第31話
時間が経つごとにエイリの攻防は鋭さを増していく。
未来予知にも似た回避を繰り返し、金狼鬼の剣が空を切り裂くたび、エイリは体をわずかにずらして躱す。
巨大な刃が地面を抉る衝撃波が背中を熱く撫で、砂埃が視界を一瞬ぼやかせる中、エイリは即座に剣を逆手に持ち替えて反撃。
金狼鬼の脇腹に浅い切り傷を刻み、血の臭いが鼻を突く。
金狼鬼が体を捻り、黒い爪を閃かせる。
エイリは半歩だけ横に滑り、盾を斜めに差し出して軌道を逸らした。
ガキン、と甲高い音が鳴り、爪先が火花を撒いて宙を削る。
衝撃が肘を貫き、腕全体が一瞬痺れる。
「……確実に削る!」
エイリは盾ごと体を沈め、返す勢いで剣を振り被る。
刃は弧を描き、金狼鬼の肩口を深く喰い込んだ。
厚い毛皮を裂く感触が柄を通じて掌に伝わり、熱い血が噴き出して頬を打つ。
金狼鬼が苦悶の咆哮を漏らして一歩退く。
エイリは乱れた前髪を袖で乱暴に払い、汗で滲む視界を無理やり開けた。
金狼鬼の蹴りが空を裂く。
轟音のような風圧が髪を逆立てるが、エイリは膝を折り、獣の懐に滑り込んだ。
「それは見えているっ!」
剣を低く横に払い、鋼の刃が金色の毛皮を裂いて腱を抉る。
浅い傷だが、獣の巨体が一瞬、硬直した。
「ここだっ!」
その隙を見逃さず、エイリは盾を突き出し、全身の重みを乗せて押し込む。
金狼鬼の巨体が後ろに傾ぐ。
同時に剣を逆手に回し、回転の勢いを殺さず胸板へと突き立てようとする。
獣が咆哮し、大剣を振り回して受け止めた。
だがエイリは柄でその刃を跳ね上げ、身体ごと捻って次の斬撃を繰り出す。
刃が、爪が、盾が、牙が、交錯し、血しぶきが宙を染める。
攻撃の連鎖が途切れない。
金狼鬼の傷口から溢れる血が床を赤黒く濡らし、獣の動きが明らかに鈍っていく。
エイリの頭の中で、音が、匂いが、光が、すべてが「線」になる。
次の蹢りの角度、肩のわずかな傾き、瞳の焦点の揺れ──すべてが、まるで予め描かれた設計図のように読めた。
これは恐怖の欠如ではない。
『知っている』感覚だ。
相手の次の息遣いすら、自分の鼓動と同期しているかのように。
エイリは剣を握りしめ、はっきりと声を上げた。
「見える……! お前の次の行動、そのすべてが! お前が教えてくれる!」
だがその瞬間──エイリが膝をついた。
金狼鬼が出血を啜り、再び『吸性』を解き放つ。
青い霧のような魔力がエイリの全身を絡め取り、命ごと吸い上げようとした。
「っ……!?」
エイリは剣を地面に突き立て、崩れかける体を支えようとする。
けれど膝が笑い、意識の縁がぼやけ始める。
疲労が鉛のように骨に絡みつき、剣の柄を握る指が痺れた。
「くそ……力が……抜ける……!」
息が上がって肺が熱く焼け、視界の端がぼやけ始める。
金狼鬼の青い魔力がエイリの肌に絡みつき、筋肉の力が急速に抜けていく。
エイリは剣を地面に突いて立ち上がろうとする。
だが血で滑った石畳に再び崩れ落ちる。
金狼鬼の裂けた肩口が泡立ち、肉が蠢きながら塞がっていく。
再生の音は、まるで濡れた布が千切れるような、粘ついた響きだった。
エイリは膝を折り、剣を支えにして這うように立ち上がる。
柄を握る手に力が入らない。
肩で息を荒げながら、視界の端が赤黒く滲む。
「また……こんなところで……!」
金狼鬼が一歩、踏み出す。
地面を這うような重い足音が、鼓膜を直接抉った。
