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ここは地獄の一丁目  作者: 川合 佑樹


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第26話

 アラの双剣が影より速く閃き、狼鬼の右肩を斜めに裂く。

 銀刃が空気を噛み千切る音が洞窟を震わせ、噴き上がった血しぶきが壁を真紅に染める。トリエはその隙を一瞬も逃さず、剛剣を腰だめに構えて突進。

 重い一閃が狼鬼の腹を薙ぎ、肉と筋が裂ける鈍い感触が柄を通じて掌を灼いた。

 巨体が初めてよろめく。

 狼鬼は咆哮と共に大剣を振り回し、アラの頭を割り狙う。

「そんな大振り、当たるわけないだろ」

 だがアラは膝を折り、刃の下を滑り込むように潜り抜けると同時に双剣を交差し薙ぐ。

 鋭い二筋が膝裏を深く抉り、腱が断ち切られる湿った音が響いた。

 膝が崩れかけた瞬間、トリエは跳躍し、剣を上段から振り抜く。

「もらったぁ!」

 刃が狼鬼の左腕を肩口から肘まで縦に裂き、筋肉がばらりと零れ落ちる。

 血の臭いが熱風となって立ち込め、洞窟全体が鉄錆と獣の匂いで満たされた。

 二人の荒い息が白く交錯する中、狼鬼は血走った瞳で二人を睨み据え、

 まだ折れぬ牙を剥き出しにした。

 その凄まじい戦いの光景に、エイリはただ立ち尽くすしかなかった。

「凄すぎる……」

 心臓の鼓動が耳元で鳴り響き、剣を握る手が汗で滑る。

 狼鬼の咆哮が洞窟を震わせ、アラの双剣が風を切る音が連続して響くたび、エイリの体が硬直する。

 トリエの剣が狼鬼と接触した衝撃波が足元を伝い、エイリは思わず後ずさりした。

「エイリ、逃げよう」

 エイリがセツの顔を見ると、セツの瞳は冷静だが、表情がわずかに強張っていた。

「ダメだ。あいつには勝てない」

 エイリは喉を鳴らし、セツの言葉に頷いた。

「……ああ、分かった」

 セツの野性的な勘がそう告げているのか、セツの絶望的な表情を見て、エイリはセツの手を取り、扉の外へ駆け出した。

 二人の足音が石畳を叩き、狼鬼の咆哮が背中を追うように響く。

 セツの手が強く握り返し、エイリの掌に汗が伝わる。

 扉をくぐる瞬間、洞窟の空気が一気に変わり、湿った風が頰を撫でた。

 外へ出ると、そこにはレベル三のメンバーの姿があった。

 ガレスが地面に座り、メリコの治療を受けていた。

 メリコの掌から淡い光がガレスの肩に注がれていく。

 ガレスがエイリたちを見て、顔を上げた。

「お前ら、生きてたか。中はどうなってる?」

 エイリは息を切らしながら答えた。

「トリエとアラが戦ってる」

 ガレスは肩を軽く回し、鈍い痛みを噛み殺す。

「そうか……レベル五が二人いりゃ、なんとかなるか」

 エイリはガレスの方へ顔を向け、眉をわずかに寄せた。

「ガレスは大丈夫なのか? それにあの三人は?」

 ガレスは苦笑を浮かべてメリコを指差した。

「俺は大丈夫だ。あの三人は上に救援を求めに戻ってもらっている」

 メリコが治療の手を止めず、声を尖らせて言った。

「全然大丈夫じゃないです! 調子に乗るなら治療しませんよ!」

 ガレスは手を振って笑った。

「わーった。すまねぇな。数発受けただけで肩にひびが入っちまった。なんなんだアイツ。やたら強かったが、討伐レベル四にしては強すぎる。あいつだな育てられてた奴は」

 エイリはガレスの言葉に頷き、周囲を見回した。

 洞窟の入口から漏れる咆哮が遠く響き、メリコの光がガレスの肩を優しく照らす。

 ドゴン!

