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社長室に来い。
昼休憩に合わせるかのように、修弥からそんなメールが来ていた。
「……社長室って、勝手に行っていいものなの?」
突然の呼び出しにドキドキしながらも、私はエレベーターで社長室へ向かった。
いつか、前社長への挨拶で行って以来だ。
確か景色のいい場所だった。
「ここよね?」
社長室と書かれたプレートを確認して、ノックをするも返事がない。
え?
呼び出しておいて、いないわけ?
そっとドアを開け、誰もいない室内を見て私は思い出した。
そうだった。
最初の部屋って、秘書の人の部屋だったよね。
お昼だから、席を外しているのかな。
考えつつ、中に足を踏み入れる。
ということは、この扉の向こうに修弥がいるんだ。
ドキドキしながらゆっくりと執務室のドアをノックすると、修弥の声が聞こえた。
「いいよ。
入っておいで」
「失礼します」
そっと中を覗くと、修弥はパソコン画面から目を離さずに言った。
「ごめんな。
ちょっと急な案件で少し待ってくれるか」
そう言うと、どこかへ電話をかけ始める。
仕方ないな……。
ソファに座りながらため息をつくと、日本語じゃない言葉が聞こえてきた。
何、これ!?
思わず振り向くと、修弥が何か話している。
いくつか知っている単語が聞きとれるから、英語だとわかった。
……修弥って、英語が話せるんだ。
一年も一緒に住んでいて、そんなことも知らなかったなんて情けない。
私が知っているのって、修弥の本当に一部分だけなんだろうな……。
驚いた顔で見ている私に気づいて、修弥は優しく微笑んだ。
ちょっと凹んでいるところにその笑顔、反則だよ。
「ごめんな。
やっと片付いた」
数十分後、電話を終えた修弥が、軽くため息をつきながら私のそばへ来た。
「ううん。
いいよ。
大変だね。
休日も、ずっと仕事が入ってるもんね」
「そうだな。
休みはないよなぁ。
……だから、会社にいる間に梓に会いたくて」
そう言うと、修弥は私を抱き締める。
「ちょっと!
だ、大丈夫なの?
こんなところで……」
私は嬉しいけど、万が一、誰かに見られたら、まずいんじゃないの?
「大丈夫だよ。
秘書の子はしばらく戻らないから。
今はオレたちふたりきりだ」
「だけど、突然誰か来たりしない?」
「しない。
アポなしでは、会わないことにしてるから」
さ、さすが大企業の社長。
修弥に会うのには、アポがいるんだ。
「だから、こんなことをしても大丈夫」
「あっ……」
一瞬の隙を突くように、修弥は私の唇に自分の唇を重ねた。
ここは会社なのに……。
社長室でキスなんて、ありえないでしょ。
部署のフロアが騒がしかったせいか、ここはやけに静かに感じる。
だからなのかな……。
私たちの息遣いが、大きく響くように聞こえるのは。
「昼休憩、短いよな」
修弥は私から唇を話すと、ぽつりとそう言った。
「家に帰れば、また一緒なのにな。
オレ、一瞬でも梓を離したくないって思ってる」
「それは、私もだよ……」
そう言って、ぎゅっと修弥の身体を抱き締め返す。
ほのかに感じる、タバコと香水の匂い。
この香りが、私をクラクラさせる。
どんなときでも、修弥のことが頭から離れない。
「新しい部署はどうだ?
馴染めそうか?」
「え?
あ、うん……。
大丈夫」
修弥の心配そうな顔を見ると、本当のことが言えない。
初日から嫌味のオンパレードだなんて……。
「そうか。
それならよかった。
ちょっと心配でさ」
「ありがと……」
毎日、休む間もないくらい忙しいのに、私を心配してくれるんだ。
それだけで嬉しかった。
私も、大好きな修弥にとって、少しでも安らぎになれる存在でありたい。
心からそう思う。
「ねえ、今回の人事って、修弥も関係してるの?」
「オレが?」
思い切って問いかけてみると、修弥は小さく笑った。
「まさか。
オレは人事には介入しないよ。
それに、梓の頑張りは、オレも聞いてた。
努力と実績を、純粋に評価された。
それだけだと思うぞ?」
「そうなんだ安心した。
修弥の口添えがあったんじゃ、不公平だもんね」
あんな嫌味を言われたから、気になってしまっていたのよね。
ちゃんと修弥の口から聞けて、ちょっとだけ胸のつかえが取れた気がする。
「どうした?
誰か、そういうふうに言うヤツがいるのか?」
「ううん!
ただ、気になっただけ」
いけない、いけない。
修弥に余計な心配をかけちゃう。
不審そうに私を見ている彼の気をそらせようと、とっさに話題を変えてみる。
「ところで、修弥って、英語ペラペラなのね」
「英語?
ああ。
さっきの電話のことか?
まあ、あの程度なら……」
え!?
修弥にとってはあの程度なの!?
「私には、ペラペラに聞こえたよ?」
「そうか?」
「びっくりしたんだから……あっ、そろそろ戻らなきゃ」
私の言葉に、修弥も時計を見る。
「本当だな。
じゃあ、最後にもう一回だけ」
修弥はそう言うと、触れるだけの軽いキスを私の唇に落とした。
「じゃあ、また夜にな……」
名残惜しむように目を見て言われ、ドキドキしながら部屋を出ようとドアに向かう私の背中に、修弥が言った。
「梓も英語の勉強はしとけよ?」




