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神様ごっこ  作者: 五月雨
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4.振り出しに

 振り出しに戻る。実態がどうあれ、気分はそれくらいの感じだった。


 もしかしたら、もっと悪いかもしれない。重要な手掛かりの女を、こちらも重要な手掛かりと思われる別の女に攫われた。フランは戦線離脱、エアも疲弊。加えて。


「…尾行、してたんだ?」


「えっと……あの、ね?」


「大丈夫って言ったのに。まだ何か隠してることがあるの?」


 結果として嘘をついたことにより、エアはアトの信用を失った。


 しかし、この程度で引き下がる彼女ではない。


「全然、大丈夫じゃなかったじゃない!私達がいなかったら、あなたはどうなっていたの?あいつらに連れていかれてたんだよ!」


「…それはそれ。今話してるのは、お姉ちゃんが僕を騙したってことだよ」


 心配だったから。気になったから。他の理由を挙げることはできる。理由の全部ではないだけで、それも事実だからだ。勝手な想いと承知しているが、アトには分かってほしかった。割り切れなさが怒りに変わる。


「~~~っぁああああ!そんなこと言うのはこの口か!この口か!この口か!」


「ほうほふへほはかははいへほ!はんほひひゅうほ」


 アトも負けじとエアに摑みかかる。


 傍から見ると子供の喧嘩だ。大きな子供と小さな大人未満、どちらにより問題があるのかはさておき。


「…その辺にしておくのだな」


 ゼクスが割って入らなければ、更に数分は続いたろう。


「お前は、こいつと違って賢い」


 エアを一瞥、アトに頷きかける。引き合いに出されたほうは、当然面白くない。


「……私と違って?」


「こちらに非があるのは事実。信用できないのも解る。しかしお前には、まだ俺達にさせたいことがあるのではないか?」


 合理的な言葉にエアのほうが反応した。それはさも不気味そうに。


「…あなた、やはり悪いものでも食べた……?」


 失礼千万な言葉にも、黙って余所を向くなどおかしい。先程もそうだ――『白銀』と戦ったことは憶えているが、あの強敵をどうやって追い払ったのか。それこそ『神宿り』にでもならなければ無理だろうし、そうなったら助かるとは思えない。


「あの女がいれば充分だったのでは?」


「俺も必死だったが、雑魚共々いつの間にか消えていた」


 ゼクスの説明は分かったような分からないものばかり。


 だが役目は終わったとばかり、また黙ってしまった。


「そうだよ。僕にはまだ、してほしいことがある。今度こそ正直に話すなら……手を、貸してやらなくもない」


 気まずさを堪えながら、エアが話すしかない。


「最初にフランが言ったことは、全部じゃないけど嘘でもないの」


 村の近くに異界が現れ、その影響を調べるためにエア達が派遣されたという話。その命令には、調査後の対処も含まれている。ここがアトには説明しなかった部分だ。


「私達の世界には神様がいて、私達はこれが神様の夢なんじゃないかって考えてる。当然どこかにいるはずだから、見つけて願いを叶えてもらうの。少なくともニクスやニンゲンが先に叶えてもらうことだけはないように」


「……………」


 ニウェウスの族長ティターニアが公表した、恐るべき歴史の秘密。かつてティターニアはアウラと昵懇になり、図らずも願いを叶えてもらった。異種族を奴隷とし、その上にエルフが君臨する世界の形を作ることで。


 歪みを正すため、ティターニアはニンゲンの真言法師リュドミーラを見出す。戯れに両親を殺された彼女は、酷くニウェウスを憎んでいた。同罪と知ったうえでもアウラの加護を受容。極端なニンゲン主義を掲げる帝国を建設した。


