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神様ごっこ  作者: 五月雨
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3.時間が過ぎ去るのは

 時間が過ぎ去るのは、人が思うよりも速い。


 夢中で木の実を集めたり。何か好きなことをしているときは。


 自分しか知らない情報を伝えるときも、そのうちに含まれるだろう。微細にわたり詳しく述べたが、まだまだ話し足りないような気がする。シェラとの会話までを聞き終えたフランは、やや疲れを滲ませながら感想を口にした。


「…つまり何も分からないんだね。たった三つのことを除いては」


「それだけ分かれば充分でしょ。ニンゲンに願いを叶えさせるなって。若長は確かにそう言ったんだから」


 疑われたと感じてむくれる。こういうところは子供だった。歳相応と言えなくもないが。エアはまだ十四歳である。


「あいつらの繁栄は女神の加護を受けてのもの。大した力もないのに世界を支配できた理由としては頷ける」


 低い位置からの言葉に、エアとフランが議論を止めた。


 が、足は止めない。そのことにより声の主の腕や膝が今なお削られているけれども。


「あ。起きた」


「おはようゼクス。おかしなところはどこもない?」


 いつもと同じフランの様子に、やはり変わらないゼクスが吼える。


「おかしいところだらけだろうが!まずこの扱いはなん……痛ででででで!?」


「がぅ」


 頭を捕らえた巨大な咢が、ゆっくり締めつけられる。今の彼は、ルークに咥えて運ばれているのだ。他の部分を地面に引き摺られながら。


「言うこと聞かないと、そのままだよ?」


「…分かった。だから、こいつに離すよう言え」


「んー?まだ偉そうだなぁ」


「…………………」


 ゼクスの額に筋が浮く。見かねて従兄のフランが仲裁した。


「それくらいで許してあげなよ。もう反省してるだろうから」


「…ガキが。虎の威を借る女ぎつ……」


「お兄ちゃん、齧っていいよ。でもお腹を壊すから食べちゃダメ」


 阿鼻叫喚と鉄の臭い。


 唾を吐く音。そして森は、いつもと同じ静寂に満たされた。


「…さてと。まずは情報収集からかな?エアが選択肢を潰してくれたから、無駄足は少なくて済みそうだ」


 癒しの創術を使いながら、フランがやるべきことを確認する。


「うん。でも正直、新しい手掛かりはないんだ。反応が薄いヒトと、普通っぽいヒトに分かれることくらい」


「それだけでも充分だよ。エアの仮説どおり、まともな反応が見られる奴は神の近くにいた可能性が高い。そこが神の記憶なら、思い出深い相手の顔は鮮明に憶えてるだろうって話だからね」


「だがお前。神の顔は、分かってるのか?」


 顔の形に違和感があるのか、撫で摩りながらゼクスが混ぜ返す。


「そもそも男か女か。下手すると無性かもしれん。姿形も分からんのでは、探しようがないだろう」


「『礎の女神』っていうくらいだから、少なくとも女の子だと思うよ?」


 そうは言っても、エアとて確証があるわけではない。ラダラムとシェラ、どちらの大人から聞いた話にもアウラの人となりに関わる情報はなかった。


「威厳がある子だといいねぇ。暴力的で、ちょっと危険な感じのする……」


「……お前の偏った趣味は訊いておらん」


「酷いこともしたみたいだし、それは分からないかな」


 初めて願いを叶えたとき。あらゆる種族をニウェウスの支配下に貶めた。次がニンゲンの時代、これは瞬く間に崩れたという。儚い寿命の一代限り、刹那にも等しい。


 同じ頃、卑俗な争いとは無関係にアトルムが生まれた。優れた能力を持つ始祖四人は畏怖の対象となり、弾圧を避けてこの島に移り住んだと言われている。


「そろそろだよ。気を引き締めて」


 急に暗くなった。草いきれや足元の感触は同じ。黒く平らな地面、巨大な石造りの建物。何より見たこともないヒトの数に気圧されてしまう。


 説明しておいてなお、ゼクスとフランは人の波に翻弄された。ラダラムと一緒でなければエアもそうなったろう。嗅覚に重きを置くルークだけは普段どおり。


 エアの初任務は、このときから始まった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「……駄目だ!見つからんぞ……」


「駄目だね。全然、見つからないよ……」


「だらしないわね。もう音をあげちゃったの?」


 原種の男を追い払った巨木の根元。その近くにある実体化させた『広場』を、三人と一匹は拠点にしている。借りた時計の短い針は、『Ⅻ』から『Ⅲ』へ動きを進めた。


「…しかしな……影も、形も見当たらんの、だぞ……?」


「命令に、従わないわけじゃ、ないけど……これはちょっと、きつい、かな……」


 フランは貧弱だ。肉体派のゼクスでさえ息が上がっているのだから、彼が弱音を吐くのは当然と言える。対してエアは、一滴の汗もかいていない。別に彼女の手柄ではなく、村を出てからずっとルークの背中に揺られていただけなのだが。


「……ほんと、だらしがないなあ」


 黒い毛皮の背中をひらりと飛び降りた。


「ちょっと見てくるね。あんた達は休んでて」


 ついてこようとした獣の首筋を、軽く二度叩いて止める。


「ルークを置いていくから。これで何があっても大丈夫でしょ?」


(いや、お前のほうが大丈夫じゃないだろう……)


