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ここは地獄の一丁目  作者: 川合 佑樹


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第17話

 闘技場の砂地は、地獄の門が開いたかのように、異形の咆哮と羽音の渦に飲み込まれていた。

 エンプの卵巣が裂けた瞬間、青いゲートが開いた。

 そこから、無数の化け物が吐き出される。

 小鬼。蜂。蜘蛛。狼。

 大型のものから小型まで、多種多様な化け物たちが、飢えた獣のように四散し、闘技場を埋め尽くす。

 砂煙が視界を白く塗り潰し、熱い風が喉を灼く。

 叫びと咆哮と甲高い羽音が絡まり合い、耳を塞ぎたくなる。

 トリエは長剣を握りしめ、兜の下で奥歯を噛み締めた。

「こいつは……!」

 兜の隙間から覗く瞳が、エンプの腹部に釘付けになる。

 青く濁った膜がびくびくと脈打つたび、ぬるりと新たな影が這い出した。

 その横を、白い閃光が滑り込んだ。

 アラは双剣を軽く一回転させ、白髪を風になびかせながらトリエと肩を並べる。

「ゲートまで明らかに改造されている。自然の産物じゃない……誰かが手を加えた可能性が高い」

 アラの声は冷静だが、瞳に苛立ちが宿る。

 トリエは即座に頷き、腰を沈めると同時に大型の狼型モンスターへ低く滑り込むように飛びかかった。

「デカいのは私がやる! ちっちゃいのはアラに任せる!」

 巨体が砂を抉り、牙を剥いて突進してくるのを、トリエは剣の平で受け止め、衝撃を足裏で吸収する。

 金属の軋む音が響き、狼の巨体がぐらりと傾く。

 その一瞬の隙を逃さず、トリエは剣を横に薙ぎ払い、首筋を根元まで裂いた。

「次ぃっ!!」

 鮮血が鎧を赤く染める。

 トリエは舌打ち一つせず、すぐさま次の大型蜘蛛に体を向ける。

 八本の脚が槍の穂先のように突き出され、同時に毒糸が白い霧となって吐き出される。

 トリエは砂を蹴り、身体を捻りながら垂直に跳躍した。

 頂点で剣を逆手に持ち替え、落下の勢いをすべて刃に乗せる。

 振り下ろされた一撃は背甲の中心を正確に捉え、鈍い破砕音とともに真っ二つに裂いた。

 緑の体液が噴水のように噴き上がり、トリエの肩と髪を濡らす。

 絡みつこうとする糸を左手首の装甲で弾き飛ばし、着地の衝撃を膝を折って殺す。

 短く息を吐き、すぐに次の標的へ視線を走らせる。

 その背後では、アラが小型の群れを縫うように踊っていた。

「まとめて逝きなさい!」

 双剣はほとんど見えない速度で弧を描き、触れるものすべてを断ち切る。

 甲殻が跳ね、脚が宙を舞い、断ち切られた神経が引き攣るたび、甲高い悲鳴が重なって響く。

 アラは群れの中心を突き抜け、一瞬だけ振り返る。

「遅いわ」

 血と体液に濡れた顔に、かすかに笑みが浮かんでいた。

 白髪が風を切り、アラの周囲だけ時間が遅く流れるかのように、敵の動きが鈍い。

 二刀が風を切り、蜂の群れを一閃で両断──羽音が途切れ、毒針が砂に散る。

 アラの足が砂を滑らせ、小鬼の爪を躱し、逆手に持ち替えた刃で喉を掻き切る。

 動きは流れる水のようで、無駄がない。

 小鬼が三匹、連携して飛びかかるが、アラは体を反らし、回転しながら二刀を交差させて胴を薙ぎ払う。

 体液が飛び散り、砂を染める中、アラは即座に次の狼の影を捉え、低い蹴りで足を払い、倒れたところを刃で仕留める。

 縦横無尽の剣舞が、モンスターの波を次々と削り取っていく。

