第20話
パンズパニックの傷跡が街に残る間もなく、冒険者たちは再びダンジョンの階段を降りていた。
死んだ仲間の名前を酒場で一度だけ呟いて、あとは黙って剣を研ぐ。
それがこの世界の流儀だ。
だが第五層だけは違った。
湿った空気が一瞬で熱を帯び、石壁が赤黒く濡れる。
最初に気づいたのはベテランパーティ「鉄槌の四人」だった。
盾役の巨漢が叫ぶ。
「囲め! 囲んで叩け!」
盾を翳した途端、何かが横薙ぎに振り抜かれ、盾ごと胴が真っ二つ。
血飛沫が天井まで届き、巨漢の口から最後の言葉が零れる。
「……盾が、紙みてぇに……」
残った三人は悲鳴を上げた。
「逃げろ! 逃げ──」
次の瞬間、振り下ろされた腕が三人同時に地面へ叩きつけ──骨が砕ける音が連続して響いた。
一人はまだ息があった。
「なんで……こんな奴が……!」
首だけが逆方向に捻られ、声が途切れた。
次に遭遇したのは若手有望株の魔法剣士三人組だった。
「火だ! 火で焼き払え!」
一人が詠唱を終え、炎の槍を放つ。
炎が怪物にぶつかった瞬間、振り下ろされた一撃で炎ごと剣士の肩から腰までを斜めに裂き、肉が焼ける臭いが広がる。
「う、うわあああ!」
逃げようとした二人は背中を掴まれ、地面に叩きつけられながら首が逆方向に捻られた。
「や、やめ……」
頭が床にめり込み、声はもう出なかった。
さらに奥では、レベル四のソロ冒険者が必死に剣を振るっていた。
「くそっ! くらいやがれ!」
刃が怪物の表面を浅く削るたび、振り下ろされる一撃で剣ごと腕が飛ばされ、悲鳴が途中で途切れる。
「ぐあああ!」
次の瞬間、体が宙を舞い、壁に叩きつけられた。
鈍い音とともに、肉と骨が一瞬で潰れ、赤黒い飛沫が飛び散る。
壁に張り付いた肉片が、ずるり、ずるりと重力に従って滑り落ち、床にべちゃりと落ちた。
第五層はもう「狩場」ではなく、ただの「処刑場」だった。
誰も敵の姿を言葉にできなかった。
血まみれの唇から掠れた声でただ一言。
「……デカい」
それだけが、静寂を切り裂いて零れ落ちた。
──そして今日。
ダンジョン第三層。
エイリは一人、薄暗い通路を慎重に進んでいた。
今日はトリエがロダンに呼ばれており、「三層まで」と念を押されていた。
だから素直に従った。
……従ったつもりだった。
最初に襲いかかってきたのは赤鬼だった。
「ガアアア!」
エイリは盾を構えず、剣を低く引き、相手の棍棒が振り下ろされる瞬間を見切る。
「遅い」
横に滑り込み、剣を逆手に持ち替えて喉を突き上げる。
ゴキリ、と音がして巨体が前のめりに崩れた。
エイリは血の飛沫を袖で払う。
「次」
次は巨大蜘蛛三匹。
「シュウウウ!」
糸が吐き出される寸前、エイリは壁を蹴り、宙を舞った。
「まとめて逝け!」
空中で身を捻り、剣を横薙ぎに一閃。
二つの首が弧を描いて宙を舞い、遅れて胴が崩れ落ちる。
着地の衝撃を利用し、盾で三匹目の突進を弾き流すと同時に、返す刃で胴を真っ二つ。
緑の体液が床を這い、酸っぱい腐臭が鼻腔を灼いた。
息を整える間もなく、大型の蜂四匹が群で襲いかかる。
「キリリリリ!」
エイリは低く構え、蜂の突進をすべて見据える。
「来いよ」
最初の一匹が飛び込む瞬間、盾で受け流し、その勢いで剣を横に払い、首を刎ねる。
「まだ三匹」
二匹目は背後から飛びかかるが、エイリは振り返らずに肘を打ち込み、剣を逆手に持ち替えて心臓を突き刺した。
「甘い」
残る二匹が怯んだ一瞬を逃さず、エイリは盾を突き出して一匹を壁に叩きつけ、もう一匹の毒針を紙一重でかわしながら喉を裂いた。
「最後だ」
最後の個体が這うように逃げ出そうとする。
エイリは地面を強く蹴り、一気に間合いを詰めると、剣を振り上げることすら惜しみ、落下の勢いだけで背中から真っ二つに叩き斬った。
血と内臓の臭いが充満する中、エイリは荒い息を吐き、額の汗を手の甲で乱暴に拭った。
「……確かに力、上がってるな」
温泉の翌日、エイリはベルから鑑定を受けた。
『カルマ値:四十五 レベル:ゼロ 肉体強度:二百八十六 魔法強度:百二十二 スキル:シナスタジア 魔法:未発現』
ベルは羊皮紙を指で叩きながら首を傾げた。
「ふむ、レベルは相も変わらずゼロか……。ステータスの上昇に関しては既にレベル二から三ほどの力はあるみたいじゃが、なぜかのぉ。しかしスキルが開花しておるな。シナスタジア……!」
トリエが横から覗き込む。
「シナスタジア……共感覚ですか? どういったスキルなんですか?」
ベルは首を振って笑った。
「これはのう……聞いたことがないのぉ」
エイリはガクッと肩を落とした。
トリエが慌ててフォローする。
「まぁエイリ。ひとまずステータスはめちゃくちゃ上がってる。レベルが全てじゃないさ。スキルはきっと何かの役に立つ」
「おっす……」
──今。
エイリは最後の蜂型モンスターの魔石を抜き取った。
「さすがに三層は余裕が出てきたな……」
そう呟いた瞬間、ふと足を止める。
すぐ目の前、下へ続く石段が見えた。
ダンジョン第四層への階段だ。
湿った風が下から這い上がってきて、鼻先をくすぐる。
「……トリエに、三層までって念押しされてるしな」
自分に言い聞かせるように呟いて、踵を返しかけた。
その瞬間。
──キャアアアアアッ!!