 言いかけてやめた。その気力もない。エアの背中は、もう見えなくなっている。


「……大人、形無しだね」


「ああ……」


 憮然とする。


 いい機会かもしれない。何故エアを軽視するのか。フランは従弟殿に訊いてみた。


「何故、だって?決まっているだろう。女だからだ」


 迷いなく言い切った。


「それも歳が近い、な。いずれ寝るとき、今のままではいかにもつまらん」


 言ってしまってから、ルークの顔色を窺う。この魔獣は地獄耳だ、加えて妹のこととなると誰に対しても容赦がなくなる。下手なことを言えば首が飛ぶ。


 アトルムの数は少ない。部族内となれば、なおのこと相手が限られてくる。


 他所の村から種を貰うこともあるが、あまり望んでは行われない。それぞれ部族の名に戴く始祖を誇りに思っているからだ。


 エア、フラン、ゼクスそしてルークも、全員がライセンの子孫。変異体のルーク以外は、血を次世代へ繋ぐ使命が課せられている。


 ライセンの村は、戦争で大勢が死んだばかり。巣を分けた支族の類はない。


「……要するに、格好つけたいわけだ?歳上の男として?」


「違う」


「じゃあ、他に何があるのさ?」


「……噛まれたりしてみろ。俺は、一生立ち直れない自信がある……」


「それは……僕も、かな」


「……そうだろ?」


「うん……」


 二人の耳に、エアのくしゃみは聞こえなかった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…おっかしいなあ」


 文句を言いながら、エアは両腕を摩った。寒気がする。


「風邪、引いたかな……?」


 道端に座る。半透明の人々が間近を過ぎてゆくのには、もう慣れた。


 ゼクスとフランにはああ言ったものの、具体的な考えはない。一人でやったことを今度は三人がかりでやった、それが不発だった時点で彼女には打つ手なし。


 本当は疲れてもいる。横柄なゼクスが嵩にかかると目に見えていたから。


 そういえば、あまり食べていない。酸味の利いた小さな林檎を一つだけ。


 何かないか?一応持ってきたが、重い荷物はゼクスに押しつけてある。あれは夕食の分ゆえ、今なくしてしまうわけにもゆかない。


 考えて思いついたのが、最初に来たとき光る箱から出てきたもの。


 硬貨というらしい。光る箱に入れれば見本と同じ品を交換できる。果物の絵柄が描かれたものなら腹の足しになるか。


「ここに入れて……あ」


 慣れないせいか落とした。アトルムの村では、これほど薄いものを摑むことは稀。エアが特別不器用なのではない。断じて。


 硬貨は箱と地面の隙間に入っていた。這いつくばって拾おうとする。


 なかなか届かない。手の厚さはともかく長さが。小柄な両親への感謝から呪う気持ちで一杯になる。あと少し、指の先さえ触れれば……


「…もう、ちょっ……もうちょっ、と」


「ねえ。何、してるの」


 そう話しかけられたとき、自分のことだと思わなかった。


 少年の瞳は、間違いなくエアを見ている。無言で自分の顔を指差すが、それには反応しない。小さく舌を出したりしても、構わずこちらを見つめてくる。とっておきの変な顔でも同じだった。期待半分、声に出して確かめる。


「………私?」


「そう。お姉ちゃん。こんなところで何をしてるの?」


 硬貨のことは保留。それより今までにない反応をしてきた彼の素性が気になる。


 黒髪と白い肌が綺麗な男の子だった。ただし後者のほうは、慣れないエアにとって不気味に映る。見た感じ八歳くらい。平然と路上に座っていなければ、性別を間違えていたところ。村の男達は歳上しかいないから、どう接してよいものか戸惑いを覚える。


「…声は聞こえるんだ?」


「うん。それにぼんやりとなら。歳の割に背が低いでしょ」


「…………………」


 気にしていることをはっきり言う子だった。エルフは全般に華奢だが、中でもエアは輪をかけて小さい。


「そんなこと言うのはこの口?この口かな?」


 少年の顔に触れ、両手で頬を引っ張る。


 先程の小競り合いで気づいたのだ。魔力と反発しあうのは魔力のみ。それならエア自身が常に魔力を帯びていれば、この街のものに触れられる。


「ほんほろほほはん。はわひいっへひみほはるおへ。ほうはふへいはいへはおはわはんはいへほ」


 ……意訳。褒め言葉になることもある。


 口の悪い賢しらな子。弟がいれば、こんな感じだろうか。要するにエアは、少年のことを気に入ってしまった。


「…まあいいわ。ところで『ほうはふへいはい』って何?」


 聞き慣れない音である。いろいろ考えてみたが、まともな言葉にならなかった。


「光学迷彩だよ。使ってるのに知らないの?」


「知らない。改めて訊くけど、コウガクメイサイって何」


 姿を見えにくくするもの。敵に忍び寄ったり逃げたりするときに使うらしい。この街は明るいから、夜になっても多少の効き目があるのだという。


「連中は隠してるからね。統制者と実験のこと。表向きはなかったことにしたいんだ」


「こういうこともできるの?」


 光る箱を素通り、硬貨を摑む。マナの装いを外したのだ。


 否定。実体をなくせるものではないらしい。


「アトル……エルフは知ってるかな」


 頷く。


「北欧神話。神の器」


「え?」


「作り話さ」


 ニウェウスのような人種を昔話から取ってエルフと名づけた。アウラがニンゲンだった頃、アトルムはまだ存在しない。


「軍の人じゃないよね。どう考えても若いし。姿が見えないのは怪しいけど、人攫いにしては不用意に大きな声で喋ってる……」


 腑に落ちない様子。エアのほうも彼が何を言っているのか分からない。


「母さんやバル達は捕まったのかな?ちなみに軍の追手なら『そうだ。だからお前も諦めろ』って嘘つくところなんだけど」


 答えに窮する。『バル』『軍』――初めて聞いた言葉を憶えておく。


「警察なら、こう。『何があったのか知らないけど、家族が心配してるよ』。心配してるのは僕のほうで、その原因を作ったのも家族なんだけどね」


 それきり塞ぎこんでしまった。


 この少年は追われている。追われながら家族を案じている。どうしても両親に会いたいとき、兄や師匠がしてくれたことは。


(男の子と女の子じゃ違うんだろうけど……)


