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恋愛は、お互いがお互いを好きなら、何も問題なんて起きないと思っていた。
どんな困難も、ふたりで絶対に乗り越えられるって。
だけど私が甘かった。
世の中には、どうしようもないことがあるって、思い知らされた気がする。
修弥と約束したあの日から三日後、松島商事の社長令嬢と修弥の婚約が発表された。
社内はその話題で持ち切り。
でも、私には修弥からの言い訳すらない。
やっぱり私って、幸せになれない運命なのかな……。
「あー、やっぱり社長は、社長令嬢と結婚するんだねー」
「あったり前じゃん。
所詮、ただのOLじゃ、勝ち目はないってことよ」
「そういえば、相手の人、超美人らしいよ?」
「さすがー!!」
ああ、もう耐えられなくなりそう。
わざと聞こえるように、私のほうを向いて嫌味を言っている女子社員。
口を動かさずに、手を動かしなさいよ!
人の不幸が、そんなに面白いわけ!?
反応を楽しんでいるのか、私のほうをチラチラと見てくるのがまたムカつく。
今日は、部長から会議資料の作成を山のように頼まれている。
それを自分史上最速のスピードで、私は片付けていく。
だんだんと、私の仕事スキルも上がっていると思う。
そんな私を、唯一、心配そうに見ていたのは、ちーちゃんだった。
「梓、ちょっといい?」
そっと後ろから囁くように、ちーちゃんが私を呼んだ。
「どうしたの?」
彼女の姿を見ると、少しだけ心が落ち着く。
「こっちに来て」
人目につかない書庫に、私は連れていかれた。
「梓。
さっき秘書の人から聞いたんだけど、今ここに、会長が来てるみたいよ?」
「会長が?」
「社長の婚約の話じゃないの?」
「そっか……順調に進んでいるみたいね」
わざと強がってみせたけど、本当は大きく動揺している。
なんで、修弥は私に何も言ってくれないんだろう。
言い訳でもいいから、してほしいのに。
キッと私の目を見て、ちーちゃんが言う。
「ねえ、梓。
このままでいいの?」
「仕方ないのよ。
どうにもならないこともあるんだってこと」
そんな私に、ちーちゃんはまるで納得していない。
「ちゃんと、社長と向き合ったほうがいいよ」
「向き合ってどうなるの?
もう婚約発表はされたのよ?
今私が騒いだところで、修弥にただ迷惑をかけるだけでしょ」
私だって、話せるものなら話したい。
だけど、肝心の本人から連絡がないのだから、諦めろと言われているのと同じだ。
「修弥は何も言ってこないんだよ?
私、切り捨てられたんじゃないかって、不安で……」
「だから、それを社長にぶつけてみたら?」
「ぶつけたところで、どうにもならないよ。
ちーちゃん、いいの。
私はもう、会社も辞めるし」
そう言うと、ちーちゃんは説得するようにきっぱりと言った。
「だったら、なおさら言うべきよ。
捨てるものがないんでしょ?」
真剣な彼女の顔に、心が揺れる。
「いつまでも引きずらないために、きちんと気持ちを整理したほうがいい」
『引きずらないために』
言われてみれば、光太のことも、なんだかんだでずっと引きずってしまっていた。
また、同じことをやってしまうのはイヤだ。
「そっか。
そうだね。
ちゃんと言うべきかな。
家も出ないといけないし」
あのムカつく会長にも、ひと言言ってやろうか。
ちーちゃんに背中を押されて、私は社長室へ向かった。
会長や社長の話し合いの場に乗り込むOLなんて、きっと私くらいだろうな。
ガランとして静かなはずのフロアでエレベーターを降りると、怒鳴り声が聞こえてきて、私は慌てて柱の陰に身を隠す。
社長室のドアの前で、修弥と会長が言い争っていた。
「オヤジ!
なんで勝手なことをしたんだよ!」
今まで聞いたこともないくらい、怒っている修弥の声。
「これくらいしないと、お前はわからないだろ?
いいか、これは会社のためなんだ」
修弥とは対照的に、会長は至って冷静だ。
「だからって、こんな無理やりな婚約はないだろ!?」
「お前があの香川って子と結婚したいと言い出すからだ。
目を覚ませ。
お前はこの会社の社長だぞ?」
結婚したいって、私と?
修弥がその話を、会長にしたっていうの?
ただ政略結婚を拒否しているだけだと思っていた私は、驚いた。
「まったく、このあいだ久々に戻ってきたと思ったら、いきなり彼女と結婚したいなんて言って、一週間も粘るんだからな」
ちょっと待って。
あの突然の家出は、私との結婚の意志表明をしに行っていたってわけ?
「仕方ないだろ?
梓は社内でも嫌がらせをされているらしいし……オレの力で、守りたいんだよ」
修弥の言葉に、私は息をのんだ。
嘘……。
いつの間に知っていたんだろう。
「それは可哀想になぁ。
でもそれは、お前とつき合っているからだ」
しばしの沈黙のあと、修弥の低い声が聞こえてきた。
「なんで、梓じゃダメなんだよ?
オレが好きなのは、あいつなんだ」
「会社の経営拡大のためだ。
いいか修弥、よく考えろ。
何千人という従業員を、お前は守らなければならないんだぞ?」
その台詞が、私の胸に突き刺さった。
そうか、そうだよね。
修弥の肩には、たくさんの人の未来がかかっている。
私には、そんな大それたものを修弥と一緒に背負っていくことなんてできない。
「諦めろ、修弥。
お前は社長だ。
一番に優先するべきは、会社を守ることなんだ。
そのためにも、早く別れてやれ。
彼女を本当に守りたいなら……それも愛情だ」
「そんな愛情ってあるかよ」
絶望に満ちた修弥の声が聞こえる。
今、わかった。
修弥が私に言い訳をしないのは、私とのことを諦めていないからなんだって。
修弥は、社長令嬢と婚約するつもりなんてない。
だから、言い訳をする必要もない。
そういうことなんでしょ?
修弥の気持ちはちゃんと伝わった。
ありがとう。
私との未来、ちゃんと考えてくれていて。
だから、私から、さよならを言うね。
あなたのことが好きだから。
もうこれ以上、あなたに苦しんでほしくない。
静かに決意して、私は社長室のあるフロアをあとにした。