 このときティターニアもアウラと訣別したという。存在自体を消されておかしくなかったが、今なお彼女は生きている。アウラの真意は分からないままだ。


 その後リュドミーラ帝国は強権的な統治が反感を呼び、皇帝の死から一年と経たず滅亡した。すなわち今は、アウラの加護が宙に浮いた形となっている。


「…中二病、乙」


「……………?」


「何でもない。つまりあなた達は、世界征服のために神様の機嫌を取りたいってことなんだね」


「…言い方に棘があるけど。そう思われても仕方ないかな」


「……………」


「……………」


「……僕に何を訊きたいの?」


 本題の前にルークとフランが合流した。遠くまで来たはずが、実はほとんど動いていなかったらしい。幻の中心と一緒にいたエア達は影響を受けず、一方ルーク達の周りでは激しく景色が流れ去った。マナの纏いを外したため、地面に引き倒されて怪我をするようなことは避けられている。


「何かあった?実に変な空気だね」


 開口一番、フランが忖度を放棄した。


「ふぉぅん」


 ルークも同意。従弟と妹の違いはあれ、世話が焼ける家族を持つ者同士の共感でもあったか。


「…何でもない。こっそり後ろを歩いたのがバレただけだから」


「それを『付き纏い』って言うんだよ。先進国じゃ立派な犯罪」


「私達が知りたいのはアウラのこと。ここでは誰なのか、どこに行けば会えるか」


 売り言葉に買い言葉は避けられた。が、互いに目を合わせようとしない。


「……隠すからこうなるんだよ」


 アトが皮肉を込めて洩らし、それから面倒臭そうに呟いた。


「お姉ちゃんだけなら。他の人は少し離れてて」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 少年の言葉に従い、ルーク達は距離を取ることにした。


 エアも意気込んでいる。今度は約束を守らなければ、と。くれぐれも風の精霊に頼んで音を届けさせることのないよう、特にルークへ念押しした。


 妹のこととなると、彼は時に本人の意向すら無視する。十四年の付き合いで、彼女はそのことを分かっているのだ。ゼクスとフランについては、林檎と添い寝で脅したルークに任せておけば問題ない。


「…最初に会ったとき言ったよね。僕のコテハンは『ランディ』。『アウラ』は姉さんのコテハンだよ」


 緩く告げられた衝撃的な事実に驚く。


「え。それって、つまり……?」


「僕の姉が神様。そうならないよう頑張ってたけど、要するに僕達負けちゃうのかな」


「……アトのお姉さんが礎の女神?じゃあ弟神のグランディス様って」


 グランディス様。その言葉を聞いたとき、アトの顔が古くなって酢と化した林檎酒でシチューを味付けしたような表情に変わる。


「…バルの仕業だな。そんなのまで伝わってるのか……」


「バルって、バルフェルド様?自信と傲慢を司る?」


「こじつけだよ。僕達は何も司ってない。あいつはそういうのが好きなんだ」


 グ『ランディ』スとは、派手で仰々しい語感を好んだ『バル』フェルドこと本名サイトバルマサオの創作。アトの母『フイユ』、姉『アウラ』、以下母の同僚『シェリィ』、『アルボ』、『カスパル』、『メティス』。礎の女神と七柱の魔神の名は、全て彼が考えたという。


「恥ずか死ぬレベルだよね。マコト……特にシェリィあたりが聞いたら」


 本名シライシマコトはサイトバルマサオの仲間であり恋人。突拍子もないことばかりする伴侶に、常々不満だったらしいが。


「…えーと。グランディス様」


「嫌がらせ?…敵が何を考えてるか分からないけど、母さんがいるところに姉さんもいるはず。どっちにしろ母さんを助けてもらうしかないね」


 アトの口から剣呑な言葉が洩れた。


「……敵?」


「あいつさ。真っ白い奴。アダム達も厄介だけど、特にあいつ」


 四人に圧倒的な強さを見せたユルハが、手もなく気絶させられたことを思い出す。


「一体何なの?あれも神様……アトの知り合いなの?」


 無言で大きく頷くと、哀しみと怒りを綯交ぜにして呟いた。


「ヴァルマ=ルースア。母さんの発狂した友達だよ」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「発狂……って。それはどういうことなの?」