鋭い絶叫が、階段の下から突き上げてきた。
エイリは反射的に柄に指を絡め直し、石段を三つ飛ばしで駆け下りる。
着地のたびに膝が軋み、金属鎧がガチャガチャ鳴る。
四層に降りた途端、空気が変わった。
床にはまだ生々しい血痕がべったりと残っている。
通路を一つ曲がった先、開けた空間に出た。
そこに──赤目の少女がいた。
金髪をツインテールに結い、華奢な体をボロボロの白いローブで覆っている。
ローブは無残に裂け、肩から腰まで大きく引きちぎられ、白い肌が血で汚れていた。
ツインテールも赤く染まって重そうに垂れていた。
両手には、大剣を逆手に構えている。
その周りを、七人の冒険者が取り囲んでいた。
全員血走った目。
武器は血で濡れている。
床には、もう一人の女性冒険者が仰向けに倒れていた。
胸から腹まで真っ二つ。
内臓がこぼれ、血だまりが広がっている。
リーダー格の髭面の大男が、少女に剣を突きつけながら唾を飛ばす。
「てめぇやりやがったな……!」
槍を持った男が一歩詰め寄る。
「おいガキ! 仲間をぶった斬ったのはてめぇだろ!」
「言い訳すんなよクソガキ!」
少女は静かに首を横に振った。
声は凍てついた井戸の底のように低く、感情の欠片すら感じさせない。
「……弱いのが、悪い」
「ふざけんなッ!」
髭面が顔を真っ赤に歪め、大剣を振りかぶる。
残る六人も怒りに歯噛みしながら、一斉に刃を掲げた。
――たすけて……
掠れた、幼い声が風に乗ってエイリの耳の奥に突き刺さる。
瞬間、眉が痛いほどに寄り、足が勝手に一歩を踏み出した。
「待て!!」
轟音のような叫びを上げ、エイリは盾を前に突き出し、全力で割り込む。
ガキィンッ!
盾が髭面の剣を弾き、衝撃で男の体勢が大きく崩れる。
エイリは盾を押し返しながら七人を睨み据えた。
「お前ら、何やってんだよ! 寄ってたかって!」
七人が一瞬たじろぐ。
「てめぇは誰だ! 関係ねぇだろ!」
「関係はない! だが、こんな状況見過ごすわけねぇ!」
エイリは盾を構えたまま、少女を背後に隠すように一歩踏み出す。
少女が、血まみれのローブの裾を軽く掴んだ。
冷たい指が、エイリの鎧に触れる。
「……邪魔」
掠れた声。
でも、どこか呆れたような、興味のなさそうな響きだった。
エイリは瞬間、首を振った。
「……えっ? でも、今……『たすけて』って……」
少女の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
誰も気づかないほど小さな、けれど確かに「驚き」に似た光。
髭面が顔を真っ赤にして、剣の柄を荒々しく掴み直す。
「邪魔だガキ! どけ!」
「断る!」
エイリが剣に手を添える。
槍使いが苛立って舌打ちした。
「だったら一緒に死ね!」
七人が一斉に武器を振り上げる。
エイリは盾を構え直した。
少女が背後で、淡々と呟いた。
「……下がってて」
エイリは振り返る。
少女は大剣を肩に担ぎ、無表情のまま一歩前に出た。
血の滴るツインテールが、ぬめりと重みを帯びて揺れた。
「私が、片付ける」
血の臭いが充満する四層の広間で、金属と血が鳴り始めた。