 こういうときは誰かといるべき。心の殻が厚くなり、それを変だと思わなくなってしまうから。


「……!お姉ちゃん?」


「このまま。じっとしてて」


 少年にとってはエアこそ幻。


 それでも伝わるものがあったのだろう。目の端を拭うと、ゆっくり顔を上げた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 服についた埃を払う。多分に形式的、ほとんど汚れていなかった。ここの人々は、概ねエア達より身綺麗な格好をしている。


 長袖に薄い半袖の重ね着、収納が沢山ある膝丈の履き物。爪先から踵、足首にかけて包み込む未知の材質で造られた靴。獣の革ではなさそうだが、匹敵する柔軟性を持つらしい。全体的に暗色系統。野外で身を隠すにも耐えるだろう。いみじくも彼自身が、何かに追われているようなことを言った。


「アトジマダイチ」


「え?」


「それかランディ。ニホン以外の人はそう呼ぶから」


 不思議な名前の少年は、面倒臭そうに言い直した。


「コテハン。できれば違うのがいいかも」


「…コテ……何?」


「固定ハンドルネームだよ。ソーシャル系はやらない人?」


 とにかく本名は困るらしい。普通にエアと名乗り、今聞いた二つの名前を舌の上で転がしてみる。ランディはすぐ慣れたが、本名は少し馴染みにくい。


「じゃあアト。私はエア、簡単でいいでしょ」


「聞くだに偽名っぽいけど……まあいいや。NSCとも関係なさそうだし」


 少年はどこかへ向かって歩き出した。突っ立っているエアを振り返り、来ないの?と訊く。


「…どこに?」


「僕の部屋。暇なら付き合ってよ」


 背中を向けてもう一度。暇ならだけど、と繰り返した。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「早く閉めて。熱気が入る」


 感じないものを察して動くのは難しい。


「それと靴。ニホンはそういう文化だから」


「あ、うん……」


 ニホン。またそれ。この大きな村の名前か、それともラダラムの言っていた『国』というやつか。そもそも村と国がどう違うのか、エアにはよく分からない。


「何か飲む?ビール……じゃないよね。大人には見えないし」


「失礼な。ほとんど大人だよ。十五になるのは明日だけど……」


「未成年だね。はい烏龍茶。他のがよかったら炭酸もあるよ」


 透明な器入りの茶色い水を渡された。恐る恐る一口含む。少し渋いが、別に嫌な感じはしない。喉が渇いていたこともあり一気に飲み干す。


「適当に座ってて。すぐ終わるから」


 アトは奥で何かしていた。軽いカタカタという音が聞こえてくる。


(ちょっとくらいなら、見てもいいよね……?)


 待っている間、エアは家の中を散策することにした。神々というよりも、ここでアトがどんな暮らしをしていたのかに興味がある。


 まず台所へ。流しのようなものがあり、飲み物を入れておく箱があったから間違いない。ただし竈は見当たらなかった。ドワーフが持ち帰った『ちたんせらみくす』とかいう素材の包丁はある。全く使われていないのか、状態がよすぎるのは気にかかったが。


(…水はどこから持ってくるの?)


 狭く仕切られた部屋の白い陶器に水はあった。しかし飲んでみようという気にはならない。透明で綺麗なのだが何となく。優しさで知られる水の精霊が、これには毒があると教えてくれているのかもしれない。


 その隣に全体が水甕のような部屋。必要なときはここから台所へ運ぶのか。もう少し近くするか壁に穴を開ければいいのにと思う。


 狭い隠れ処、五分も見ていると飽きた。


 アトのいる部屋を覗く。二つに折れ曲がった四角い板を触っている。


 光を放つのは、半分の片面だけ。強くはないが、闇慣れした目にはきつい。


「何見てるの?」


「…………」


 返事がない。集中しているようだ。


「ねえってば」


「ごめん。今、大事なとこだから」


 邪魔してはいけないと引っ込む。しかし何をしているのかは気になった。アトには独り言の癖があるらしい。これ幸いと聞き耳を立てる。


「……ネカフェには行かないよ。入れる時点で僕とバレるもんね……」


「……これなら居場所は特定できない。全部自前だし……」


「……こうだ。これで……よしと」


 画面から目を離す。少年は得意気に笑った。


「監視カメラ乗っ取った。これでみんなの居場所が判る」


 半信半疑で覗くと、細かく分かれて十六の場所が映っている。小さくて見えないのと同時に追いかけられないのとで、エアには何が何だか分からない。


「…お姉ちゃんには無理か。まあ、そうだよね」


「…………」


 当たり前のように納得されてむかつく。アトの頬は引っ張ると柔らかくて心地よい。


「で?お母さん達は見つかったの」


「まだ。本当はほう来ひぇるはふなんはへど……痛ゃ」


 フランとゼクスのことも気になる。気紛れな兄が食べたりしていないか。二人とも戦士だから無事とは思う。生きていると思うが。


「…ねえアト。紹介したいヒト達がいるんだけど」


 原種やニウェウスの動きも気になる。今のうちに合流したほうがよい。


「私の仲間。弱いのが二人。いい加減なのが一頭」


「…それって大丈夫なの」


「うん。一頭は私のお兄ちゃんだから」


 適当だが頼りになる。本当に強いことを示したつもりだった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「駅の近くは見られるかな?」