 魔神以外に馴染みの薄いエアでも名前くらいは知っている。愛の女神ルースア、ニンゲンの間では少なくない信徒がいる神だという。


 しかし、その女神が狂っている?これはどういうことなのか。


「言葉のままだよ。ヴァルマはセラフィナがライブラリに閉じ込められたから狂ってしまった。徐々にではあったけど、すぐには起こせないと判ったときに」


 また新しい名前。セラフィナというのは、ニンゲン達が呼ぶところの自由の女神セラか。


 ヴァルマは誰よりセラフィナと親しかった。そして元々、礎に選ばれたのはアウラではなくセラフィナだったという。それが失敗し、長らく意識不明になり。自失のヴァルマはライブラリ――言霊の力を悪用した。親友を奪った世界に復讐を始めたのである。


 その力に対抗するため、ユルハは娘のアウラをライブラリに繋いだ。適性はセラフィナより高く、ヴァルマを捕らえた後で安全に目覚めさせることも可能だという。


「お姉ちゃん達の世界は、僕らが負けた後の世界なんだ。お姉ちゃんの言うとおり、僕達は贋物の存在なんだね」


「…それは違うよ」


 俯くアトの顔を、しっかり両手で包み込む。


「どう違うのさ。姉さんが神と呼ばれてること自体、人間に戻れなかった証拠なのに」


「違う。負けたのかもしれないけど、それは過去の話だよ。アトがいるこの世界は、似ていても別なの。アトが贋物だなんて話にはならない」


 この世界は紛い物だ。アウラの記憶を元に、昔を再現してみせた夢の箱庭。


 既にアトとエアは出会っている。二人だけではない、他の幻界人やルーク達も。マナの影しか見えない世界で生きるのは辛いだろうが。それでもアトジマダイチとは違うニンゲン、アトとして生まれたことは間違いないのだ。


「行こう。お母さんとお姉さんを捜しに」


 エアは少年に、もう一度手を差し伸べる。


「ここがアトの場所なら、幸せにすればいい。未来の私達が力を貸すよ」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「話は終わったの?」


「うん。事情は大体分かった。やはりアトのお母さんを取り戻すしかないみたい」


 嘘である。アトはそう言ったが、敵が先にアウラを見つけるとは限らない。


「アトのお母さんは、アウラ様とも約束していたの。そこに連れていってくれるって」


 ユルハを攫った連中は恐らく現れる。アトが目の前にいないことを利用し、従わなければ殺すと脅迫するのだ。礎を奪われてしまう危険はあるが、我が子二人を天秤にかけるような母親ではないと信じたい。


「必ず戦いになるね。そうすると……」


 皆の視線がフランに集まる。泣き笑いの顔を浮かべ、微かに頷く。


「分かってる。今の僕は足手纏いだから」


 囮が必要。とはいえ敵に遭遇しないのが最善である。


 エアは熱源を欺瞞し、フランは影に潜み、アトはコウガクメイサイなる技術を用いた外套で姿を隠す。ルークはそれら全て、あらゆる精霊と契約した彼ならではの。攻撃的な術ばかり覚えたゼクスは、とりあえず幻界人の擬装をしておく。


《…終点オオミヤ、オオミヤ。サイキョウセンに御乗車いただきありがとうございました。トウホクシンカンセン、トウホクホンセン、タカサキセン、ケイヒントウホクセンはお乗り換えです。サイタマシントシコウツウを御利用の際は、ニシグチカイサツを出て右側へお進みください。このレッシャは折り返し、終点のシンジュクまで参ります。発車まで七分程お待ちください……》


 幻界の通貨を持たないエア達は、またしてもアトの世話になった。


 参考までにと金額を訊ねたフランは目を丸くしたが、ドワーフ達の通貨と単位は同じながら百分の一の価値だったため。百センで一イェンという通貨体系は、今から九十年程前に廃止されたもの――アトが生まれた国との戦争で敗れたときに。百倍で上の単位に繰り上がる仕組みは基軸通貨と同じであり、時々思い出したように検討されている、と。それよりエアには、戦で負けた人々が穏やかに暮らせていることのほうが信じ難い。


