第一章-17. 孤影、牙を断つ者
湿り気を含んだ坑道の奥を、レムナは気配を殺しながら進んでいた。
灯りはない。
視界を照らすのは、壁面にこびりついた光苔が放つ淡い緑光だけ。
だが、彼の足取りに迷いはない。
「……いた」
囁くような声が、暗闇に溶ける。
レムナは、そっと足を止めた。
通路の先――
崩れた瓦礫の隙間に、獣のような眼光が潜んでいる。
ゴブリン。
その中でも、見張りを専門とする《斥候種》だ。
腰に短剣を下げ、身を低くして通路を警戒している。
(やはり……“溜まり場”の近くだな)
斥候がいるということは、この奥に本隊がいる可能性が高い。
ここで音を立てれば、一瞬で群れに囲まれる。
だからこそ、先手を取らなければならない。
レムナは地を這うように移動し、岩陰へと身を沈めた。
気配を察した斥候ゴブリンが、身を乗り出したその瞬間──
影が跳ねた。
「……ッ!」
風を裂いた刃が、無音のまま首を断ち切る。
斥候の首が、血飛沫と共に宙を舞う。
その身体が崩れると同時に、足元に小さな金属片が転がった。
【アイテム《鈍刃のナイフ》を取得しました】
淡い光が弾け、ナイフは空中で溶けるように消える。
アイテムボックスへと自動的に吸い込まれていった。
呻く間もなく崩れた肉体を、レムナは手早く抱えて岩陰に隠す。
(……まずは一体)
耳を澄ませる。
坑道の奥、広場のような空間から、重い足音が響いていた。
まるで地を這うような、重く湿った振動。北東方向だ。
*
数分後。
レムナは、奥の通路の先に“赤い光”を見た。
篝火の灯り。
脈打つように揺れる赤。
そこは、岩壁に囲まれた天然の広間だった。
天井は高く、湿気と腐臭が充満している。
焚き火の周囲には、十数体のゴブリンたち。
粗末な布を身にまとい、棍棒を手に、赤熱を囲んでいた。
全員が肉弾戦に偏った構成。
だが、その中にひときわ異質な存在がいた。
一体だけ、明らかに様子が違う個体。
背丈が高く、手にしたのは鉄製の片刃剣。
体格はがっしりとしており、なにより──その眼が、他とは違っていた。
《ゴブリンソードマン》
中ボス個体。
明確な“知性”と、“構え”がある。
腰の位置、剣の角度、足運び。
どれを取っても、単なる雑兵とは別物だった。
鉄片を継ぎ足したような剣を、そいつはただ静かに、火勢の揺らぎにかざしていた。
餌を貪る他のゴブリンたちとはまるで違う。
そこには、“戦士”としての静けさがあった。
(……高確率で“部位”を持ってる)
この階層に隠された条件。
それを揃えることで、通常とは異なる“扉”が現れるはずだ。
だが──問題は、数だ。
雑魚個体が十体以上。
うち数体は、常に篝火の外縁を巡回していた。
一体ずつおびき出すには、時間がかかりすぎる。
斥候が戻らなければ、不審に思われるのも時間の問題。
額に汗が滲む。
(……やるしかないか)
剣を握る手に力がこもる。
この戦いを突破できなければ、ボス部屋の扉すら見えてこない。
そして──
(こんなとこで逃げるようなら、頂上の踏破なんて夢のまた夢だ)
(笑っていた神官、見下していた貴族の子女たち、彼らを見返すためにも——)
レムナは息を整え、身を投じた。
焚き火の輪の外。
闇に沈む坑道の端から、静かに──だが、確かな意志で。
(“狩り”を始める)
鋭く息を吐き、
レムナは、音もなく闇を裂いて駆け出した。




