第11話
闘技大会が開催された。
闘技場は、朝から観客で埋め尽くされ、石畳の観覧席が波のように揺れていた。
空を覆う灰色の雲の下、旗が風に翻り、太鼓の響きが地響きのように反響する。
中央の砂地には、血と汗の記憶が染みついた赤茶色の土が広がり、周囲を囲む高い壁に沿って、鉄格子の門が次々と開かれていく。
闘技場の中心に、ニクスが衣装を着て立つ。
黒革のベストに金糸の刺繍が施され、腰に帯びた短剣が朝陽を反射する。
小柄な体に凄まじいオーラを纏い、力強く咆哮した。
「オラァ! ヘイルの勇者どもよ、耳をかっぽじって聞け! 今日、この闘技場は血と栄光の坩堝と化す! 弱えヤツは土に還れ、強えヤツは世界を掴め! さぁ咆哮せよ! 闘技大会、開幕だァァァ!」
観客席から爆発的な歓声が沸き起こり、砂煙が舞い上がる。
ニクスの言葉が空気を震わせ、参加者たちの背筋を伸ばした。
そしてエイリとトリエ、そしてベルがそこにいた。
観客席の最前列、埃っぽい木製のベンチに腰を下ろし、周囲の熱気を肌で感じる。
ベルは周囲の喧騒を眺めた。
「いやー盛り上がってるのぉ。ニクスめ、相変わらず元気だのう」
トリエは隣で腕を組み、軽く肩をすくめた。
「ベル様、こういう時だけいらっしゃるんですね。いつもはギルドで寝てるのに」
ベルは酒瓶を傾け、一口含んでから笑った。
「年に一度のお祭りじゃぞぉ。楽しまねば損じゃ。お前の出番は後じゃろ? 酒でも買ってこい、トリエ」
トリエは目を細め、ため息をついた。
「ベル様、今日は私も出るんです。酒は控えて下さい」
エイリは拳を軽く握った。
「今日は俺も出ます。見ていてください、ベル様。絶対に勝ち抜いてみせます」
ベルは目を細め、頷いた。
「うむ。やれるだけやってくるがよい。……ただし、死ぬなよ。トリエが泣いてしまうからのう」
トリエの頰がわずかに赤らみ、声を張った。
「ベル様! そんな冗談、試合前に言わないでください! それに闘技大会は死なないように念入りに結界が張られてます! でもエイリ、油断するなよ!」
エイリはトリエの肩を軽く叩き、笑みを浮かべた。
「分かってる。作戦通りやるよ」
ベルは酒瓶を床に置き、くすくすと笑った。
「ははっ、熱いのう。がんばれよ坊主」
エイリは立ち上がり、出場者の門へ向かう。
トリエは小さく手を振り、ベルは酒瓶を傾けながらその背中を見送った。
貴賓席では、会場の様子を眺めるマモとエルの姿があった。
このイベントへの出資者である二人が、絨毯敷きのバルコニーでグラスを傾けながら話し合っていた。
テーブルの上には色鮮やかな果実が山盛りになっていた。
マモは太い指でグラスをゆっくり回し、喉の奥で唸るような声を出した。
「どうだ、首尾は上々か?」
エルは優雅にグラスを傾け、微笑みを浮かべる。
「えぇ。こちらは滞りなく進んでおりますわ」
マモがごつい手のひらで顎をこすり、目つきを鋭くした。
「ふむ。どこぞで情報が漏れたという話だが?」
エルはグラスを静かに置き、涼しい顔で答える。
「まあ、人の口に戸は立てられませんもの。塞ぐことはできますけれど……ふふ、耳の早いお方ですこと。ご心配には及びませんわ」
マモが目を細め、満足げに喉を鳴らした。
「おぉ、怖いのう。ところで今日、エルギルドからは『白銀』は出るのか?」
エルは首をわずかに傾け、砂地の方へ視線を滑らせた。
その唇の端が、悪戯を企むように吊り上がる。
「それは後のお楽しみ、ということで」
マモがグラスをテーブルにドンッと叩きつけ、腹の底から笑い声を轟かせた。
「がっはっはっは! 食えぬ女じゃのう!」
「ふふっ……そちらも剣姫を隠しておいででしょう? 楽しみにしておきますわ」
「果たして今年は芽吹くのかどうか……」
エルは果物を一切れ摘まみ、優しくかじりながら目を輝かせた。
「大丈夫ですわ。そのための計画ですもの」
マモが肩を震わせ、くくっと喉を鳴らして笑った。
「このゲーム、終わらせるにはちとカルマが足らぬ気もせんでもない」
二人はグラスを軽くカチンと合わせ、闘技場の砂地へと目を落とした。
風がバルコニーのカーテンをはためかせ、残った言葉の欠片をさらっていった。
そして試合が始まった。
第一試合はレベルゼロとレベル一のバトルロワイヤル。
三十人ほどのレベル一の集団の中に、数人のレベルゼロ、そしてそこにエイリの姿もあった。
金属の軽鎧が朝陽にきらめき、剣と盾を身に着けて立っていた。
砂地に足を踏み入れると、土のざらつきが靴底に伝わり、周囲の息遣いが熱く感じられる。
観客席からトリエが声を上げる。
「エイリー! 慎重にいけー! 盾を前に、動きを小さく!」
エイリは集中し、その声が聞こえなかったが、すっと深呼吸した。
肺に熱い砂の匂いが満ち、頭の奥まで澄み渡る。
