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ここは地獄の一丁目  作者: 川合 佑樹


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第23話

 エイリとトリエとセツが左回りに巡回する班として、第五層の広大な洞窟状の空間を進み始めた。

 ダンジョンの構造は、第五層から第九層まで規模の差こそあれど、円環状の通路が続き、一周できるように設計されていた。

 エイリは剣を低く構え、視界の端を警戒しながら歩を進めた。

 セツが拳を軽く握りしめて言った。

「……静かすぎる。息遣いすら聞こえない」

 エイリは耳を澄ませて応じた。

「そうだな。モンスターの声が聞こえてこない。いつもなら咆哮や羽音が響いてくるのに」

 トリエは長剣の柄に手をかけ、壁の影を鋭く睨みながら歩を進めた。

「……気配すらない」

 三人は足音を抑え、川の流れに沿って左回りに進んだ。

 水音が絶え間なく響き、時折霧のような水しぶきが頰を濡らす。

 トリエが先頭で角を曲がるたび、セツが拳を構え直し、エイリが盾を微かに持ち上げて備える。

 だが、進むほどに不気味な静寂が濃くなり、壁に刻まれた古い傷跡や、散らばった石屑が、過去の戦いの痕跡を語るだけだった。

 そして、歩を進めるうちに正面からぼんやりとした影が見えてきた。

 トリエが即座に手を挙げ、ハンドサインを素早く出す。

「武器を抜け」

 エイリとセツが剣と拳を構え、息を潜めて影に近づく。

 しかし、奥から聞き覚えのある声が響いた。

「……トリエ?」

 影の主はアラだった。

 アラの後ろにイチ、フタ、サンが並び、二組の探索班が予想外に早く出会う形となった。

 トリエは長剣を緩め、肩を軽く回して言った。

「その様子だとそっちもか。会敵ゼロだろ?」

 アラは双剣の柄を軽く叩き、鋭く頷いた。

「えぇ。猿鬼すら一匹も」

 トリエは周囲の壁を睨みつける。

「そうか……」

 二組は互いの装備と表情を確認し、目だけで意思を交わす。

 アラが軽く首を振り、イチが無言でハンドサインを返す。

 フタとサンが周囲を警戒し、セツが拳を緩めずに影を睨む中、エイリは剣を構えた。

 擦れ違いながら奥へと進むが、静寂が背中を押すように不気味に広がる。

 そして、奥へと進んでいくうちに、ガレスとメリコのもとへと戻ってきた。

 ガレスは巨盾を手に待っていたが、トリエたちの早い帰還に目を丸くした。

「ずいぶん早い帰りだな。何かあったか?」

 トリエは長剣を鞘に収めて言った。

「あぁ……モンスターがいなかったよ。一匹も」

「……マジかよ。それって」

「あまり考えたくもないが、パンズパニックもあったことだしな。『食わせてる』奴がいるかもしれない」

 ――たすけて……

 また、掠れた幼い声がエイリの頭の奥だけで響いた。

 今度は少しだけ、はっきりと。

 エイリは思わず足を止め、小さく呟いた。

「……まただ」

 トリエが振り返る。

「ん? どうしたエイリ?」

 エイリは首を振って、苦笑いしながら言った。

「いや……また『たすけて』って、聞こえた気がして……」

 トリエは眉を寄せ、周囲の静寂を見回した。

「……私は何も聞こえなかったぞ。お前、疲れてんのか?」

 セツも首を傾げてエイリの横顔を覗き込む。

「私も聞こえない?」

 エイリは自分の耳を軽く叩いて、照れ臭そうに笑った。

「……そっか。やっぱり気のせいか」

 けれど、どこか遠くで、まだ小さな鼓動が──確かに、脈打っていた。

 その時、奥の通路から軽やかな足音が響き、アラたちが姿を現す。

 アラは背中で双剣を軽く揺らしながら輪に加わり、静かに口を開いた。

「次の階へ急ぐ」

 そして第六層も同様に探索したが、会敵なし。

 川の流れが激しくなり、水しぶきが足元を濡らす中、皆の足取りが重くなる。

 第七、第八層も同様にモンスターはいなかった。

 壁の傷跡が増え、時折古い血痕が残るが、気配はゼロだ。

 トリエが皆の後ろからアラに声をかけ、息を荒げて言った。

