瞬間は近い。
ああ、女神ウルキス。
本当にアドリアン様のお子なのかどうか、確かめてからにして頂きたかったわ……。
そしてわたくしは、ゆっくりと、瞼を下ろした。
「あなたは心強い同志になってくれそうだ」
気がついたら、アドリアン様の手を握っていた。
「はあっ! はぁはぁ……」
「レティシア嬢? 大丈夫ですか?」
急に息がしやすくなり、思い切り息を吸い込んだことで呼吸が乱れた。
「どうしたんです?」
その声に目を向けると、アドリアン様が眉を下げながらわたくしを見ていた。
アドリアン様の手が力強く、わたくしの手を握っていてーー
「レティシア嬢? 本当に大丈夫ですか?」
この方と、こうして手を繋いだ時のことをはっきり覚えていますわ。
二ヶ月前のあの日、同志になると誓った時のこと。
……まさかわたくし、今度は二ヶ月も前に戻ったということですの? これが女神ウルキスの力だとしたら、わたくしに何を望んで二ヶ月も前に……。
「アドリアン様、大変不躾な質問をさせて頂きたく存じます」
「え? ええ、構いませんよ」
以前は殺された日の当日を繰り返していたというのに。何故突然、二ヶ月前に戻されたのかはわからないけれど……。今この時点で、できることをしておかなければ。
繋いでいた手を離し、アドリアン様の顔を見据えた。
「あなた様は、お子様はいらっしゃいませんか?」
ルミナの話だと十歳前後の子だと言う。
であれば、わたくしが存在を知った日から二ヶ月前の世界では、とっくにその子は産まれているということ。
「もしかして隠し子を疑っておられるんですか!? いませんよ! 子どもなんて!」
両手を前に出し、慌てたように首を振りながらアドリアン様は答えた。
……この時点ではまだ、アドリアン様はその話をご存知なかったのね……。
「では、かつて交際されていた方はおられませんか? 親しくされていた女性は、一人もおられなかったんですの?」
「そ、れは……」
わたくしの言葉に、アドリアン様は目を泳がせ始めた。
……やはり思い当たることがあるのですね……。
アドリアン様のその仕草に、一瞬胸の奥が傷んだ気がした。
「……正直に言うと、一人いましたが、それももう随分前の話です。あなたが気にされることは何も」
アドリアン様は深く息を吐きながら、そう言った。
……それはそうなのでしょう。現在は関係が終わっている。でもそれは子がいない場合ですわ……。
「その方が現在どうされてるか、ご存知ですか?」
わたくしの質問に、アドリアン様はあからさまに顔を顰めた。
「……どうしてその質問を?」
アドリアン様から目を逸らし、一つ息を吐いた。
……回りくどく話していても、時間の無駄ですわね。
「アドリアン様は子がどうできるかご存知ですか?」
「はっ?」
アドリアン様は声を裏返した。
「いや、そりゃあ知ってますけど、」
「子はお相手がいなくとも、女性の体内で育つものですわ」
わたくしの言葉に、アドリアン様はハッとされた。
「まさか一人で産んだ……?」
「その可能性も、ないとは言えませんでしょう?」
事の重大さを知ったアドリアン様は、頭を抱え項垂れた。
「……少し、調べてみます」
「よろしければ、わたくしの方で調べさせて頂きますわ。騎士団のこともありますし、お忙しいでしょうから」
そう言ったわたくしを、アドリアン様はまるでーー叱られた子犬のような目で見てきた。
……この方、本当に表情豊かでわかりやすいですわね。
「あなたは何故そんなに落ち着いていられるんです?」
本当に申し訳なさそうな顔をして、アドリアン様は言う。
「もし、本当にアドリアン様のお子様がいらっしゃるなら、現段階でその子はマルクス伯爵家の唯一の後継者です」
一息置いて、続けた。
「必要であれば養子縁組をして、わたくしの元で育てます。母親も手厚く保護しなければなりません」
「……いや、でもそれであなたはいいんですか?」
……確かにわたくしたちは、二ヶ月の間夫婦の営みは一度もありませんでしたわ。それでもあなた様は、わたくしのことをとても尊重してくださいました。今はもう、あなた様はこの屋敷で、ルミナの次に、わたくしが信頼できる方ですもの。
「わたくしが良い、悪いの話ではなく。あなた様のお子であるなら、それはわたくしの子でもあるというだけのことです」
そう言ったわたくしの顔を、アドリアン様は驚いたように目を見開き見つめてきた。
「……本当に……」
「はい?」
アドリアン様は、一瞬、目元を手で覆った。直後、大きく息を吸い込んだ。
「私たちは政略結婚ですが、相手があなたで良かったと思ったんです」
今まで見た中で一番、アドリアン様は柔らかく微笑まれた。
その瞬間、何かわからないものに胸の奥が掴まれたような気がした。
「……これは私のことですが、どうやら情報網はあなたの方が上のようだ。早急に解決するためにも、こんなことを頼むのは申し訳ないことこの上ないですが、お願いしてもいいですか?」
一つ咳払いをした後、アドリアン様がそう言ったものだから、わたくしもハッと我に返った。
「もちろんですわ。わたくしでお役に立てるのであれば、すぐに取り掛からせて頂きます」
その後、お相手の方のお名前や特徴、いそうな場所等をメモを取りながら聞いていた。
……ものの……。
さっきの胸の疼きが気になり、アドリアン様に心配されるほどに、何度も自分の胸に手を当てていた。