「西口?東口?」


「……えーと」


 どちらが西で東か。昼間を知らないことと、星が見えにくいためだ。


「こちら側。高床の広場があるほうは、先に一人で調べたから」


「東口だね」


 見慣れた顔が大映しにされた。


 険しいほうが恍けたほうをどついている。幸いと言うべきか、アトには機微な表情が見えない。


「争ってるんだけど?」


「血が余ってる、のかも……あいつらっ」


 ゼクスは従兄の温和な性格に甘えている。


「…あ。何か来た」


 低い姿勢のものが矢のように現れ、大きなほうへ跳びかかった。エアにははっきりと見える。獲物を不味そうに引き摺ってゆく兄ルークの後ろ姿が。


「……………」


 これだけ人がいるのに、駅前からここに来るまで喧嘩のひとつも見なかった。明らかに厭そうなのは、そういうことも関係しているのかもしれない。


 光る板を折り畳み、背嚢に詰め込む。壁際の床に置かれた黒い箱や、それと板を繋いでいた紐のようなものも。


「この部屋は好きにしていいよ。もう戻らないから」


「え?」


 話についてゆけない。事情を知らないが、それにしても。


「二ホンを出る。追われるのは一緒だけど、ヴァルマよりは」


「………………」


 ようやく得た手掛かり、惜しくはある。しかし。


「送っていく」


「大丈夫。駅、近くだし」


「それでも」


 二人揃って隠れ処を出た。エアは普通の幻達には見えない。よって注意すべきはアトを狙っている連中。そのはずだったのだが、ジハンキという箱の近くまで戻ったとき。突然アトがエアの左手を摑んだ。別れの寂しさ?ではないらしい。


「どうしたの?」


「何かいる。隠れて」


 言われるとおりに。何から隠れたのか分からないため不安が募る。


「最初は僕を探してるのかと思ったけど……」


 物陰から交差点、その周りにうろつく者達を窺う。


「……見えにくい人が、お姉ちゃんの他にもいるみたい」


「え……」


 兄達のこと?いや違う。それならエアに対して隠れる理由がない。


 目を皿のようにしても見つからなかった。どう考えても幻界人しかいない。教えてもらおうとアトの肩に手を伸ばしかけた、そのとき。


「いたぞ。メスガキだ!」


 誰かの声がして、矢の雨が降り注いだ。無意識に少年を庇おうとするが、素通りして瀝青の上に転ぶ。否――幻の下に眠る地面は、柔らかくエアの身体を受け止めた。そもそも庇う必要すらなかったのである。訝るような視線が痛い。


 一度帰る前、駅の反対側で追い払った奴の仲間か。驚いたことに、彼らは幻界人の擬装をしていた。透けて見えない違いはあるが、上手く周囲の景色に溶け込んでいる。すぐには作れないだろう。ここの品を盗んだか、事前に用意してきたか。


 虫に狙われそうな薄着の援護射撃を受けて、鼠色の上着を羽織った小剣の男が殺到する。精霊を召喚する時間はない。どうにか短剣の尖でいなす。


 ざっと十人以上。もしかしたら様子見の敵も。撒いたと油断させたところで後ろから刺すつもり。囲まれる前に逃げたい。そして少年を仲間の元へ連れてゆく。


(別行動が一番だけど、来てくれるか分からないもんね)


 幻の存在が現実のヒトと話している。女神に願おうという連中なら、それだけでアトの特殊性に気づく。子供らしい顔を見てしまったこともある。放ってはおけない。


「…お姉ちゃん。悪いけど、少しの間僕を運んで」


「え?」


 アトらしくない言葉だ。疲れたのだろうか?正直エアにもあまり余裕はない。


「違うよ。この力を使うには、半分眠らないといけないから」


 ひとまず言うことを聞く。エアは何も思いつかなかったが、それでこの場を切り抜けられるのなら。背中に担ぐと全力で駆け出した。小柄に見えて結構重い。


「……環境データ半径二キロメートル……分岐1東、分岐2北……失敗。分岐2戦闘、分岐3南、分岐4北……失敗。分岐4戦闘……失敗」


「追いつかれる!ここで待ってて!」


「……分岐1再計算、戦闘……あ。分岐2から7までクリア……お姉ちゃん、そいつを四十秒以内に倒したら五秒であの店に駆け込んで」


「何!?今それどころじゃないんだけど!?」


 光物を抜いた男と格闘している。腕力では敵わないゆえ熱の精霊に頼るしかない。左手のダガーは刃を逸らすことに集中しつつ、右手で焼き印を喰らわす。あまり根性はないのか、最初の一回で気を失った。路地裏へ放り出し、アトが待つ軒先へ向かう。


「入るよ。ここで二十二分。そうすれば敵は諦めて一度戻る」


 どうしてそのようなことが?訊ねたい気もしたが、聞いても自分に解るのか。アトの部屋にあったものは、何から何までエアの想像を超えていた。やり過ごせたとはいえ、今は目先のことに集中すべき。まだ追われていることに変わりない。


「…ねえ」


 アトについて店へ入り、改めて中を見渡す。意外と奥行きがあり、その割に人の姿はまばらだった。様々な色や柄の動きやすそうな服が並んでいる。


「こういうの着たら、目立たなくなるかな?」


 敵のやり方を真似るのだ。問題は、エアにお金で物を買う習慣がない。


「やっぱりやめとく。騒ぎになるから」


「大丈夫。好きなのを選んで」


「え……」


「高いのは困るけど。ここなら」


 敵がいないことを確かめて奥へ進む。いらっしゃいませ、という挨拶は無視した。エアには何となく居心地が悪い。


「急いで。見つかるよ」


 もう一度品物の群れを見渡した。


 形は似ている。同じ目的のために作られたからだろう。素材の丈夫さと柔らかさ、均質な染まり具合にも驚く。


 印象が変わらないゆえ黒は避ける。頭を全部隠せて動きを妨げない程度に軽いもの。ニクスを連想させる白は嫌。自分の髪と同じ銀色なら、辛うじて許せなくもない。


「これ、かな」


「靴も。足元で見つかる」


 何センチ?と訊かれて解らなかった。アトルムの村では厳密な長さを測る必要がない。家を建てるときも、建材に合わせて造れるものを造る。


「…同じなんだね。八歳の僕と」


「アトは発育がいいんだよ」


「混血の統計がないから難しいけど、白人としては普通。つまりお姉ちゃんが小さ」


「そんなこと言うのはこの口?」


「あの……お客様。どなたとお話を?」


 アトが妄想癖を疑われたりしつつ支払いを済ませた。


 できるだけ人の多い場所を、人の流れに沿って。顔はフードで覆い、しかし歩き方は堂々と。熱心なオマワリサン達に親の連絡先を訊かれたりしたが、片親が出張中で独りだと答えると早く家に帰るよう諭された。幻界では普通らしい。


