第2話
外に出る二人。
ヘイル王国の街並みは、石畳の道が曲がりくねり、木組みの家屋が肩を寄せ合うように並ぶ。
空を覆う灰色の雲の下、馬車の車輪が石を噛む音や、商人たちの呼び声が交錯する。
路地からは焼きたてのパンの香りが漂い、時折通り過ぎる馬車が埃を巻き上げる。
歩くたびにトリエの鎧が音を鳴らす。
ガチャリ、ガチャリと金属の擦れ合う音が、通りすがりの人々の足を止めさせる。
子供たちが指を差し、母親が慌てて引き止める。
トリエは意に介さず、堂々と胸を張って歩く。
冒険者は決して舐められてはいけない。
エイリはその小柄な体躯から、トリエへの憧れを抱いていた。
道中、トリエが突然立ち止まり、路傍の果物屋に目をやる。
「おっ、エイリ。レモン買っていくか?」
エイリは首を振り、笑う。
「今はいいよ」
「そうか……そうだな」
二人はそんな他愛ないやり取りを交わしながら、街の喧騒を抜けていく。
ロダンへと到着する二人。
教会を模した佇まい。
白く大きな扉。
建物は高くそびえ、尖塔が空を刺すように聳え、窓から柔らかな光が漏れ出る。
トリエは両手を広げ、扉に掌を押し当てた。
ごうっ……と重い蝶番が悲鳴を上げ、扉が内側へと開いていく。
途端に、埃と古書の匂いが鼻先をくすぐった。
そこは広大なホールだった。
高い天井を這うように太い梁が交差し、壁際の書棚には羊皮紙の巻物がぎっしりと詰まっている。
冒険者たちがテーブルを囲み、酒を回し飲み、地図を叩いて熱弁を振るっている。
「だからよぉ! 第二十八層の奥に“幻の宝箱”があるって確実なんだって! 俺の兄貴が命懸けで──」
「バーカ、そりゃ三年前のデマだろ!」
「空っぽでも魔石の欠片くらい残ってるかもしれねーだろーが!」
「はははは! お前らまだそんな話信じてんのかよ!」
扉が軋む音を合図に、喧騒が一瞬で消えた。
数十の目が一斉にトリエとエイリを射る。
まるで獲物を見定める獣のように、静かで、重い。
囁きが波のように広がり、酒場の空気がぎゅっと張り詰める。
ここで「初めて」は、値踏みされるのだ。
使えるのか、使えないのか それだけがこの世界のルールだった。
「赤鬼だ……」
「今日はペットも連れてんだな」
声の主は、隅のテーブルで酒杯を傾けていた髭面の男。
仲間たちがくすくすと肩を震わせるが、トリエの目が鋭く一閃すると、慌てて口を噤んで視線を床に落とした。
「……ははっ冗談だよ……すみやせん」
トリエが小さく鼻を鳴らし、踵を返す。
赤い髪が翻り、カウンターへと真っ直ぐ歩み寄っていく。
カウンターは磨かれた木製で、背後の棚に無数の羊皮紙が整理されている。
トリエの足音がホールに響き、周囲の空気を押し退けるように堂々と進む。
エイリは後ろを追い、緊張した面持ちで周囲を窺う。
トリエがカウンターに肘を突き挨拶をする。
「レト、イラ、ティ――おはよう! 報告に来たぜ」
レト、イラ、ティと呼ばれる受付嬢三人が、同時に挨拶をした。
「「「おはようございます。トリエさん、エイリさん」」」
レトは黒い長髪を優雅に払い、カウンターの端から滑るように近づく。
イラとティはそれぞれ書類を脇に置き、微笑みを浮かべて見守る。
三人とも青を基調とした制服で、動きやすさを考慮して裾が短めに裁断されている。
トリエが腰の袋から羊皮紙を取り出す。
「昨日の成果報告書だ。あとエイリの分もある」
「……確かに。受け取りました。報酬はベルギルドに登録しておきますね」
「おう。ありがとな。いくらか現金でくれ」
「畏まりました」
レトは羊皮紙を素早く目を通し、インクの染みが付かないよう丁寧に折り畳む。
トリエはカウンターに体重を預けた。
エイリは傍らで黙って立っている。
一瞬の静寂。
レトがトリエを見上げる。
トリエはポケットから小銭を取り出した。
「エイリ。ちょっと喉が渇いたなぁ。なんか買ってきてくれ」
「あぁ……わかった」
エイリは小銭をぎゅっと握りしめ、踵を返して扉へ急ぐ。
走る靴音がホールに跳ね返り、数人の首が揃ってそちらを振り返った。
トリエはエイリの背中を見送り、扉が閉まる音を聞いてから、レトに身を寄せた。
「おいレト……エイリはまだ昇格しないのか!?」
「それは……こちらでは分かりかねます……」
「こんだけ依頼こなしてるんだ、そろそろあいつもレベル一くらいにはなれるだろっ!」
トリエの声は低く抑えられ、拳をカウンターに軽く叩く。
レトは周囲を気遣いながら、声を潜めて応じる。
イラとティは作業に戻ったふりをして、耳を傾けている。
「ですので、それはそちらのギルド長であるベル様に聞いていただかないと……」
「もう長らく不在なんだよっ。わかってんだろ?」
「……ですが、こちらでは昇格できるかは判断できないので……その」
トリエはカウンターに肘をぐっと乗せ、声をひそめた。
「レト……頼む。お前だって分かってるだろ? あいつ、もうレベルゼロのまま一年だぞ」
レトはちらりと周囲を確認してから小声で返す。
「……私も何度かベル様にお伺いしましたけど」
「この報告書見たら分かるだろ! 実力はもうレベル一どころか二は越えてるってのに!」
イラが横からそっと口を挟む。
「トリエさん、声が……。でも本当に可哀想ですよね。あの子、毎日必死なのに」
ティも小さく頷く。
「ステータスの確認は……各ギルド長の特権ですので……」
「……はぁ。いや……悪かった。無理を言ったな」
「いえ、トリエ様がエイリ様を大切にされていることは承知しておりますので」
「でもなぁ……」
トリエはため息をつき、赤髪を指でかき上げる。
レトは苦笑いを浮かべ、カウンターの引き出しから小さなメモを取り出す。
二人の声が揃う。
「いつ昇格するんだろうなぁ」
「いつ昇格するんでしょうね」
二人は顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。
トリエは肩を落とし、レトはメモをそっとしまう。
ホール内の喧騒が、再び二人の周りを包み始める。
トリエが外に出ると、エイリが遠くから駆けてきた。
「トリエ! 買ってきたぞ!」
トリエはエイリから水筒を受け取る。
「ありがとうエイリ」
トリエは蓋を捻り、瓶を傾けて一口含む。
瞬間、レモンの鋭い酸味が舌を刺し、トリエの眉がピクリと跳ねた。
「これって……」
「レモン水だ。ダメだったか?」
「……いや、ありがとう」
トリエは水筒をエイリに返し、エイリの頭を大きな手でポンと叩く。
叩かれた衝撃でエイリの髪が乱れる。
トリエの指先が、優しく髪を直す仕草を見せる。
「それじゃダンジョンに戻るか。新しい依頼書を貰ってきた。午後も特訓だ」
「おうっ」
エイリはトリエの後を追う。
二人は街路を戻り始め、鎧の音と靴音が、再び街に響き渡る。
午後の陽光が、依頼書の端を優しく照らし、今日の新たな戦いを予感させる。




