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冬越しの火を歌姫の温室へ回せと言われましたので、契約妻は北門を開けて離縁します  作者: 銀細工ナギ


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2/8

北門を開ける

北門が開いたのは、日が沈む二刻前だった。


長く閉じていた蝶番が低く軋み、門の外から凍った風が城内へ流れ込む。使用人たちが首をすくめる中、アーデルの点検班だけは厚い外套の襟を上げ、黙々と台車を並べていた。


冬灯石は、人の頭ほどの乳白色の石である。消灯用の銀覆いをかければ熱は止まり、専用の藁箱へ収めて運べる。一基につき二人、点検簿への記名一人、刻印を確認する立会人一人。母が定めた手順は手間がかかるが、誰かが火を盗んでも記録から消せない。


西街道一号小屋の石は、すでに城の温室前にあった。


「その石をどこへ持っていく!」


庭師を押し退けて駆けてきたのは、ルーファスだった。礼装用の上着を羽織り、手袋もしていない。温室の中では、鉢植えにされた薔薇の枝が寒さに震えている。


アーデルは台車の前で点検簿を掲げた。


「封蝋破損を確認しました。転用された一基を含め、共同運用財二十四基を設置者権限により回収します」


「城の兵を呼ぶぞ」


「お呼びください。兵の皆様にも、どの条文に反して旅人の火を奪ったのか立会署名をお願いいたします」


ルーファスの視線が、周囲へ泳いだ。厨房から出てきた下働き、薪割り場の老人、門衛たち。北境で冬灯の意味を知らない者はいない。子を医者へ連れていく途中で一号小屋に助けられた者も、吹雪の夜に六号小屋で朝を待った者もいる。


兵は来たが、剣には触れなかった。


「旦那様」守衛長が兜を脇へ抱えて言った。「回収を止める命令書には、避難小屋停止の責任者名をお書きください。冬季事故が出た場合、私どもだけでは受けきれません」


ルーファスは答えなかった。


「行きます」


アーデルの声で、台車が動いた。


城下の貧民街に設置した四基を外すとき、住民は不安そうに集まった。責める声が出るのは当然だと覚悟していたが、先に歩み出た洗濯女は、赤子を抱きながら尋ねた。


「奥様、火を持って逃げちまうんですか」


「逃げません。北中継所へ移します。王領の倉庫と診療室があります。ここに残せば、伯爵様が今度は何に使うか止められないから」


老婆が唇を噛んだ。


「あの御方は、街の火まで温室へ?」


アーデルは夫を罵らなかった。代わりに、転用命令書の写しと、移設先を記した札を掲示板へ留めた。


「今夜から移送用の幌馬車を出します。歩けない方と幼い子を優先します。残る方には、王領から薪を戻すまで宿屋の共同暖炉を借ります。代金は私の管理基金から払います」


一度、深い沈黙が落ちた。


「じゃあ私、赤ん坊を連れて中継所へ行きます」


洗濯女が言った。続いて、足を痛めた靴職人が杖を持ち上げる。アーデルの点検班だけだった列に、荷物を抱えた人々が加わった。


夜が来る頃、北門の内側には十二台の幌馬車と、二十四基の冬灯石が揃っていた。ミナが紙束を胸に抱えて走ってくる。


「奥様、全基の刻印照合が終わりました。それと……伯爵様が王都へ早馬を。奥様が家財を持ち逃げしたと訴えるおつもりです」


「予想の範囲です。こちらは婚姻契約、設置台帳、転用された石の破損封蝋を持ちます」


そう言ったものの、胸の奥は冷えていた。六年暮らした城を出る。夫から贈られた物などほとんどない部屋でも、窓際で点検簿を書いた朝や、初めて避難小屋の灯がともった夜は確かに自分の時間だった。


北門の外で、馬のいななきがした。


雪色の外套を着た一団が、王家の旗を掲げて止まる。その先頭から降りた長身の男が、門前の台車と人々を見回した。灰青色の瞳が、温室へ向かわず門外へ並ぶ冬灯石の箱で止まる。


「王室冬季街道監察官、レオン・ヴァレストです。初雪前の監査に来たのですが」


王弟殿下の声は穏やかで、だからこそ門衛たちが一斉に姿勢を正した。


アーデルは一歩進み、汚れた手袋のまま礼をした。


「ちょうどよいところへお越しです、監察官殿。北境伯が公共暖房を温室へ転用しましたので、私は離縁と設備回収を実行中です」


レオンは驚いた顔をした。それから温室を一度見て、アーデルへ視線を戻す。


「あなたが判断権者ですか」


「契約上は」


「では、私は判断を奪いません。監察官として、移設先までの街道を確保します」


甘い慰めでも、勝手な救済でもない。必要なことだけを即座に言った。


アーデルは初めて、凍った胸に小さな火が戻るのを感じた。


「北中継所へ参ります。門を通していただけますか」


「王領の門は、命を守る火に対して閉じません」


北門の外へ、列が動き出した。背後でルーファスが何か叫んでいたが、冬灯の箱を積んだ車輪の音が、その声を遠ざけていった。


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