序章-4. 名前のない子供
彼女は、アメリアと名乗った。
(……どこか、懐かしい響きだった)
栗色の長髪を後ろで纏めた、快活とした長身の女性。
アメリアは、何の躊躇もなく、身寄りのない俺に手を差し伸べてくれた。
今思えば、それはこの世界じゃあまりに無防備で、危うい選択だったと思う。
浮浪児なんて、誰にとっても“面倒ごと”の塊だ。
なのに彼女は、何も答えられない俺に、笑って言った。
「よし、どうせ腹減って倒れてるなら、拾っていっても文句ないよな?」
肩を貸され、俺はぐったりと身を預けた。
向かった先は、古びた木造の孤児院だった。
外壁はひび割れ、屋根も頼りなかったけれど、中には温もりがあった。
人の気配が、確かにあった。
暮らしていたのは二十人ほどの子どもたち。
年齢も種族もばらばら。
中には俺と同じくらいの年の子もいたが、距離はあった。
とくに、大柄な少年からは露骨な敵意を向けられていた。
まぁ、当然かもしれない。
現実世界でも俺は、輪に入れないタイプだった。
人付き合いが苦手で、集団の中でどう振る舞えばいいか分からなかった。
そんな俺が、こことはまったく別の文化、価値観で育った彼らと、いきなり馴染めるはずもない。
けれど、それでも、日々は流れていった。
アメリアは孤児院に“住んでいる”わけではなかった。
彼女は《探索者》として塔に挑む日々の合間、数日に一度だけ、ふらりと現れる。
孤児院の子どもたちは、彼女が来るたびに目を輝かせていた。
「へいへい、みんな元気してたかー?」
そう言って肩肘を張りながら現れる姿は、まるで姉貴分そのものだった。
そして必ず、子どもたちを裏庭に集めて剣の稽古をつける。
木剣を振り、体の動かし方を教え、時に笑い、時に怒鳴りながら、一人ひとりに向き合っていた。
「本番でビビったら終わりだぞー! 生きるための剣ってのはな、最初の一撃が肝心なんだ」
その声には実戦の重みがあった。
遊びでも夢でもない、“生き残るため”の現実だった。
俺もその稽古に、なんとなく混ざるようになった。
最初は木剣を持つ手も震え、すぐに転んでばかりだったが、アメリアは決して見放さなかった。
ある日、アメリアが言った。
「そういやアンタ、名前は?」
その問いに、思わず視界の隅を見た。
そこには、相変わらず名前の欄が空白のままのステータスウィンドウ。
……思い出せない。
「わからない……」
小さくそう呟いた俺に、アメリアは少しだけ眉をひそめ――
すぐに苦笑して、ぽんと俺の額を弾いた。
「じゃあ、作っちまえばいいじゃん」
その軽さが、救いだった。
けれど次に続いた言葉は、少しだけ優しかった。
「……あたしもさ、小っせぇ頃に親に捨てられてさ。
死にかけてたとこを拾ってくれたのが、“オルド”っていう探索者だった」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。
オルド――それは、俺がかつて《塔》で使っていたキャラクターの名だった。
「無愛想でぶっきらぼうな奴だったけど……なんつーか、あったけぇ人だったよ」
「孤児院にあたしを預けた後も、ちょくちょく顔出しては剣の稽古つけてくれてさ」
「その人、もういねぇけど……」
声は、淡々としていた。
でもその奥に、深く焼き付いた記憶の匂いがあった。
「だから今は、あたしの番。誰かを助ける側になんだって決めてんの」
ふと、俺の目を覗き込んで、にやりと笑う。
「でさ、“レムナ”って名前はどうよ?」
「“受け継ぐもの”って意味があるんだ。オルドからあたしへ。あたしから……今度はお前へ、ってな」
その言葉が、静かに心に落ちた。
胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じた。
「……それがいい!」
気づけば、そう叫んでいた。
この世界に来て、初めて“自分の声”をこの空気に響かせた気がした。
アメリアは目を丸くし、それから豪快に笑った。
「よっしゃあ! 決まりだ、レムナ!」
その声は――曇天を破る陽光のようだった。
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