 しかし、その隙間を縫うように、無限の勢いでモンスターがあふれ出してくる。

「卵巣が生きてる限り終わらない! トリエ、エンプを!」

 エンプの卵巣から青い光の粒子が舞い上がり、新たな化け物が生まれる。

 小型蜂がアラの周囲を黒い渦に変え、毒針を雨のように降らせる。

 アラは双剣を風車のように回し、針を弾きながら顎をわずかに上げ、トリエの方角を確かめた。

 トリエは大型蜘蛛の前脚を剣で受け止め、押し返しざまに額の汗を手の甲で乱暴に拭う。

 その動きの途切れで、ぴたりとアラと目が合った。

「今、行く!」

 砂地全体に無数の足音で広がり、蜂の羽音が鼓膜を抉り、小鬼の爪が空気を引き裂く。

 狼の咆哮が地を這い、蜘蛛の糸が視界を白く塗り潰す。

 唯一の救いは、溢れ出るモンスターが討伐レベル三程度に留まっていることだった。

 後ろに下がっていたレベル四の冒険者たちが、息を整えて再び剣を構え、ニクスに応じたレベル三の者たちも、観客席から飛び降りて低レベル帯の小鬼や蜂を相手に取る。

 剣士の一人が棍棒を振り回し、小鬼の頭を砕き、魔法使いの少女が掌から火の玉を連射して蜂の群れを焼き払う。

 棍棒の重い音が響き、火の爆ぜる音が砂煙を加熱し、レベル三の弓手が矢を放って狼の脚を射抜く。

 矢羽の風切り音が続き、倒れた狼の体が砂を転がる。

 冒険者たちの連携が、次第にモンスターの波を押し返すが、卵巣の脈動は止まらず、化け物の数は減るどころか増えていく一方だ。


 観客席の端では、エイリとセツが、逃げ遅れた冒険者たちを背に守るように剣を振るっていた。

 小鬼の爪がエイリの盾に弾かれ、蜂の針がセツの黒髪を掠める。

 エイリは盾を押し返し、剣を低く構えて小鬼の脚を払う。

 刃が肉を裂く感触が掌に残り、熱い体液が顔を掠める。

 次の蜂が羽音を高めて急降下してくるが、セツが一歩踏み出し、右拳を振り抜いた。

 拳が蜂の頭部を真正面から捉え、甲殻が粉々に砕け散る。

「ひっ……!」

 逃げ遅れた商人風の男が、震える両手で短剣を握りしめ、エイリの横で小鬼に斬りかかる。

 だが刃は爪に軽く弾かれ、男は尻餅をついて後ずさる。

 エイリは一瞬で間合いを詰めていた。

「やらせねぇ!!」

 剣を低く構えたまま体を沈め、跳ね上がるように振り上げる。

 弧を描いた刃が小鬼の右腕を根元から薙ぎ払い、黒い血しぶきが宙を舞った。

「セツ!」

 エイリは叫びながら、次の小鬼へ身体を滑らせる。

「一般人を優先しろ! 俺たちが盾になるんだ!」

 エイリは叫びながら、盾で蜂の針を弾き、商人をかばうように体を寄せる。

 セツは狼の影を睨み、拳を握りしめて低く構えるが、蜂の群れが背後から迫るのを、素早く回転して払いのける。

 拳風が空気を震わせ、数匹の蜂が吹き飛ぶ。

「この状況でそんな器用なことできないよ!」

 セツの声が鋭く響き、セツは即座に狼の鼻先を蹴り上げ、巨体を後ろに倒す。

 狼の体が砂を抉り、唸り声を上げて起き上がろうとするのを、エイリが剣で喉を突く。

 刃が深く沈み、血泡が噴き出す。

 だが、試合の疲労がエイリの腕に重くのしかかり、剣を抜く動作がわずかに遅れる。

「くっ……」

 次の小鬼がその隙を突き、爪を振り下ろすが、セツが横から飛び込み、拳で小鬼の頭を砕く。

 骨の砕ける音が響き、小鬼の体が崩れ落ちる。

「……数が多すぎる!」

 エイリは肩で息をしながら、剣を大きく振り回した。

 弧を描く刃が蜂の群れを薙ぎ払い、羽がばらばらと散り、毒針が無力に宙を舞う。

 だが次の瞬間には新たな羽音が頭上を覆った。

