第34話
マモの顔が歪み、青筋が額から首筋まで浮き上がった。
巨体が椅子を蹴り倒し、円卓の残骸を踏み越えてアラに迫る。
マモの右手が振り上げられ、白い手袋が引き裂かれるほどの勢いでアラの喉元を掴もうとした。
アラは一歩も引かず、冷たい瞳でその手を真正面から見据える。
「アラ! 黙っていろ! 今すぐ黙れ!」
マモの爪が空気を裂く音が響いた。
だがアラは首をわずかに傾げるだけで、風に揺れる柳のようにその手を避けた。
「あの冒険者狩りは……マモギルドで正式に契約した冒険者です。名を――ポーンと呼びます」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
マモの奥歯がギリギリと鳴る音が、静寂の中で異様に大きく響いた。
「お前……無事でいられると思うなよ」
アラは静かに一歩踏み出す。
白髪がさらりと波打ち、背筋が一本の剣のように伸びた。
「パンズパニックの元凶となったエンプ。あの胎で育てられたのが――ポーンです」
レヴィが静かに口を挟む。
「レベル六を育てるついでにパンズパニックを引き起こし、先行組であるニクスの戦力を削ぎ、実権を握る。そんな筋書だったのだろう」
マモの巨体が軋むようにエルに向き直る。
肩が怒りで小刻みに震え、拳がテーブルを握り潰しそうに鳴った。
エルは扇子を優雅に広げ、唇を隠しながらマモを見据える。
そして、扇子の陰から、目線だけで、満足げに笑った。
マモの喉が唸る。
「であれば、そこの女も同罪だ! エンプはエルとの共同開発だ! ポーンもエルギルドの技術力によって作られたものだ!」
エルが扇子をパチンと閉じた。
音が乾いた鞭のように部屋を切り裂く。
「ふふ。剣を作れば人殺し、金を作れば人殺し、水を売っても人殺し。私はただ作っただけ。どう使うかは……買い手次第じゃないかしら?」
「貴様! ここにきて裏切る気か!」
エルは立ち上がり、ドレスの裾を優雅に翻してマモに一歩近づいた。
扇子の先でマモの胸を軽く突く。
「裏切るも何も、私は認めているのよ。製造販売には関与していると。こんな茶番にも付き合ってあげているのだから、感謝してちょうだい」
レヴィが羊皮紙をテーブルに叩きつけた。
「猿鬼の代わりにエンプを梱包した証言も、マモギルド職員から取っている。マモ――観念しろ」
マモの笑いが爆発した。
腹の底から絞り出すような、狂気じみた笑い声が部屋を震わせる。
「ふふふふぁはははははは! 何が観念しろだぁ! もうよい、全て認めた上でだからどうしたと言い放ってやろうではないか! 貴様らが遅い、遅すぎるのだよ! 塔の攻略を始めてどれだけ経っていると思っている! あとどれだけかけるというのだ! 速めたいのだよ! 人造レベル六! 十分ではないか! レベル五が二人で圧倒してみせたのだ! 感謝こそされ、恨まれる由縁などない!」
ベルが静かに立ち上がる。
酒瓶をテーブルに置き、銀髪を指で梳く。
「そうかそうか、『グラト』」
ベルの左手が影のように伸びた。
次の瞬間、黒い狼の形をした影がマモの右腕に食らいつく。
ガリィィィッ!
骨が砕ける音が響き、マモの右腕が不自然に曲がった。
血潮が迸り、白い手袋が瞬く間に朱に染まった。
「ぐあああああ! 何をするベルっ! 盟約があるのだぞ!」
マモが膝をつき、左手を右腕に押し当てて血を止めようとする。
だが影の狼は容赦なく肉を抉り、骨を噛み砕く。
ベルがにこやかに笑った。
「これはただの代償じゃ。行動には対価を、じゃろ? ルールには抵触しておらぬ」
マモの顔が蒼白になる。
「なに……」
ベルは静かに歩み寄り、マモの巨体を見上げるようにその前で膝を折った。
「何人も我を働かせてはならぬ。何人も我を拒んではならぬ。故に我は何もせぬ」
マモが目を丸くした。
ベルが静かに続けた。
「人の世は人が解決せねばならぬ。じゃが、混ざりモノはダメじゃのう。おぬしのせいでずいぶん奔走させられたわ。魔が動くなら魔、おぬしが動くなら、ワシらが動くのが道理。それで済んでよかったのう、坊や」
ベルが立ち上がり、ルゼの肩に軽く手を置いた。
影の狼が煙のようにルゼの体に吸い込まれていく。
ルゼが眠そうに目をこすりながら体を起こす。
「あれ? グラトおかえり。もういいのかぁ、ベル?」
ベルがルゼの頭を優しく撫でた。
「おぉ。大飯喰らいの良いわんちゃんじゃったぞ」
ルゼが満足げに頷き、再び机に突っ伏す。
マモが右腕を抑え、床に膝をついたまま唸る。
「こんなことをして……許されると思うな……!」
血がぽたぽたと円卓の残骸に落ち、赤い染みを作る。
レヴィが冷たく言い放つ。
「それはこちらのセリフだ。それで許されると思うな。パンズパニックの賠償からスクロールの代金まで、全てきっちりと取り立てさせてもらうからな」
エルが優雅に扇子を広げ、マモのすぐ傍まで寄る。
「頑張ってね、マモ」
微笑みながら、唇をほとんど動かさずに囁いた。
「言ったじゃない……。操るなんて……許されないの。私の可愛いペットに、勝手に首輪をつけた代償よ」
パチン、と扇子を閉じ、その先でマモの喉元を軽く、トンッと突く。
マモの瞳が一瞬で充血し、喉の奥から獣じみた声が漏れた。
「この……呪われろ……悪魔どもめ……!」
ベルが酒瓶を掲げ、喉を鳴らして一口流し込むと、豪快に笑った。
「はっはっは!」
次の瞬間、ベル、ニクス、レヴィ、エル、フェル、ルゼ。
六人の瞳が、まるで炉の奥の炎のように赤く、妖しく灯った。
ベルが小さく口を開く。
「それは、お互い様じゃろ」
こうして、血に塗れた一連の事件は、幕を閉じた。