 その二人と充分に離れてから、アトは小声で呟いたのである。


「お前らだろ。母さん捕まえたの」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 エア達を迎えたのは、黒い獣だけだった。


 とても目立つゆえ、光の精霊に保護色を借りていたが。その他二人の姿も見えない。貧弱なほうは精霊より奇跡が得意、無駄に大きいほうは術自体が苦手ときている。


「逃げた……んじゃないわよね」


 そこまで馬鹿とは思えない。


 ルークによれば、原種の群れが襲ってきてはぐれたという。せめてエアだけは護れるよう、危険を冒して待っていたのだとか。


「ありがと。私は大丈夫だからね」


 鼻を擦りつけてくる。首や頭を撫でて応えるのを、アトが不思議そうに見つめる。


「…誰かいるの?」


「私のお兄ちゃん。とっ……ても大きな、バーゲストだよ?」


「……地獄の番犬?」


「かどうかは分からないけど、強いよ。私やアトなんて丸呑みにされちゃうかも」


「……嘘だ」


「嘘じゃないよ。本当だもん」


「嘘だ。そんなのいるわけない」


「嘘じゃないって!本当に」


「じゃあ証拠見せてよ。言っとくけど、ホログラフじゃ駄目だよ?僕は研究所の誰より上手かったんだから。AR併用しても無駄」


「ほ、ほろ……えーあー……何?」


 監視カメラに映っていた、大きな険しいほうの人影を咥えて持ち去った獣だと説明する。あの光景はアトも確かに見ているし、未だ半信半疑といったところ。


「……乗せて走ったら、信じてくれる?」


「いいよ。そこまでやれたら、嘘でも大したものだし」


「だから、嘘じゃないって」


「ルーク。ニンゲンは嫌かもしれないけど、ちょっとだけ我慢してね?」


 ぐるるるるるる。


「お礼に、アローナさんのパイをあげるから。今日、焼いたばかりのやつを二切れ」


 ぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅ。


「…此れなる影『アト』。『変わりゆくもの』よ、偽りの魂に仮初めの血と肉を与えて……」


 アトが手を伸ばす。


 温かかった。造りものではあり得ない感触。


 どうやったらできるのか考えてみた。聴覚と視覚、嗅覚は拡張現実で実現している。音響付き立体映像の投影や、アプリケーションの動作に合わせて匂い分子を散布したり。味覚は嗅覚に引っ張られるという、その応用で可能かもしれない。


 難しいのが触覚だ。思い込みで火傷することがあるように、聞いたこともない猛獣の毛皮を触ったのだと信じさせる?本当にそんなことができるのか。


 あれを使えば原理的には。母の同僚が手に入れた、出所不明の技術なら。だが実際に使いこなすのは難しい。基礎物理学、生理学、医学、プログラミング……思いつく限りでも、どれほどの知識が必要か。今ここでアトを騙す、それだけのために。


(違う。ヴァルマにそこまでの幅はない)


 獣の背中は、昔飼っていた犬と同じ匂いがした。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 バーゲストは空間を支配する。森と幻を淀みなく、適確に跳ねまわる。


 普通の犬と同じように、色は赤以外分からない。しかし視えているのだ。生まれながらに全ての精霊より加護を受けた彼には。


 風の精霊は音を。大地の精霊は形を。光の精霊は波を。熱の精霊は他者の存在を。知りたいことの答えを持って、開かれた意識の扉に滑り込む。


 人間はおろか、エルフさえ真似できない。造られた獣であれ、ヒトよりは森羅万象に親しく。精霊という概念を聞かされる前に精霊を知る。歪な進化の到達点アトルム、その発生異常により生まれる変異の魔獣。彼らのほとんどは、同胞の依代達が思い描く擬人化された精霊を見たことがない。


「どう、見える?」


 少年を後ろから抱えつつ、エアは明るい声を上げた。


「川。跨げないくらいのが流れてる」


 指し示した道を、車と人間が通ってゆく。実体化を施したのだから見えてもよいと思うのだが、アトは首を縦に振らない。これまでにもドワーフの頼みで包丁や時計を持ち出した仲間はいるようだが、ヒトを連れ出した者はなかった。さもありなん、幻以外のものが見えないのでは酷く難儀する。


(…何……この違和感。大事なことを忘れてるような……?)


 正直、物覚えはよくない。その代わり諦めも悪いほうだ。飽きずに考えていれば、いつか思い出すだろう。今は目の前の任務、仲間を見つけるのが先だ。


「じゃあ、あれは?」


「見えるよ。形からして木。三十メートルくらいあるかな」


 その違いは何か。考えてみる。


 地形は分からない。しかしヒトや木は分かる――生き物?それなら草が生えている地面の形は分かるのか。


「訂正。川かどうか分からなかったけど、細長く変なモノが見えない場所はあったよ」


「…変なモノ?」


 自分の顔を指差す。


「人はモノじゃないし。犬も」


 何となく察したに違いない。アトの頬に伸ばしかけた右手を残念そうに戻した。


「街の外に出てみる?」


「いいよ。怖いもの見たさとか、そういうのないから」


 ここがエアの世界に浮かぶ幻であることは話した。衝撃を受けるかと思ったが、アトの反応は淡白なものだった。


 アトの世界はエアの世界より小さい。しかし、それがアトの世界は実在しないという証明にはならない。確かなものは何もないが、自分が考えているということだけは事実だ、と。二人の会話が導いた仮説では、今この場所で二つの世界が重なっている。