 試合の疲労が骨まで染みつき、盾を構える左手がわずかに垂れ下がる。

「助け……!」

 すぐ横で冒険者の一人が蜘蛛の糸に巻き取られ、悲鳴を上げながら砂を掻いて引きずられていく。

 エイリは歯を食いしばり、全身をバネにして駆けた。

「今、助けるっ!」

 剣を振り下ろす。

 白い糸がスパンと断裂し、続けて蜘蛛の前脚を一閃で薙ぎ払う。

 緑の体液が噴き上がり、足元が滑る。

 その背後で狼の咆哮が轟いた。

「任せて!」

 セツが横から飛び込み、拳を連打。

 一発目で鼻面を潰し、二発目で顎を砕き、三発目で首を捻じ曲げた。

 巨体が前のめりに倒れる瞬間、蜂の群れがセツの肩を掠め、薄く裂けた皮膚から血が滲む。

 闘技場全体に悲鳴と咆哮と羽音が渦巻き、砂は血と体液でぬかるみ、足を取られる。

 観客席の柵は半ば崩れ、逃げ惑う人々の波と、押し寄せる魔獣の波が交錯する。

 どこを見ても終わりの気配はなく、ただ次の敵が、湧いてくるだけだった。


 貴賓席の窓辺から、その惨状をエルが静かに覗き込んでいた。

 扇子を優しく開き、唇を覆うように微笑を浮かべる。

 エルの横に控える白髪の青年、リュカが、静かに声を掛けた。

 白髪が肩に流れ、大剣を背に担いだ巨躯が、部屋の影を濃くする。

「エル様、ここも危険になります。ギルドに戻りましょう」

 リュカの声は低く、しかし穏やかだ。

 エルは扇子を小さく揺らし、砂地に顔を向けたまま、首をわずかに傾けた。

「ふふ、リュカ、あなたも戦いたいんじゃなくて?」

 甘い響きが言葉の端に乗る。

 リュカは即座に片膝をつき、大剣の柄に手を添えて深く頭を下げた。

 静かな忠誠が、熱い砂の上に落ちる影のように重い。

「俺はあなたをお守りする為に存在します。戦えとおっしゃるなら、いつでも」

 リュカの瞳が、エルの横顔を静かに捉えた。

 エルは扇子をパチンと閉じ、優雅に踵を返した。

「そうね……このフェーズの主役は彼女だから、白銀の出番はまた今度にしましょうか」

 リュカは即座に立ち上がり、大剣を背負い直して扉に手を伸ばす。

「御意に」

 二人は静かに部屋を離れ、足音が廊下に消えていく。

 貴賓席の扉が閉まる音が、遠くの喧騒に溶け込んだ。


 一方、闘技場では戦いの渦が激しさを増していた。

 アラは二刀を高速で回転させ、蜂と小鬼の混合群れを切り裂きながら、トリエに声を飛ばす。

「トリエ! このままでは埒が明かない! ゲートから異常な魔力反応が出続けている! 狙えないか?」

 トリエは大型の狼を剣で押し返し、牙の間合いを剣先で突いて後退させる。

 兜の下で目を細める。

「分かってる! だがモンスターの量が多すぎる! 近づけねぇよ!」

 狼の牙が空を裂き、トリエの肩をかすめて熱い風を残す。

 トリエは瞬時に腰を捻り、剣を横に薙いだ。

 刃は正確に前脚の関節を捉え、根元から二本をばっさりと刈り取る。

 巨体がバランスを失い、砂煙を巻き上げて前のめりに崩れ落ちる。

 鈍い地響きが腹に響いた。

 その隙に、頭上から白い糸が雨のように降り注ぐ。

 トリエは咄嗟に剣を逆手に持ち替え、幅広の刃を盾のように掲げた。

 糸が刃に絡みつき、ビィッと張り詰める音が鳴る。

 トリエは両手で柄を握り直し、全身の力を込めて横に払う。

 糸は根元から千切れ、宙で白い弧を描いて散った。

 卵巣の光が強まり、モンスターの波がさらに厚くなる。

 モンスターの波は、もはや津波だった。