「そういう時代もあったけど。やり過ぎれば次の火種になるから」


 賠償金は求めない。命の代わりに名誉を奪う。敗者を悪と決めつける。もう一度戦って勝つまでは、謂れなき侮辱に耐えねばならぬ。しかし、その機会は永遠に訪れない。この国が戦を始めたときは、理由を問わず滅ぼしてよいことにされてしまったから。


 一方エア達の世界は『窮鼠猫を噛む前に殺す』。エアには部族の誇りを捨ててまで戦を避ける思考が理解できない。互いの敵が滅ぶまで戦うのみ。


「……そういう時代なんだ」


 どちらがよりマシなのか。アトにも分からなかった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



(そういえば……)


 懐に入れたラダラムの時計を拾い出す。


 短い針が半周していた。日没から大分経つのに、灯りの絶える様子もない。針が元の位置へ戻る前に――ドワーフとの約束だ。


 水甕を一緒に運ぶ約束をしている。しばらく滞在するのだから急がずともよいだろうに。だが、それだけにしては何やら難しい顔をしていたような……?


(何だろう?他に頼みたいことでもあったのかな)


 とりあえず脇へ置いておく。今は他にやるべきことが。


 無事任務を成功させる。ただ十五歳になったのではないと、一人前の戦士になったのだと村の皆に分かってもらうために。


 いきなり殊勝になったゼクスは、もう分かっているかもしれない。性癖が玉に瑕のフランは、元からエアを尊重している。問題は兄のルークだ。相変わらずの子供扱い、やめさせることができるのか疑問に思わざるを得ない。


「…お兄ちゃん?」


 壁とエアの間で寝そべっていたルークが、ふと顔を上げた。


 夜は遠くまで音が届く。獣の身体を持つがゆえ、家にいるときもエアには聞こえない音を聞いていることがよくある。今回もその類だろうと、あまり気にしなかった。どさりという雑な音が、すぐ傍に聞こえるまでは。


「……えっ?」


 乗り物の床に倒れているのはフランだった。


 背中から一本矢が生えている。驚いたエアが駆け寄る前に転がり落ちた。気絶したことにより、マナの纏いが消えたのである。


「フランっ!」


 敵はどこに?追撃があれば見つけられる。しかし次の矢は来なかった。姿を隠したまま慎重に、一人ずつエア達を嬲り殺すつもりか。


 ゼクスも分かっているようだ。今このレッシャを降りるわけにはゆかない。


 ルークが飛び降り、フランの元へ向かう。矢のような雨。迷っているうちに、敵が先手を打って彼を撒き餌にした。簡単には捕まらない。漆黒の魔獣バーゲストは、身体能力においても並の肉食獣を上回る。


「お兄ちゃん!」


 妹の声が背中に届く。


「フランを護って!死なせたら一緒に寝てあげないよ!」


 ぉぉぉおおぉ――――――ん。


 妹の温もりはルークの好物だ。異形の彼を兄と呼ぶエアが、自分を見捨てたりしないことは分かっている。それでも――いや、だからこそ。必ず期待に応えなければ。


 敵の数が少ない。『白銀』との戦いを見ていて、そちらにも探索の人手を割いたか。フランの頭を顎で捉える。そのままエア達とは逆の方向へ走り去った。


《…終点シンジュク、シンジュク……》


 ここで降りる。アトの話では、アウラの護衛が来ているはず。本当はアトにもいたのだが、逃げ隠れするうちにはぐれてしまった。


「もう殺されたかも。だから母さんが迎えに来たんだ」


 何も変わらない。母が連れ去られるのを見たばかりなのに。


「大丈夫。私達がついてるから」


 ただの気休め。代わりに強く手を握る。それが今のアトには必要なこと。


 アウラは目覚めないのだという。この数箇月、ずっと眠ったまま。


「眠ったまま……?」


「詳しくは知らない。セラが怒ってヴァルマでも抑えられなくなって。止めようとした姉さんも起きられなくなって」


 その結果が今。支配の影に怯える者と、恐怖心に脅かされる者と。


 世界はぐちゃぐちゃだ。賢いはずの大人達も、どうしたらよいのか分からない。


 ただ責任だけはあって。守らなければならない優先順位があって。聞こえる声にも耳を塞いで。皺寄せを一身に受けたのがアウラとセラフィナで。


 何か起こらなければ。現状の閉塞を突き崩す何か。守るものがなくなったら、この緊張を終わらせられる……?


