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ここは地獄の一丁目  作者: 川合 佑樹


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第30話

 セツは動けなかった。

 金狼鬼の圧倒的な威圧感が、セツの全身を鉛のように重く縛りつけていた。

 足が地面に根を張ったように固まり、膝が微かに震えるだけ。

 指先まで冷え切り、拳を握ることすらままならない。

 恐怖なのか、本能なのか、それとも強大すぎる力の前に近づくことすら許されないという無力感か。

 セツはただ、金狼鬼の巨体を睨みつけることしかできず、喉の奥で息を詰まらせた。

 そして今、目の前で繰り広げられる光景が、セツの胸を抉った。

 自分よりも低レベルのエイリが、金狼鬼と死闘を繰り広げている。

 その事実に、その悔しさに涙した。

 熱い滴が頰を伝い、目の前が滲んで歪む。

 セツは自分の体を睨みつけた。

「くそっ! 動けよ!」

 叫びながら、自身の太ももを拳で叩きつけた。

 鈍い痛みが走るが、無意識が全身を阻害する。

 足は微動だにせず、他人の体のように反応しない。

 セツはただ立ち尽くすしかなかった。

 悔しさが込み上げ、唇を噛み締めると血の味が広がった。

 エイリは金狼鬼と死闘を繰り広げていた。

 しかしそれは戦闘というにはあまりにも悲惨だった。

 金狼鬼の攻撃はその全てが命を奪いかねない威力。

 エイリは皮一枚で攻撃を避け続ける。

 触れるだけで衝撃が体に響き、意識を飛ばしかねない状況だった。

 それをトリエを守りたい一心で耐え続けた。

「俺が……時間を稼ぐっ! 少しでもっトリエをっ」

 その気持ちが意識を繋ぎ続ける。

 金狼鬼の攻撃が続く。

 縦横無尽に剣戟と爪による攻撃が続く。

 エイリは避けては切り返しで攻撃を当て。

 決してそばを離れず、むしろ近づくようにして避ける。

 エイリは金狼鬼の巨大剣が振り下ろされる瞬間、体をわずかに横へずらし、剣先が地面を砕く衝撃波を背中で感じ取った。

「ここっ!」

 即座に反転し、自分の剣を金狼鬼の脇腹へ突き刺す。

 刃が毛皮を裂き、浅く肉を抉るが、金狼鬼は痛みを無視して爪を横から払ってくる。

 エイリは後ろへ跳び、爪の風圧が頰を熱く撫でるのを感じながら、着地と同時に盾を構え直した。

 次の瞬間、爪が盾を真正面から捉えた。

 ガァンッ!

 衝撃でエイリの体が浮き上がり、左腕の骨が軋む。

 ロプからもらった小さな金属盾が、蜘蛛の巣状にひび割れ、表面がめくれ上がる。

 盾の縁が折れ、装甲が捻じれ、左腕全体がしびれて力が抜ける。

「くそっ……!」

 エイリは盾を捨てようとしたその刹那、

 割れた盾の表面に、淡い銀色の光が走った。

 金属が蠢く。

 ひび割れた装甲が内側から溶けるように寄り集まり、折れた縁が再び繋がっていく。

 ロプが言った言葉が脳裏をよぎる。

『ダンジョン素材が入っとるからの、多少の傷なら自動で修復されるわい』

 盾が、まるで生き返ったように元の形を取り戻していく。

 裏側に刻まれた小さな文字が、一瞬だけ金色に光った。

『命あっての冒険』

 エイリは歯を食いしばり、震える左腕に力を込めた。

「……まだ終わってねぇ! 負けられない理由が増えちまったからな!」

 修復された盾を真正面に突き出し、金狼鬼の次の蹴りを真正面から受け止める。

 ズドン!