 不意にルークの鼻が動いた。見つけたという意味と理解し、エアが首筋を叩く。精霊の力を借りずとも、彼の嗅覚はヒト型の比ではない。連れてゆけという意味と理解し、ルークが暗闇を駆ける。


「っ!」


 倒れていたのは、フラン一人だけだった。


 ゼクスの姿は見当たらない。移動力に差があるルークのみならず、ヒト型の二人も引き離したのか。敵は思った以上に狡猾だ。


「フラン!大丈夫!?」


 傷は深かったが、これならまだ助かる。だが修業不足のエアは、癒しの奇跡を使えない。本人の意識が戻るか、ゼクスと合流できれば……


「死にはしない。この程度で魔神の手を煩わせるな」


「ゼクス?無事だったの」


「当たり前だ。俺は鍛え方が違う。お前もそいつを甘やかすなよ」


 彼らしい物言いに呆れつつも納得する。昔からこうだ。何かと女を見下すし、従兄のことに関してはそれ以上に厳しい。


「応急手当てにしかならないけど。今はこれで我慢して」


 辛うじて意識が戻った。心配そうなエアの顔を見、そっぽを向く従兄の背中を見……喉に痞えながら祈りを捧げた。


「……『変わりゆくもの』よ。我が傷を癒し給え……」


 フランの怪我が消える。しかし失われた血液までは戻らない。記憶以外の全てを過去に戻す奇跡もあるが、今のところ修業不足。祝詞を聞いたアトの目が変わったことに、エアは気づいていない。


「…誰かと思ったよ。ここの服に着替えたんだね」


 そういうフランもだ。ルークが嗅ぎつけなければ見落としていたかもしれない。着こなしが変なのか、見るなりアトは吹いていたが。


「そちらは『友達』かい?」


「うん。ジハンキって箱を覗いてたら話しかけられた」


「隙間に落とした百円拾おうとして、地面に這いつくばってたよね」


 余計なことを口走ったアトが、またしても顔の手触りを堪能されつつ。


 襲われた理由は予想がつく。何らかの騒ぎを起こしたからだ。人数の多さ、魔獣のルークなど。幾つか考えられるが、恐らくどれも違う。変装するなら奪えばよい――とある誰かが短絡的に動いたのだろう。それにしても。


(…妙に静か、なんだよね……)


 黙っている。再合流してから、全くと言ってよいほどに。いつものゼクスなら、アトに不快感を示したはず。彼は弱者を酷く嫌う。


 勝手に動いたエアを責めないのは何故か。一人で重要な手掛かりを持ち帰ったから?せめて邪魔をしないよう、アトのことも黙っているのか?


 だとすれば助かる。自分より強い彼が素直に協力してくれるのなら。


「…ところで。あなた達は何しにここへ来たの?」


 互いの顔を見合わせる。話して大丈夫か、という意思確認だ。やはりゼクスは何も言おうとしない。この場は最年長のフランが引き取った。


「偵察だよ。ここは僕らの集落と近い。危険がないか調べてるんだ」


「他の人達も同じなの?襲ってきた連中とか」


「…そうだね。彼らは、もっと積極的かもしれない」


 敵を表すにしては好意的な言い回し。シェラの話によれば、原種は変革を望んでいる。終わりなき支配による永遠の繁栄を。


「私が遭った奴は、そこまで考えてなさそうだったよ?」


「うん。でも原種は金で雇われる。僕達を襲った連中の仲間って可能性もね」


 そういえばラダラムが言っていた。小さな銀の円盤、それを少しでも多く手に入れるために親子兄弟が殺し合うこともあると。そう考えれば、金ずくで他人を押し退けることなど訳ないのかもしれない。冷酷残忍な原種にとっては。


「…アトもニンゲンなんだよね」


「?…そうだけど」


 何を今更、と思っているようだ。そもそも彼は、ニンゲン以外の知性を知らない。


「お金のために他人を殺めるのは、普通のことだと思う?」


 答えが出るまでに時間はかからなかった。


「そんなわけないじゃん。ふざけてるの」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「さて。次は貴様の番だな」


「?」


 今まで黙っていたゼクスが口を開く。視線の行方は幻界人の少年。


「我々のことは話した。次は貴様の話を聞かせてもらう」


「……………」


 明らかに顔が曇った。このような言い方では、子供でなくとも萎える。


「アトは家族を捜してるんだよね」


 エアが助け舟を出した。望みの話題に変えられたからか、それきりゼクスはまた黙ってしまった。


「お母さんとお姉さん。この子もだけど、誰かに追われてるみたい」


 がるるるるる。ルークの背中にフランを乗せようとしたが抗議される。彼は、妹に近づく雄を好まない。ゼクスほどではないものの、村の男達全員に同じ態度を取る。例外は二人、先祖である族長と義父の若長だけだ。


「アトは大丈夫だったのに」


 ぐるる……ぐる。ぐる。


「アローナさんのパイ、もうないんだよ?」


 違うようだ。


 ルークは賢く、兄弟仲もよいため伝わるほうだが。それでも時には、このように全く噛み合わないことだってある。


「じゃあ仕方ないか。ゼクスは……無理そうだから、私が肩を貸すね」


 ……ふぉうん。


「え?」


 最終的に、摑まって歩かせることで妥協した。


「…話が飛んじゃったね。アトのお母さん、予定の日を過ぎても来ないんだって」


 家族三人、ここから北の大きな実験施設がある町に住んでいた。


 学者の母に双子の姉と自分。追われながら来たのではなく、人混みに紛れるため追手の中へ飛び込んだという。


「木を隠すなら森。ヒトを隠すならヒトの中か」


「だが、いつまでも隠れてはおれんだろう。あえて危険を冒すからには、別の場所へ向かうつもりなのだな?」


「あ。えっと……」


 詳しくは聞いていない。具体的にどこなのか、行き先は教えてくれなかった。


「まだ信じたわけじゃないから……逆に怪しくなったかも」


 最近、一旗揚げようと目論む小国のニンゲンが増えたという。アトの母親達が見つけたものは、それだけの力を秘めているらしい。今はとある狂いかけの人物が独占していて、そのことが引き起こすかもしれない未曽有の災いに備えている。