 選択肢は、もう一つあった。


 絶対的な力の差を見せること。統制者には、それだけの力がある。


 各国の指導者達は思っているはず。まだ巻き返せるかもしれないと。それも事実だろう、しかしここでは間違った選択。下手な希望を持たせるより、絶望の底まで落としたほうが逆らう意思すらなくしてしまえる。すなわち平和に他ならない。


 善良なアウラ達は、その道を選べなかったのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 人の波がさざめく。暗くなって大分経つが、逆に増えているような気もする。


「手、離さないでね」


「……うん」


 摑む。躊躇いを見限るように。


 アウラの護衛がどの路線で来るかは分からない。よって広い上階へ行く。


 建物を支える柱の他は何もなく、どちらへ逃げるも自由。アウラの奇蹟を介して話せるため、待ち合わせのしにくさは支障にならない。暴走したセラフィナを抑え込むのに加え、独自の連絡手段を持つこともアウラを礎に捧げた理由だ。


「…うん。同行者がいる。説明は難しい」


 アトが誰かと話している。内容は概ね現状について。姿は見えないが、そもそも近くにいないのだろう。幻界人は誰でも遠くの相手と話ができる。


「三人。四人増えて二人減った。違う、そうじゃなくて」


 説明するアトの顔が濁ってゆく。本当に信用できるのか?いや絶対信じるな――そう諭された可能性が高い。


「…揉めてるね」


「ああ……」


「仕方ないけど。不安なのは解るし」


 通話が終わった。見るからに憮然としている。自分の目を疑われたように感じているのかも。とはいえ見知らぬ相手を信じられないのは、普通のことだとエアは思う。


「…どうだった?」


「ここを動くな、って」


 大丈夫か、とは訊かなかった。


 まず護衛に会うこと。信用されること。アトは味方だろうが、任せきりは駄目。アウラに直接会い、誰かの願いを叶えたりするのはやめるよう言わなければ。


 それには今できることを。初めてアトに会ったとき、彼はエアがコウガクメイサイを使っていると言った。姿を見えなくする道具らしいが、熱の精霊と契約したエアならあるいは。見えるというのとは少し違うが、周りの温度差が何となく分かるのだ。


 数分後、普通の視界には映らない不審な影が現れた。それは息を潜めつつ、遅くない足捌きでエアとゼクスの死角から近づく。


 つまり向こうにも二人の姿が見えている。普通の視覚しか持たないアトやゼクスには、忍び寄る敵の姿が見えていない。


「誰か来た。コウガクメイサイってやつ」


「どこからだ。何人いる」


 ゼクスが硬い声で訊く。悟られないよう、視線や頭は動かさない。


「一人。アトの正面」


 さりげなく間に体を入れた。これでどう動く――慎重に向きを変えている。どうしても不意を突きたいようだ。二人相手は自信がないか、途中で横槍が入るのを嫌った。


「諦めたか?」


「全然。こちらの動きをよく見ている」


「…護衛とやらは何しとるんだ」


 どうもらしくない。ここに来てから弱気な発言が目立つ。いつものゼクスは、根拠のない自信と優越感で満たされていたのに。自分だけが怖いのではないと落ち着く面はある。それを口にしないのは、初めて仕事に就く緊張と任せられた意地。


「そろそろ気づかれる」


 エアに敵の姿が見えていること。偶然も三度続けば、必然と考えるのが普通。


「どう動くかな?」


「分からん。俺には見えないからな」


「……………」


 隣に立つ木偶の坊の顔を見上げる。


 本当にそうなのか。確かにゼクスは術が苦手かもしれない。だがそれは駆け出しのエアも同じことで、そもそも全く使えないわけではないと思う。


 現にマナを纏うことで、エア達と一緒に階段や高い建物の上まで登っている。マナ濃度と視覚のずれを感じるくらいできるのでは?一度気になると頭から離れない。


「…ねえゼクス。あなた本当に」


 人影は動かない。エアが見えていることを察し、どうすべきかを考えている。


 危険を冒して残るのは、またアトを見つけられる保証がないからか。持久戦を挑み、エア達が疲れるのを待っている?