 衝撃で足元が抉れるが、盾はびくともしない。

 即座に反転し、自分の剣を金狼鬼の脇腹へ突き刺す。

 刃が毛皮を裂き、浅く肉を抉るが、金狼鬼は痛みを無視して爪を横から払ってくる。

 エイリは後ろへ跳び、爪の風圧が頰を熱く撫でるのを感じながら、着地と同時に盾を構え直した。

 息が上がり、肺が焼けるように熱いが、エイリは金狼鬼から目を離さない。

 金狼鬼の次の攻撃──爪を伸ばした右腕が弧を描いて襲いかかる。

 エイリは盾を使わず、腰を沈めて紙一重で躱すと、すれ違いざまに剣を逆手に持ち替え、狼鬼の脚を深く斬りつけた。

 それを上から見下ろしていたレラが短く命じる。

「今だ。エイリに鑑定を」

 岩陰から身を乗り出し、鋭い顎の動きだけで黒装束の一人を指した。

 黒装束は即座に『血の盟約』のスクロールを広げ、詠唱を始めた。

「神の領域に踏み込むは我なり。汝を司るべき天秤を蹴散らし、汝を量るべき瞳を抉り取り、その血肉を我が手に奪う! 『ミラー・オブ・スナッチング・ゲイズ』」

 魔力が紙面に染み込み、淡い青光が広がる。

 その間も金狼鬼の攻撃は絶え間なく続く。

 エイリは避け切り、徐々に金狼鬼の出血が増えてくる。

 一方、エイリは皮一枚の切り傷を増やすだけで済んだ。

 金狼鬼の蹴りが来る瞬間を見極め、エイリは体を左へ滑らせるように傾けて躱す。

 同時に剣を横に払い、敵の太腿を浅く、しかし確実に裂いた。

 動きが一瞬、わずかに鈍る。

 その隙を逃さず、エイリは盾ごと突進し、獣の巨体を押し返す。

 バランスを崩した金狼鬼の肩が大きく開いた瞬間、剣を振り上げて振り下ろす。

 刃が厚い毛皮を裂き、赤黒い肉に食い込む感触が柄を伝った。

 だが金狼鬼は咆哮と共に体を捻り、逆手に取った爪が弧を描いて迫る。

 エイリは後ろへ跳び、爪先が空気を引き裂く鋭い音を耳にしながら、着地と同時に息を整えた。

 レラはその異様な光景を、薄く微笑みながら眺めていた。

「レベル五が二人瀕死に追い込んだモンスターに、よくぞここまで食い下がる。さて、英雄様……そろそろ本気を見せてくれる頃合いだろう?」

 黒装束の詠唱が終わり、スクロールが発動する。

「鑑定終了いたしました」

 黒装束はスクロールを巻き取り、レラに恭しく差し出した。

 レラがスクロールを受け取る。

『カルマ値:九十五 レベル:ゼロ 肉体強度:三百四十六 魔法強度:百八十二 スキル:シナスタジア 魔法:未発現』

 レラは目を細めた。

「レベルゼロ……だと? 五体も狼鬼を喰わせたのに……燃費の悪すぎる奴だ。問題はスキルか」

 レラはスクロールを黒装束に放り投げ、すぐにエイリへ顔を向けた。

「スキル『シナスタジア』を世界書で即座に参照しろ。アーティファクト『ジョウハリ』の使用を許可する」

 レラが鞄から取り出したのは、縁が煤で黒ずんだ古鏡だった。

 レラはそれを黒装束の僧侶に差し出し、僧侶は両手で恭しく受け取る。

 スクロールに描かれた禁忌の紋様を鏡面に重ね、低く、喉の奥から絞り出すような呪文が響く。

 鏡が仄白く光った。

 表面を這う文字は古の神代文字──視る者の感覚を交錯させる「共感覚」の鍵。

 その瞬間、エイリの脳裏に新たな感覚が流れ込んだ。

 剣を振る──その意志の直前、敵の「剣を振る」という信号が先に届く。

 蹴る──その予兆が、筋肉の微かな動きとともに視界の端に色となって浮かぶ。

 爪を立てる──その殺意が、耳の奥で金属的な高音となって鳴る。

 全てが、敵の行動より一瞬早く、エイリの体に刻み込まれる。

 エイリは歯を見せて笑った。

「これなら……勝てる」

 剣が唸る。

 金狼鬼が右脚を振り上げようとした刹那──エイリはその動きを「赤い閃光」として視界に捉え、既に踏み込んでいた。

 刃が弧を描き、腱を、筋肉を、骨を断ち割る。

 獣の咆哮が半拍遅れて爆発する。

 続けて──体が勝手に動く。

 左からの爪が「金切り声」となって迫るのを耳で感じ取り、盾を滑らせるように構えて受け流す。

 衝撃が腕を震わせる前に、既に次の位置へ。

 回転し、低く身を沈め、返しの一閃で喉元を捉えようとしたその瞬間──金狼鬼の瞳が、初めて恐怖を宿した。


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