 小さな板を指先で撫でると、アトはエアを見上げて淡白に告げた。


「じゃあ、そろそろ。どこの人か知らないけど、ここはもう戦場だから気をつけて」


 信用されない以上、見送りを申し出ても断られるだろう。それどころか変な疑いを持たれかねない。目立つルークと弱ったフランは待機、二人で尾けることにした。


 正直エアとしては、あまりゼクスと組みたくない。今のところ大人しくしているが、落ち着かないものは落ち着かないのだ。


「どうした。遅れるな」


「え?…あ、ごめん」


 素直に謝って驚く。それから気づいた。よく考えれば、そのほうが普通であることに。


「ごめん。今、行く」


 もう一度大きく告げると、背中を追って走り出した。

 


 ☆★☆★☆★☆★☆



 駅構内におけるアトの挙動は、何ら変わった様子も見られない。


 追われていると言ったが、堂々としたもので自然体。これが彼の云う『人混みに紛れる』ということなのか。森育ちのエアにはよく分からない。


 分からないと言えば、分からないのはゼクスだ。同じく分からないはずなのに、どういうわけか分かっているように見える。エアの知る限り、彼とてライセンの村から出たことはないのだ。にもかかわらず、こそこそと柱の陰に隠れるような真似はしない。アト同様『人混みに紛れる』を実践している。


 養父であり師匠のバルザは、昔ニンゲンの町で暮らしたことがあるという。若い頃の話だが、族長直々の任務らしい。


 琥珀色の酒は、そのとき覚えた趣味だ。もしかしたらゼクスもエアが知らないだけで――何となく腹が立ち、爪先で男の踵を蹴りつけた。


「っ!…何だ、いきなり?」


「別に。さっさと行きましょ」


 ここで怒らないところも、エアの知る彼ではない。子供の彼女に合わせていたのか。自分の馬鹿さが情けないのか、顔馴染みの意外な一面に安堵したのか。よく分からない。


 二人が戯れている間に、アトは壁の自販機から小さな紙切れを買って奥へ。見えないのをよいことに、エア達はそのまま少年の後をついてゆく。迂闊な幻界人もいて、紙切れを買い忘れた彼らは膝高の扉と警告音に止められていたが。その都度後ろが詰まるも、あまり迷惑そうな顔はしていない。


「みんな忙しそうなのに」


「揉めたくないのだろう。争えば死ぬかもしれんからな」


「それはそうだけど……」


 何となく収まりきらないまま頷く。死はエア達の身近にある。ニクスとの戦争、野蛮なニンゲンの冒険者達。時折現れる野生の魔獣との縄張り争い。


 この世界は、とても穏やかに見える。殺し合いや奪い合いなどなさそうに。それゆえ弱く、極端に争いごとを避けるのか……?


「どうせ寿命短いんだから、大差ないくせに」


「短いからだな。酒も食い物も、少なければ少ないほどありがたい」


「……ああ。それは何となく」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 マナを纏えば、実体のある存在も幻の人や物に触れることができる。それは影響を与えられるのと同時に、こちらも受けてしまうことを意味する。


 走っている乗り物から落ちれば怪我をするし、最悪死ぬかもしれない。疲れたからといって幻界人のように眠ってしまうと、その結果は想像するのさえ恐ろしい。


「降りるみたい。行こ」


 途中、停まったのは二回。出会った場所から意外と近い。速さはともかく、別に歩いても来られたのではないか。原種の街は見通しが悪く、複雑で道も分かりにくい。それゆえ駅には目印としての役割を持たせたのだろう。


 外へは向かわず、間仕切りの中に入っていった。飲み物と軽い食事を出す店で、長居できそうな雰囲気がある。ライセンほどではないにせよ、ここだけ時間の流れが遅い。


「私達は……やめたほうがいいよね」


 ゼクスは何も言わず、そのまま隠れていた。


 アトは苛立っている。ここで家族と会うのか?だが予定の日を過ぎても来なかったと。それにしては期待と失望の色が濃い。したばかりの約束を破られたみたいに。心配させられているのは自分のほう――打ち明けてくれたアトの心中は。


「自然な反応をする者が女神の近親者。そういう作戦だったな」


「……うん」


 ゼクスの言いたいことは分かった。


 アトは女神ではない。息子か弟、または親しい他人。だがエアは気づいてしまった。数少ない特別な敵が忘れられないこともあると。


「でも発想は間違ってないはずだよ。女神様の敵でも、本物と見分けがつかないくらいはっきりしてる。どこかで必ず女神様と」


「戦いになる、か。そのときお前はどうするんだ?」


 女神に楯突くなど思いもよらない。一方でエアはアトの味方だ。


 ここはアウラの夢。ここで動いたことが現実にどのような影響を及ぼすか。


 願いを歪めて叶えられたニウェウスの族長。過去に縋る未練がましい夢。アウラの精神性を疑う根拠はある。敵対するようなことがあれば……


「…ねえ。あれ」


 奇妙な光景だった。アトの周りに男と女が立っている。難しいことを考えるのは後。今はまず、この状況が持つ意味を捉えなければ。


 観察する。どちらも大人、加えてアトは双子。よって姉ではあり得ない。母という可能性は残るが。もう一人はその友人か。


 もし自分だったら?エアは両親の顔を知らない。だが、少なくとも今のアトみたいな顔はしないと思う。そして大人達は、少年の前ではなく周りに立っている。彼を囲むように。まるで逃げ道を塞ぐように。


 二人の手がアトの肩にかかる。俯く顔の険しさが増した。


(何だろう。悪意は感じないけど……)


 しかし今は、迷っている暇などない。


「アトっ!」


 敵の注意を引いた。同時に臨戦態勢へ、やはり素人ではない。両手で掌ほどの鈍器を摑む。奇妙な構えだが、あの型からどのような技を繰り出すのか。


 予想に反し、二人は何もしてこなかった。


 戦えない事情でもあるのか?ならば先手を打つ。相手の覚悟が決まる前に。


 敵は複数、加えて体格差もある。手加減する余裕などないが、ここは連中の縄張り。勝手に荒らしておきながら怪我をさせるのは気が引けた。


「馬鹿が……!」


 精霊やダガーを使わないことが?そもそも戦いを仕掛けたことが?