審判から開始の合図が出される。
角笛の鋭い音が響き渡り、闘技場は混戦の渦に巻き込まれた。
「うおおおお!!」
「ぶっ飛ばせー!!」
「まだ終わんねぇぞお!!」
「焦げろ焦げろ焦げろ!!」
砂煙が爆発的に上がり、剣のぶつかる金属音と叫び声が交錯する。
エイリはすぐには戦わず、壁に向かって走り様子を見る。
足音を抑え、影に溶け込むように移動した。
数人追いかけてきたが、すぐに中央の混戦に巻き込まれる形で消えていった──一人は背後から棍棒で叩かれ、もう一人は飛び道具の投石に足を取られる。
エイリは端の方に近づき、振り返り剣を構えた。
構えはぼんやり、居着かない。
肩を落とし、膝を柔らかくして、風に揺れる草のように体を預ける。
ダンジョンで鍛えた技術をここでも活かすことにした──剣の先を微かに揺らし、相手の気配を肌で感じ取る。
息の乱れ、足の擦れる音、汗の匂いまでが、敵の位置を教えてくれる。
これらは全てトリエと考えた作戦だった。
「端で待て。群れが減るのを待て。そしたらお前の動きが活きる」
エイリは周りを見渡し、遠距離の攻撃を警戒する。
レベル一の戦闘に激しい魔法の応酬はほとんど起こり得ないが、慎重には慎重を期す。
砂煙の向こうで、火の玉のような弱い呪文が一閃し、参加者の袖を焦がすのが見えた。
エイリは膝を折って身を沈め、盾を斜めに傾けて光の反射を避ける。
砂煙が晴れるころには八人が残った。
中央で戦っていた参加者が息を切らせながら、倒れた者の意識を確認して回るのをエイリは見つめていた。
膝をつき、指で脈を測る男の肩が上下した。
エイリは壁に背を預け、息を潜めてその隙を窺う──まだ八人。
中央の四人は互いに睨み合い、外周の四人は孤立を避けるように距離を取っている。
この闘技場では死なないよう結界で致命傷は気絶に変換される。
故に、倒したと思っていても背後から襲われる可能性もある。
その瞬間、観客席から見下ろしていた者たちの目が、一斉にエイリたち「戦わずにいた数人」に突き刺さった。
戦っていた者たちが素早く目配せを交わす。
次の標的は決まった。
中央の男が片手を高く掲げ、ぴたりと下ろす。
足音が殺到し、砂がざわざわと波打った。
エイリの正面に、剣士二人が同時に飛び込んできた。
「囲め!」
「逃がすな!」
右は長身の男が両手剣を大きく振りかぶり、左は小柄な剣士が腰を落とし、短剣を低く構えて横合いから回り込む。
エイリは前進しながら体を右に移動させ、相手の一人を盾にするような形で滑り込んでいく。
「楽しやがって!」
長身の剣士が獣じみた咆哮を上げ、両手剣を横薙ぎに薙ぎ払う。
エイリは身を翻し、砂の上を滑るように外側へ跳んだ。
正面から向き直り、盾を真正面に構える。
同時に剣を相手の目線の高さへ滑らせ、刃を死角へと沈める。
熱い息が頬を撫で、汗と鉄臭が鼻腔を灼いた。
相手が大上段に剣を振りかぶった刹那──エイリは盾を頭上に掲げ、半歩詰め寄りながら、低く這わせた刃を鋭く跳ね上げた。
ガギィンッ!
金属が激しく噛み合い、盾が震える。
衝撃を膝で受け流し、全身の重みを乗せて剣を押し込んだ。
刃が空気を裂き、相手の喉を正確に捉える。
「ぐはっ!?」
長身の巨体が血の飛沫を撒き散らしながら後方へ吹き飛んだ。
その先。
もう一人の短剣使いが、予想外の血しぶきにたじろぎ、足を止めた。
顔から血の気が引き、手から短剣が落ちそうになる。
「や、やべぇ……」
エイリは鋭く目を据えたまま、砂を蹴って一気に間合いを詰める。
周囲を素早く見回し、他に敵影がないのを確かめてから、最後の一人に飛び込む。
「うわああああ!」
相手が焦って右肩から袈裟斬りを放つ。
弧を描く短剣と、その影がエイリの胸を狙って降ってくる。
エイリは左足を前に踏み出し、盾を一瞬だけ上段に跳ね上げた。
剣が盾にぶつかる寸前、エイリは左足を軸に体を捻った。
衝撃を回転に変え、そのまま横薙ぎに剣を走らせる。
刃が首筋を捉え、短剣使いの体がくの字に折れ曲がって砂に沈んだ。
瞬間、観客席が爆発した。
「おおっ、あの小僧!」
「盾の使い方うますぎだろ!」
「一瞬で二人!」
歓声が波のように押し寄せ、どこからかトリエの甲高い声が突き抜ける。
「いいぞエイリ! そのまま優勝だーっ!」
エイリは倒れた二人を素早く確認し、息を整えた。
すると再び、観客席が沸いた。
今度は中央から、軽やかな砂を蹴る音と、連続する剣戟の残響が届く。
顔を上げると、そこに立っていたのは黒髪の少女だった。
細い体に煤けた黒布を纏い、膝についた砂をぱん、と払う。
その足元に、四人の挑戦者が同時に崩れ落ちた。
少女は静かに踵を返し、まるで燃え残りの炭火のような静かな炎を宿した瞳で、エイリを真っ直ぐ射抜いた。