赤い瞳がエイリを捉え、巨大な剣がゆっくりと持ち上がる。
刃が空を切り、影がエイリを覆う。
エイリは体を捻った。
遅い。
もう間に合わない。
次の瞬間、世界が真っ赤に染まった。
轟音と共に、セツが横から飛び込んできた。
両手を広げ、エイリの前に立ちはだかる。
「エイリ!!」
金狼鬼の剣が振り下ろされ、セツは両腕を交差してそれを真正面から受け止めた。
セツの体が紙のように跳ね上がり、地面を何度も転がって止まる。
血が宙を舞い、石畳に赤い花を咲かせた。
セツは肘をついて上体を起こし、口元から真紅の滴を零しながら、弱々しく笑った。
「エイリ……ごめんね」
エイリはセツの体を抱き上げ、声を震わせた。
「セツ! なんで……お前……!」
セツはエイリの腕の中で体を震わせ、血まみれの唇を動かした。
「エイリを守りたくて……体が、勝手に……」
「バカ……お前が……!」
金狼鬼が咆哮を上げ、巨大な剣を振りかぶる。
項垂れたエイリの首を狩るように。
エイリはセツを抱いたまま体を捻ろうとするが、金狼鬼の剣が迫る。
しかしその瞬間、金狼鬼の体を無数の光の矢が貫いた。
レラの声が響く。
「エイリ! 立て! 援護する! 悲しむくらいなら仇を取れ!」
エイリが顔を上げる。
金狼鬼が体を震わせていた。
そしてその向こうにトリエの姿を見た。
エイリはセツをそっと地面に寝かせ、血に濡れた柄を両手で強く握り直し、よろめきながら立ち上がる。
「トリエ……セツ……倒さなきゃ……」
レラの声が再び響く。
「そうだ。立って戦え!」
金狼鬼が攻撃を仕掛ける。
しかしエイリには当たらなかった。
エイリは剣を構え、金狼鬼の動きを睨む。
攻撃が始まるタイミングよりその前に体がゆったりと横に移動し、攻撃を避けたかのような動き。
金狼鬼の剣が空を切り、地面を砕く衝撃がエイリの足元を震わせるが、エイリは体をわずかにずらして躱す。
金狼鬼の爪が横薙ぎに迫るが、エイリは膝を折ってその下を滑り込み、瞬時に剣を逆手に持ち替えて反撃の斬撃を叩き込んだ。
刃が金狼鬼の腕をかすめ、血が滴る。
金狼鬼が体を捻って蹴りを放つが、エイリはそれを予測したように体を後ろへ引き、足の軌道を外す。
エイリの剣が金狼鬼の脚を狙って振り抜かれ、敵の体がわずかに傾ぐ。
エイリは次の攻撃を待つ。
金狼鬼の剣が上から振り下ろされ、エイリは体を横へスライドさせて避け、盾で敵の腕を弾き返す。
盾の衝撃が腕に響くが、エイリは即座に剣を突き出し、金狼鬼の肩を浅く刺す。
金狼鬼の動きが乱れ、エイリはそれを追って剣を連続で振り払う。
刃の弧が空気を圧縮し、金狼鬼の胸板を削る。
エイリは体を回転させて次の攻撃を準備し、金狼鬼の爪を盾で受け流す。
エイリの体が淡く金色に光り出す。
メリコがその魔力の波動を目にし顔を上げた。
「あれは……レベルアップ!」
レラが横目でスクロールを捉える。
エイリのスキルの全貌が、アーティファクトにより明らかにされた。
『スキル:シナスタジア レベル:一 効果:思念伝達 対象:モンスター 特性:思念伝達対象のカルマが自身に加算される』
「……なんて馬鹿げたスキルだ。モンスター限定とはいえ、こんなものがあれば……国が動くぞ」
カルマの加算は強制的なレベルアップ状態を作り出す。
エイリに金狼鬼が積み重ねたカルマが付与され、レベル六以上の力を引き出した。
肉体強度にして六百九十二。