 後者なら頷けない。たとえ幻でもアトはエアの友達。


「おい、あれは?」


「何!?」


「女だ。幻界人に追われている!」


「え!?」


 アト似の黒髪、それを追う二人の男。執拗に囲みながらも、何故か仕掛けようとしない。片方が小さな板を撫でている。


「…こちらカイン。『ニルス』と『セルマ』を見つけた。応援を頼む……」


 以前アトが見せたのと同じ動き。その間、もう片方が女を牽制。何かを待っているようだ。


 アウラは女。が、よもや使い走りではあるまい――ゼクスの手が板を弾く。追い撃ちに踏みつけると光の文字が消えた。


 謎の女は、未知の力により敵の接近を阻んでいる。


 並外れた身体能力も手伝って、確かに強い。だが動きは素人、攻め手にも著しく欠ける。彼女ひとりなら、恐らく捕まっていた。子供を人質にされては為す術もない。


「母さん!」


「待たせたわね。今そちらに行く」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「帰ってきてほしい。セラフィナさんを助けるには、ユルハさんが必要なんだ」


「…そんなこと言われても、困るんじゃない、かな。一度話し合わないと」


「いや。力ずくでも戻ってもらう。四人を相手に勝てるとは思わないだろ」


 言葉とは裏腹に、幻界人はエア達を遠巻きにするだけだった。それもそのはず、彼らはアトの母の防御結界を破れない。意味不明だが、近づけば近づくほど遠ざかるそうだ。これほどの力を持ちながら、ユルハは今に伝わる神々の名ではない。アトは追手の四人を知っていた。『アダム』、『カイン』、『アベル』そしてサラサ=奥苑。


「みんな僕くらいの孤児だよ。エルフ化の実験台としてヴァルマが拾ってきた」


「…どう見ても大人だけど。ますます分からなくなってきた……」


 胡乱な悲鳴が洩れる。だが、まだ手はあった。


 親子が追手を撒くのに手を貸し、その後マナの纏いを外して姿を消す。アウラではなかったが、有力な手掛かりが増えたことに違いはない。そのまま尾行、探索を続行する。


 アトの手が結界の外縁に触れた。途端に消えて親子の間を阻むものがなくなる。


 異変は、その瞬間に起こった。忽然と白銀の人影が現れ、右手の巨大な槍を振りかざす。左には円形の盾、膚や瞳から装具に至るまで白い。無機質な視線はユルハに殺到、結界を再構築する暇も与えず昏倒させた。あの男達は囮。最初から機会を窺っていたのだろう。


 透明な敵意はアトにも向けられた。このままでは。


「ひとつ変えられたら、他のだって変えられる……!」


 幻界人にとっても『白銀』の出現は予想外だったらしい。エアを捕らえようとする動きが緩む。その隙に背中を向けて吶喊する。


 それはアトの母親を拾い上げるところだった。


 全力で走りながら熱の精霊を宿す。できるだけ広い範囲で触れられるよう、手足を広げて後ろから思いきり抱きつく。


 無音の悲鳴が迸った。そのときエアは、初めて敵の姿を見る。


 女だった。ヒト離れした美貌、超然たる神々しさ。この場合、それだけで致命的な過ちを犯した気分にさせられてしまう。


 アウラの邪魔をしたかも。それがどうしたと言い切るのは怖い。だからといって、母親に会いたいだけの子供を苦しめてよい理由になるのか。


「…そのヒトを…返しなさいよ……」


 焼け焦げた膚から手を剝がし、まだ白い部分に伸ばす。


「…返して。返して……!」


「お、おい」


 逃れようと藻掻く腕を捉え、しかと丁寧に焼く。普通のニンゲンなら命はない。敵の血に塗れるエアの瞳も、光彩が徐々に灼熱する。


 精霊が依代の意識を奪いつつあるのだ。精霊に支配された『神宿り』はマナを使い果たすまで暴れまわる。宿主となった者は、多くの場合死に至るという。被害を抑えるため殺されるか、濃密なマナに中毒を来たして。


「お、お姉ちゃん……?」


 ついにエアの意識が精霊に負けた。


 しがみついていた腕がはらりと落ちる。無表情のため分かりにくいが、恐らく満身創痍だった『白銀』はユルハだけを抱えて飛び去った。ここで死ぬより僅かでも確実な戦果を選んだのだろう。アダム達は、いつの間にか姿を消している。アウラの意識から外されたのか、恐怖のあまり逃げ出したか。いずれ重要ではなくなった。


 アトだけ連れて逃げる?『神宿り』に遭遇した際の選択として、それは責められる類のものではない。エアの肉体は高熱を発し、今や近づくもの全てを焼き払い始めている。この危険な怪物と化した少女を、一体どうするか。



 ――アウラヨコイネガウ。ワレニカゲトヒカリノカゴヲ。



 ゼクスの指が踊り、輝きの粒を纏う文字が虚空に描かれた。


 それと前後して、エアの熱が引いてゆく。やがて目を覚ますと、涙目のアトを見上げながら少女は不思議そうに首を傾げた。

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