 その瞬間、扉を超えて狼鬼が門の外に飛んできた。

 四肢を失い、巨体が転がるように地面を滑る。

 血だまりが広がり、洞窟の空気がさらに重くなる。

 トリエとアラが血まみれで飛び出してくる。

 トリエが剣を支えに膝をつき、荒い息を吐いた。

「……やっと、終わったか……」

 アラも壁に手をついて肩で息をする。

「これで……終わりね」

 誰もが一瞬、肩の力を抜いた。

 ――逃げなきゃ……

 野太く、掠れた、明らかに狼鬼の声が、エイリの頭の奥で直接響いた。

 エイリは反射的に剣を握りしめ、全身に鳥肌が立った。

「……違う」

 トリエが顔を上げる。

「エイリ? どうした?」

 エイリはゆっくりと顔を上げ、第五層の上──滝のように落ちる水飛沫の向こうを見据えた。

「理由は分からない……でも分かる。俺のスキルが、確かにそう言ってる」

 声が震えていた。

「ここの主は……コイツじゃない」

 その瞬間。

 水飛沫を真っ二つに裂き、黄金の巨体が落下してきた。

 ドシャアアアアン!

 着地の衝撃で地面がひび割れ、砂埃が舞い上がる。

 その姿は──金色の狼鬼だった。

 育てられ肥大化した狼鬼よりも遥かに大きく、巨大な剣を片手で軽々と構えている。

 金毛の毛皮が陽光を浴びて灼きつくように輝き、四肢の筋肉が異様に膨張し、血管が脈打つたびに浮き上がる。

 だが最も異様なのは──首に嵌められた、黒鉄の首輪だった。

 表面に赤く刻まれた呪文字が、微かに脈動している。

 ――たすけて……もう、殺したくない……

 また、あの声がエイリの頭の奥で響いた。

 今度は、はっきりと「痛み」と「恐怖」が混じっていた。

「金狼鬼……!」

 トリエが掠れた声で呟くと首輪が光り、金色の巨躯がゆっくりと振り返った。

 金狼鬼は口の端を吊り上げ、獰猛に笑う。

 その足が、這いずるように転がる狼鬼へと近づいた。

 四肢を失った狼鬼が、血の泡を吐きながら弱々しく唸る。

 金狼鬼は答えない。

 ただ、巨大な剣を無造作に振り上げ、一閃。

 刃が空気を裂くより早く、首が宙を舞った。

 噴き上がった血が弧を描き、床に落ちる首が鈍く跳ねる。

 金狼鬼はしゃがみ込み、血まみれの胴から核の魔石を抉り出す。

 赤く脈打つ石を指で摘み上げると、何の躊躇いもなく口に放り込み、喉を鳴らして飲み干した。

 ゴクリ。

 その湿った音だけが、凍りついた静寂の中で異様に大きく響いた。

 次の瞬間、金狼鬼の体が黄金の光に包まれた。

 筋肉が波打つように膨張し、血管が浮き上がり、毛皮の下で鋼のように硬質化していく。

 瞳の赤が、まるで溶けた鉄のように深く、濃く、燃え上がった。

 全員の顔が青ざめた。

 ガレスが盾を握り直し、メリコが祈りの言葉を呟き始める。

 エイリは剣を構え、セツが拳を握りしめ、トリエとアラが剣を前に突き出す。

 その瞬間、全員が理解した。

 この事件の黒幕──ダンジョン異常の元凶は、こいつだ。

 そして、全員が同じ“死の予感”に囚われた。

 ──ここから生きて帰れる者など、一人もいないのではないかと。

 首輪が脈動し、巨大な剣が鈍い金属音を響かせながら──高く振り上げられた。

 その瞬間、全員の息が止まった。

 洞窟の空気が凍りつき、遠くで滴る水音だけが、針のように鋭く響く。

 金狼鬼の黄金の瞳が、闇の中でぎらりと光った。

 ──確実に、獲物を定めて。


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