第一章-20. 眠らぬ刃
【観測情報】
個体識別コード“レムナ”
付近に、非常に酷似した魂の痕跡を確認
(……あの時と同じだ)
狭く入り組んだ坑道の裂け目。レムナは息を潜め、全神経を張り詰めていた。
直感が、静かに、しかし強烈に警鐘を鳴らす。これは、ただのゴブリンではない。
物音ひとつ立てず、足跡も残さない。
不意に表示されたメッセージウィンドウがなければ、気づくことさえできなかった。
――妙な沈黙。
それは、この空間に“何か”が潜んでいる証だった。
(……いる。ローグ型だ)
《ゴブリンローグ》。知能が高く、群れの外縁で斥候を担う個体。毒を塗った短剣を使い、死角から致命の一撃を狙う――極めて厄介な敵。
レムナは背後の岩に指先でそっと触れ、金属片を弾いた。わずかな反響音が坑道の奥へ消える。
――その瞬間、風が動いた。
音ではない。気配の変化。視界の隅、空気の歪み。風のゆらぎ。
(来た……右後方、低い角度!)
反射よりも早く、剣を引き寄せ、左肘で斬撃の軌道を逸らす。
直後、毒刃が眼前をかすめていった。
(肘で受けていなければ、心臓を貫かれていた……!)
敵は止まらない。体勢を戻すや否や、反転して突きを繰り出してくる。
だが、その一歩が深かった。
レムナは床の粘りを利用し、軸を滑らせて回避――
視界に映る緑色の皮膚。赤く光る双眸。次の瞬間、彼の剣がゴブリンの左腕を切断した。
「ギィエェアッ!!」
悲鳴が響く。
だがローグは怯まない。踵を蹴って跳び、逆手に持ち替えた短剣で腹部を狙ってくる。
レムナは滑るように横へ転がり、着地の反動を殺して体勢を整えると、即座に斬撃を叩き込んだ。
肩口から胴体へ――深く肉を裂く一閃。
ローグがよろめく。致命傷ではない。逃げる気配を感じ取る。
(逃がすか――)
跳躍した敵。レムナの左手が腰から小石を引き抜き、即座に投擲。
ブシュッ。
音がした。
石は《ローグの眼窩》に正確に突き刺さる。
「ギャアアアッ!!」
絶叫とともに片目を押さえるゴブリン。その隙を、レムナは逃さない。
一気に詰め、剣を両手で握り直す。喉元へ、正確に刃を突き刺した。
ズブリ。
鈍く濡れた音。
ローグは、小さく痙攣しながら地面に崩れ落ちた。
数秒――完全に動かなくなったのを確認し、レムナはようやく息を吐いた。
胸元の鼓動が、ようやく現実へと帰ってくる。やがて、ローグの身体が淡く発光し始めた。
静かに、しかし確かに。皮膚が焼け焦げるように黒ずみ、肉と骨が粒子となって崩れ落ちていく。
ボス個体特有の“灰化”――それが、目の前で起きていた。残されたのは、宙に浮かぶ二つの光。
小さく赤黒い指と、毒素で濁った短剣。
【アイテム《黒染の指・左手小指》を取得しました】
【アイテム《毒刃のナイフ》を取得しました】
黄金の粒子が宙を舞い、ふわりとレムナの意識の中へ吸い込まれていく。
アイテムボックスの奥、静かに“次の鍵”が揃っていく音がした気がした。
(……危なかった。メッセージがなければ気づけなかった)
潜伏と殺意――気配を消した敵の恐ろしさが、冷えた背筋を這う。
そしてその直後。
脳裏に、ざらついた光と情報の奔流が流れ込んでくる。
(……またか)
《空の継承》。
あの、魂が流れ込む感覚――
*
……流石に疲れたな。
眠気は、とうに通り越していた。眼の奥が鈍く疼き、視界の端がじわじわと滲む。
関節は鉛のように重く、指先には微かな震え。吐く息が白く濁るほど、意識は内側から冷えていた。
それでも――止まれなかった。
この塔において、「眠る」という行為は、“死”を招く。
仲間がいない。それはすなわち、見張りがいないということ。魔物の襲撃も恐ろしいが、何より危険なのは――“人”だ。
仲間を信じた背中に、刃を突き立てる者。眠る味方の装備を盗み、名前すら知らぬ他人に売る者。
ゲームの中で何度も見た。信頼という名の皮を被った裏切りを、山ほど。
(……早く、休みたい)
けれど、言葉に出すことすらできなかった。独り言でさえ、この空間では“隙”になり得る。
喉奥で言葉を殺しながら、湿り気を帯びた坑道を進む。暗く、重たく、濁った空気が肺を蝕む。疲労は身体を蝕み、思考を削る。
それでも――前へ。
視界の端をかすめる影には、即座に刃を振るう。音も立てず、声も上げず。戦闘ではなく、処理。狩りではなく、排除。
次の“指”の持ち主――
《ゴブリンメイジ》、《ゴブリンスピアマン》、《ゴブリンアーチャー》
すべて、中ボスクラスの上位個体。五体すべてから“部位”を回収しなければ、あの転移門は現れない。
(やるしかない……)
足元がふらつこうが、握力が抜けかけようが、関係ない。この塔は、足を止めた者から順に、喰われていく。
――だから進む。
この刃が眠るその時まで。