「アラ、これ『食わせてる』よな?」

 アラは双剣の柄をぎゅっと握り、前方に目を据えたまま即答した。

「そうね。低階層では珍しいけど、誰かが意図的にやっている可能性が高いわ」

 ガレスが巨盾を肩に担ぎ直し、声を低くして言った。

「だとしたら坊主たちにはちょっと酷じゃねーか? レベル三ならまだ対応できるだろうが……。この辺りだと条件も悪い」

 トリエはエイリとセツを一瞥し、拳を軽く叩いた。

「いや、この階層程度なら『食わせて』いてもこの二人なら大丈夫だ。信じてくれ」

 エイリがぽかんと口を開け、素直に手を挙げた。

「すまない。『食わせる』ってなんだ? さっぱりわからないんだが」

 一瞬静寂が訪れ、皆の足音が止まった。

 ガレスが巨体を傾け、エイリの肩を軽く叩いて説明した。

「そうか……そうだよな。『食わせる』ってのは第二十層から三十層で良く行われる儀式みたいなもんでな。特定のモンスターに他のモンスターを倒させてカルマを底上げしてやるんだ。そうするとモンスターもレベルが上がる。これを繰り返してレベルの高くなったモンスターを倒すとより多くの経験値が貰えるんだ」

 セツは膝に肘をつき、ガレスの顔をまじまじと見上げた。

「モンスターのレベルをわざわざ上げる? そんなことして大丈夫なのか? 暴走したりしないのか?」

 ガレスは笑みを浮かべて応じた。

「あぁ動きの遅いモンスターに食わせて、あとは囲んで何とかするんだよ。まぁいずれお前らも通る道だ。その時勉強すればいい」

 エイリは軽く頭を下げた。

「そうか……ありがとう」

 イチ、フタ、サンがぴたりと声を揃え、黒装束の裾を翻して言った。

「「「浅層ならボスを倒した方が効率的」」」

 トリエは腕を組んで頷いた。

「そうだ。ここでレベル上げをする理由は基本的には無いからな……。こんな浅い層でやるなんて、普通じゃありえない」

 エイリが少し肩を落として言った。

「そうか……」

 メリコがローブの袖を優しく握り言った。

「では、だれが何の目的で?」

 ガレスが腕を組んで言った。

「報酬も特別美味くねぇからなぁ。誰かが実験でもしてるのか?」

 アラが皆を制し、静かに声を張った。

「考えていても仕方がない。ひとまず進もう」

 そして第九層を過ぎ第十層へとたどり着いた。

 エイリが見上げると、第五層から川が滝のように降り注ぎ、大きな門に当たり、縁取るように脇を流れていく。

 水飛沫が顔を濡らし、轟音が耳を震わせる。

 トリエが門を睨みつけ、アラに声を投げかけた。

「どうするアラ。ボス部屋覗いとくか? このまま手ぶらで帰るのも癪だろ」

 アラはエイリとセツを一瞥した。

「ベルギルドの二人はついてこられるのか?」

 トリエはエイリの肩をぽんと叩き、顎をしゃくってセツの方を示した。

「……まぁ大丈夫だろ。この二人ならな」

 アラは静かに視線を巡らせ、皆の顔を一人ずつ確かめるように見回した。

 そして、小さく、しかし確かに頷いた。

「当初の予定じゃボス討伐は目標に入ってなかったけど……ここまで来て何もなしじゃ、士気も下がるわね」

 ガレスは巨盾を肩に担ぎ直し、片眉だけ上げてエイリに軽く笑いかけた。

「俺は帰ってもいいんだけどよ。どうせ収集物もショボいしな。せっかくだからボスでもぶっ倒して、宝箱の一つでも貰いてぇなぁ」

 イチ、フタ、サンがぴたりと声を揃えた。

「「「アラの指示に従う。どちらでも可」」」

 メリコは柔らかく微笑み、静かに輪の中へ一歩踏み込んだ。

「私も構いません。若い子たちを導くのも、大人の務めですもの。皆で力を合わせましょう」

 トリエはエイリの肩を軽く叩き、親指でセツを指して笑った。

「まぁ何度も来ることになる階層だしな。エイリ、セツ、しっかり目に焼き付けとけ。実戦が一番の教科書だ」

 アラは巨大な門を真正面から睨みつけ、静かに、でも確実に頷いた。

「──第十層ボス『第一の園』、討伐する」

 全員が短く息を合わせ、揃って門へ足を踏み出した。


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