第一章-21. 幻と魔力の影
焦げた匂いが、坑道の奥から漂っていた。岩壁に焼け焦げた痕跡。小さな爆裂の跡が、点々と床に残されている。
(……近いな。ゴブリンメイジの気配)
レムナは身を低くしながら、慎重に前へと進んだ。
空気が、どこか粘る。魔力の残滓が帯電したように肌を刺す。このあたり一帯は“魔術師の領域”だ。闇雲に踏み込めば、罠に掛かる。
(魔術系との戦闘は、初動が全てだ。詠唱の瞬間を捉える……それだけに集中しろ)
経験上、魔術師に主導権を握られれば終わる。攻撃範囲も、制圧力も、物理系とは桁違い。
ほんの一手遅れるだけで、全身が灰になる。――それを、ゲームの中で何度も見た。
だからこそ、静かに、慎重に、殺意を研ぎ澄ませる。
そして――風が、変わった。
「ギィ――!」
岩陰の奥。火球が、詠唱とともに解き放たれた。
「……ッ!」
レムナは即座に飛び退き、火球は足元を薙ぎながら爆ぜた。爆風と熱風が襟元を舐め、視界が白煙に包まれる。
(くそ、見つかったか!)
視線の先、ローブのような布を纏った緑の小鬼――《ゴブリンメイジ》が、杖を掲げていた。
詠唱は早い。通常個体よりも圧倒的に洗練された動き。それに加え、左右に配置された――魔法陣。
(爆裂魔法、いや、拘束系か……!)
煙中から魔法陣が、スポットライトのように輝き展開される。
(ここで止まったら終わる。逆に言えば――詠唱中なら隙がある!)
レムナは駆けた。視線はあえて外し、右から大きく踏み込む。足元の札が光りを放つ――拘束魔法だ。だが、動きの軌道を読んでいた。ギリギリで軸をずらし、地を滑るように魔方陣を飛び越える。
「ギィィィ!」
メイジの詠唱が破棄される。
それが、合図。
レムナはその一拍を待っていた。
全身の重心を前に乗せ、剣を逆手に持ち直す。そして、光の走る魔力の中――心臓めがけて、刃を貫いた。
ズシュッ。魔術師の身体が跳ね、咳き込むような呻きとともに崩れ落ちる。
レムナは息を吐きながら、静かに目を伏せた。
(……なんとか、一体)
戦闘の疲労が、じわじわと四肢を蝕む。それでも立ち止まることはできない。
*
ゴブリンスピアマン――正面突破は非常に困難。
長槍の間合いは長く、踏み込んだが最後、貫かれるだけ。レムナは、坑道の天井――岩壁の裂け目に罠を仕掛けた。槍のしなりを躱し、突撃に乗じて支柱を蹴り飛ばす。
ドドドドドッ……!
落下した岩がスピアマンを直撃し、潰す。――勝利ではなく、“仕留めた”感覚だけが残った。
(……反応が鈍ってる。身体、重いな)
*
アーチャーとの戦いは、一瞬の油断が命取りだった。
遠距離から放たれた矢が、影のように飛ぶ。複数本の矢が天井から、壁から、連続して襲いかかる。レムナは罠の設置位置と回避ルートを読み、奇襲を仕掛けた。
しかし――最後の矢だけは、避けきれなかった。左肩に、灼熱の痛み。
(……かすった、だけだ)
自分に言い聞かせながら、喉元へ刃を突き立てた。沈黙する影。地に落ちる弓。
呼吸が荒い。意識が、揺れている。
*
「……これで、五体目」
幾度の戦闘を越えて、確かに身体は強くなっている――はずだった。だが今、そんな実感すら、霧のように霞んでいく。
レムナは震える手で、血のにじむポーチを確かめた。そこには、指が五本――あの儀式を成すための“鍵”が、すべて揃っている。
《親指》《人差し指》《中指》《薬指》《小指》
全ての部位を集めたというのに、歓喜も達成感も湧いてこない。代わりに押し寄せてきたのは――強烈な疲労と、空虚な静寂。
脚が鉛のように重い。肺が焼けるように痛む。片肩には矢傷。身体中が擦り傷とあざで覆われ、関節はひとつひとつが軋んでいた。
(……あと……あの“場所”まで、いくだけか……)
レムナは、ふらつきながら足を引きずる。今の状況で、この塔で眠るという行為は、自ら死地に行くようなもの。
流石に――もう、限界だった。
全ての中ボス個体を狩り終えた今、この区画にはそうそう脅威になる魔物もいない。ほんの一時でもいい。剣を手放し、目を閉じられる場所が欲しかった。
(……まだ、眠れないな)
壁に手をつき、滑るように身体を進ませる。剣を引きずりながらも歩きつづける。
視界が滲む。世界が揺れる。




