序章-3. 世界の扉
……間違いない。
ここは、《塔》の世界だった。
見覚えのある石造りの街並み。
視界の隅に浮かぶ、現実には存在し得ないステータスウィンドウ。
そして遥か彼方、空の色すら呑み込むようにそびえ立つ、黒き巨塔──モノリス。
あらゆる感覚が告げていた。
ここは、あのゲームの中ではない。
これは夢ではなく、現実だ。
身体は、ひどく痩せ細っていた。
骨ばった手足。干からびたような肌。ボロ切れのような布を身にまとっている。
ステータス表記では「13歳」。
あのゲームで何度も作成したキャラの年齢とは違ったが、それは紛れもなく‟自分の身体”だった。
現実でも虚弱気味ではあったが、ここまで酷くはなかった気がする。
この世界の身体は、まるで生まれ落ちたばかりの“他の誰か別の存在”のように頼りなかった。
俺は、路地裏で数日間を過ごした。
泥水をすすり、空腹に耐えかねてゴミ山を漁った。
満身創痍の身体では、まともに動くことすらままならなかった。
感動など、どこにもなかった。
ゲームの世界に転移したという興奮など、幻想だった。
ここにあったのは、ただひたすらに“現実”――それも、最悪の現実だった。
街を行き交う人々は、誰も助けてくれなかった。
俺に向けられるのは、見下しと敵意の視線。
浮浪児など“そこにいるだけで害”というような扱いだった。
睨まれ、罵られ、追い払われた。
時には蹴られ、石を投げられることもあった。
……どうして、こうなった。
ゲームなら、塔に挑み、レベルを上げ、スキルを取得し、仲間を得て、誰もが憧れる冒険者になれたはずだった。
画面の中では、誰もが英雄だった。村を救い、魔物を討ち、賞賛を浴びる。
そのたびに、「ここなら自分でもやり直せる」と思えた。
……だけど、今の俺は。
名前すら――思い出せなかった。
ステータスの“名前欄”には、空白のまま。
必死に思い出そうとしても、脳の中に靄がかかったようで、かつての自分が掴めない。
記憶の断片すら、どこか異物のように遠かった。
ふらふらと、生きているだけの日々。
限界は、確実に近づいていた。
その日、とうとう意識を失った。
気づけば、地面にうずくまっていた。
胃が、もう何も求めない。寒さも、痛みも、ただの背景になっていた。
……このまま死ぬんだな、と思ったときだった。
「……なあ、おまえ、大丈夫か?」
太陽のような声だった。
振り返った先にいたのは、一人の若い女性だった。
逆光の中で、彼女の姿が滲んで見えた。
ただの人間じゃない、どこか“この世界の慈悲”そのもののような気さえした。
彼女は俺のことを、汚物のように見なすこともなく、距離を取ることもなく、ただ“人”として見ていた。
その人は、アメリアと名乗った。
(……懐かしい響きだった)
彼女は、何の見返りもなく俺に手を差し伸べ、孤児院に連れて行ってくれた。
古びた建物だったが、そこには確かに温かさがあった。
俺は、その場所で“命”を拾われた。
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