エイリは一度だけ深く息を吐き、剣の柄を掌に沈み込ませるように握り直し、金狼鬼を睨み据える。
その瞬間、頭の中に別の声が流れ込んできた。
――もう、戦いたくない……
――痛い……怖い……
――助けて……誰か……
金狼鬼の思念だった。
金狼鬼の剣が横薙ぎに唸る。
エイリは一歩だけ後退し、刃を髪の毛一本分すり抜けさせる。
次の瞬間、爪が縦に振り下ろされた。
「……大丈夫だ」
エイリは横へ滑るように体を流し、剣を突き出して腹を浅く裂く。
「俺がお前を解放する」
血の匂いが熱を帯びて立ち昇る。
獣が怯んだ隙に、エイリは追撃の斬撃を放つ。
「だから、もう泣かなくていい」
刃は弧を描き、太い腕の筋肉を抉り、骨に食い込む感触を確かに伝えた。
蹴りが飛んでくる。
エイリは体を捻り、盾で脛を弾く。
衝撃が肩を貫くが、歯を食いしばって耐える。
「俺が……助けるから」
返す刃は逆手。
剣を閃かせ、金狼鬼の肩を深く裂いた。
獣の動きが一瞬、鈍る。
エイリは連続で剣を振るう。
一閃、二閃、三閃。
「もう戦わなくていい」
空気が裂ける音が重なり、胸板が縦に深く開く。
金色の毛皮が血に染まり、赤黒い肉が覗いた。
回転を加えて次の構えへ。
金狼鬼の剣が振り下ろされるが、盾で滑らせるように受け流し、刃を脚へ滑り込ませる。
膝の腱が断ち切られ、巨体が大きく傾ぐ。
「もう誰もお前を操らない」
最後に薙ぎ払われた爪を、腰を沈めて潜り抜ける。
その刹那、剣が一直線に突き出された。
「さよなら、ポーン」
エイリの剣がコアを貫いた。
エイリの体から淡い金色の光が消え、疲労が一気にのしかかる。
エイリは剣を引き抜き、支えに膝をつき、息を荒げる。
金狼鬼の体が灰となって形を崩していく。
灰の粒子が舞い上がり、洞窟の空気を淀ませる。
エイリは灰の山を凝視する。
灰が音もなく崩れ、中から金髪ツインテールの少女が這い出してきた。
血まみれのローブを纏い、膝をついたまま、少女は顔を上げる。
エイリは剣の柄を汗と血で滑らないよう親指で確かめながら握り直し、息を止めてその姿を捉えた。
「……もう、終わったよ」
少女の瞳が微かに光り、唇が小さく動く。
エイリは剣を地面に突き立て、少女のすぐ横に片膝をついた。
「やはり……お前だったんだな」
口から血を吐き出しながら少女が呟く。
「ありがとう……助けてくれて」
エイリはポーンの手を取り、声を絞り出す。
「助けて……なんて……」
そういうとポーンは笑顔で灰となって消えていった。
エイリは灰の粒子を指で触れた。
灰が風に舞い上がり、洞窟の空気を優しく撫でる。
エイリは剣を鞘に収め、立ち上がろうとするが膝が笑って崩れ落ちる。
セツの顔が脳裏をよぎり、這うようにしてその体へ這い寄った。
メリコがセツの傍らに跪き、両手を翳すと柔らかな光が傷口に降り注ぐ。
裂けた肉が糸を引きながら寄り合い、みるみる塞がっていく。
エイリはセツの手を掴み、血と涙で滲んだ声で呼びかけた。
「セツ……!」
トリエとアラも、痛みに顔を歪めながら体を起こす。
無言で視線を交わし、小さく、確かに頷き合った。
ガレスが重い足取りで立ち上がり、皆が自然と輪になって集まる。
血と汗と涙にまみれた顔が、互いに確かめ合うように見つめ合う。
洞窟の空気が静まり返り、遠くで水滴が落ちる音だけが、ぽたり、ぽたりと響く。
こうして、冒険者狩り事件は幕を閉じた。