(望むところ。時間を稼げば、味方が増えるかもしれない)


 そう考えた矢先、いきなり透明人間が動いた。


 形振り構わぬ勢いに驚く。相手の事情が変わったのだろう。激しく動いたためコウガクメイサイが剝がれる。ゼクスも敵の姿を捉えた。ダガーを抜いて迎え撃つ。


「邪魔だ!」


「何が!?」


 足元を転がるエアの手がコウガクメイサイを焼き、消し炭に変えてゆく。鏡のような材質は酷く熱に弱いのか。


「この……っ!」


 隠れ蓑を脱ぎ捨て、エアに叩きつけた。細かい煤が喉に入り、噎せながら敵の顔を見る。女だった。背丈は恐らくフランより高い。


「邪魔だと言っている!」


「だから何が!?」


 言うことを聞く謂れはない――ゼクスの苛立ちを言葉にすればこうなる。


 燃え滓を振り払ったエアが叫ぶ。


「アト!?」


 見覚えがある四人の男女。そいつらが少年を連れ去ろうとしている。コウガクメイサイの動きは、連中に対してのものだったらしい。


 カインが自分の耳元に触れた、それをエアのダガーが狙い撃つ。『白銀』が現れたときと同じ仕草だったから――考えるより先に身体が動いた。しかし。


「セレス……!?」


 遅かった。再び滲み出る。敵の背後、白い輝きを放つ戦乙女。


 エアとゼクスには目もくれない。


 光の中から差し出た穂先がセレスに迫る。


 受けて立つ。希望を失くしてしまわないように。


「『変わりゆくもの』よ!我が双脚に主の御加護を!」


 女の姿が揺らめく。常人の目には速過ぎて見えないのだ。


 『白銀』がアトを攫う。息せき切って駆け寄るエアを一瞥、セレスも追いかけて跳ぶ。味方なら手伝え――そう言われたような気がした。


 逃げ惑う人々は妙に落ち着いている。騒ぎから遠ざかりつつ、行き止まりを避けるように。覚悟ができているのか、危機感が足りないのか。


 蒼い服装の男達が駆けつけた。幻界の戦士だろうか。『白銀』との対決は避け、人々を逃がすことに専念している。彼らの任務は、必ずしも敵を倒すことではないらしい。


 セレスが優勢、しかし止めを刺すには至らない。『白銀』が防御に徹するせいだ。


(応援を待ってる?あれより強い奴が来るの?)


 ユルハのときはそうだった。カインとアベルが時間を稼ぎ、そのうち『白銀』がやってきた。二人も何が来るのかまでは知らなかったらしいが。


 セレスの顔に焦りが浮かぶ。もしかしたら現れるものを知っている?そしてその相手には絶対勝てないと思っている。


 加勢するなら今。だが矢を撃てばアトにも当たる。近寄るのは速くて無理。神宿りになったばかりで怖いが、他に手はない。


(…火の精。当たらなくてもいい、あいつの動きを止めて)


 種火の蓋を開け放つ。油紙の隙間から五つの焔が舞い出し、輝く影に殺到する。


 危険を量りかねたか、少しだけ『白銀』の動きが鈍った。その隙を見逃さず、セレスが拳と蹴りで打ち据える。


「大丈夫なんだろうな!?」


 あの女に味方して――ゼクスの疑問に対するエアの答えは単純だった。


「判らない!でも名前を呼んだから」


「…それだけかよ……!?」


 駆け出したエアは、既に彼のほうを向いていない。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ルークとフランは、なおも敵に囲まれていた。