 トリエは長剣を振り回し、十、二十と数を減らしても、次から次へと湧き上がる群れに押し込まれていく。

 背中が敵の残骸にぶつかり、足元が血と体液で滑る。

 蜂の群れが頭上を覆い、小鬼の爪が四方から迫る。

 視界が黒い波に呑まれ、トリエの赤髪が最後に見えた瞬間──トリエの体が完全に埋没した。

 遠く、観客席の柵を乗り越えようとしていたエイリが、息を呑んだ。

「トリエ……!」

 叫びは届かない。

 ただ、赤い髪が蜂と小鬼の海に沈んでいくのを、確かに見た。

「トリエェェェェェェェ!!」

 エイリの絶叫が闘技場を震わせたその刹那。

 闘技場の監視塔の上から、詠唱の声が轟いた。

 風を裂くような響きが、砂地全体を震わせる。

「我が指先より、蒼天の怒りを解き放て。風を裂き、砕く破壊の深淵。轟け、永劫の天罰の響き。汝の裁きを、此処に顕現せよ! 『ハート・レンディング・サンダー』」

 空が一瞬、青白く閃き、雷の如き矢が超高速でエンプに突き刺さる。

 爆発的な電流が網のように広がり、トリエを埋め尽くしていたモンスターの群れを一瞬で焼き払った。

 蜂の羽が焦げ、小鬼の体が痙攣し、灰となって崩れ落ちる。

「おらぁぁぁぁぁぁっ!!」

 黒焦げの残骸の山が爆発的に弾け飛ぶ。

 その中心で、トリエが血まみれの笑みを浮かべて立ち上がった。

「おえっ。焦げクセェ……」

 トリエは一瞬、監視塔を見上げた。

 金髪長髪の青年が、白いコートをはためかせて弓を構えている。

「レラか……!」

 レラ──レヴィギルドが誇るレベル五の弓使い。

『雷鳴』の異名を持つレラは、塔の上から軽く右手を上げ、口元にだけ笑みを浮かべた。

「道は開いた。上手くやれよ、トリエ」

 風に乗った声と共に、レラは弓を静かに下ろし、影のように姿を消す。

 トリエは歯を見せて笑い、即座に駆け出した。

 雷で焼き払われた道を、まるで怒りの化身のように一直線に駆け抜ける。

 焼け焦げたモンスターの残骸を蹴り散らし、血と灰を巻き上げながら、エンプへ肉薄する。

「借りだとは思わねぇからな!」

 トリエは周囲のモンスターを横薙ぎに吹き飛ばし──剣の弧が空気を圧縮し、小鬼と蜂の群れを一掃──焼け焦げたエンプへと近づく。

 卵巣の光が弱まり、青い膜に亀裂が入るのを、トリエは見逃さない。

 巨体がよろめく隙を突いて、トリエは一気に跳躍した。

「終わりだぁぁぁぁぁ!!」

 両手に握った剣を頭上で閃かせ、落下の勢いごと縦一文字に振り抜く。

 刃は甲殻を割り、柔らかい内臓を裂き、熱い体液が腕を伝って滴った。

 卵巣が粉々に砕け散った。

 青い光が、唐突に消えた。

 緑色の体液が噴き出し、砂地を腐食しながら広がり、巨大な胴体が地響きを立てて崩れ落ちる。

 轟音が消え、闘技場を覆っていたパンズパニックは唐突に幕を閉じた。

 残った魔物の咆哮が途切れ、冒険者たちの荒い息遣いだけが、舞い上がった砂煙の向こうで重なる。

 だが、そのエンプの残骸の奥で、まだ誰にも気づかれぬ小さな鼓動が、新たな運命を確かに刻み始めていた。

 ――たすけて

 掠れた、幼い女の子の声が、エイリの頭の奥だけで響いた。

 エイリは無意識に首を振って、セツの肩に触れる。

「……今、なんか言った?」

 セツは血まみれの顔で首を傾げた。

「え? 言ってないよ?」

 エイリは唇を噛み、残骸の山を見つめたまま、小さく呟いた。

「……気のせい、か」

 けれど、鼓動はまだ確かに脈打っていた。


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