 弓矢を風の壁で払い、直接迫る敵は鋭い牙が噛み砕く。刃物を握れる程度のニンゲンなど、いやさ百年の戦火を潜り抜けたエルフとさえ互角の死闘を演じられる。


 闇色の魔獣バーゲスト、不完全な神の似姿アトルムより生まれしもの。口の悪い同胞は、異形の猛者を蔑んでこう呼ぶ。始祖ライセンの偉大なる失敗作、と。


 負傷したフランを護りながらの戦い。明らかに不利な状況だが、それでも敵の思惑に考えを巡らせるだけの余裕がある。言葉を話せないバーゲストも、知能はヒト型の同胞と大差ない。個体として比べれば、エアやゼクスより賢かった。


 そのルーク並みに賢しい、悪く言えば頭でっかちな戦士が呟く。


「……ごめんね。本当は僕が頑張らないといけないのに」


 矢玉が尽きたか、小康状態に落ち着いている。近づいてこないだけで、相変わらず敵の姿は目の前にあったが。ルークはフランに一瞥すら与えない。


 傷の痛みに表情を硬くしながら、フランが言葉を続ける。


「ゼクスとは違うけどさ……僕にも口惜しさはあったんだ。見習いの子が勅命を受けてるのに。歳下の女の子に負けてられない、って」


 彼の場合、その勅命を出した人物にも問題がある。戦士フランは若長シェラの恋人だ。アトルムの風習として『数人いるうちの』という枕詞はつくが。


「見たところ、敵に言霊使いはいないみたいだね」


 もしいれば、さしものルークもこの数を相手にはできなかったろう。不条理こそ真骨頂の言霊相手では、自然の力を借り受ける精霊の依代は分が悪い。


「別行動なのか、最初から連れてきてないのか……」


 術者がいないのなら、幻惑することも容易くなる。そしてルーク一人なら、その脚力を生かして多勢の敵を振り切ることも。


「…光の精霊。不可視の鏡を。何人たりとも我が身の姿を捉うる能わず……」


 こうして静かに隠れる。先程受けた矢は、致命傷ではない。手当をすれば助かるだろう。敵に見つかって追撃されたりしなければ。


「僕は大丈夫。だからルークはエアを追って」


 妹の頼みがあったからこそ、彼はフランを護ってここにいる。そのフランは懸命に考え、自分が足手纏いにならなくて済む答えを見つけ出した。役に立たなかったとはいえ、邪魔にはならなかったのである。もう少し救われた顔をしてもよさそうなものだが。


 ルークは初めてフランを見た。行く前に彼の真意を聞いておくべきだ、と。


「…あれはゼクスじゃない。方法は分からないけど、兄弟同然の僕には判る」


 勘のようなもの、だという。何がどうとは言えないが。何となくおかしい。


 村の外れで一緒にドワーフの店を冷やかしていたときはゼクスだった。


 そろそろ行こうとフランが言い、降ってきたルークに潰されたときもゼクスだった。


 幻の都に入ったとき?いや違う、ニンゲン達に襲われたとき。戦いの混乱に紛れて、三人は僅かな時間にせよ互いの姿を見失っている。


「急いで。エアが危ない」


 一際大きな竜巻を生み、ルークはフランの気配が消えるのを待った。


 気持ちが急く。心が焦れる。


 早く行け。行ってしまえ、と――そして。


 激しくなる矢雨に構わず、林檎の香りを追ったのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ルークがフランと別れた頃、駅構内の争いは収束に向かっていた。


 エア達の圧勝。重傷を負ったアダム達は、動きを封じられて床に蹲る。死んだ者はないが、それぞれ焼き印を押されたり脚を斬られたり。今度は容赦なく捩じ伏せた。より怖ろしい敵を呼ばれても困るゆえ。


 マナを解けば干渉されない、すなわち不可侵ということ。幻界人にとってはエア達こそ幻。攻めるとき以外はマナを隠し、刃が通り抜けるに任せればよい。それとて言うは易し、行うは難し。本当に刺されたような悪寒は残るが。


 護衛と『白銀』の戦いも佳境を迎えている。


 神の分身とニクスのようなヒト――後者が前者を一方的に押さえつける。エアが知らないだけで、彼女もやはり神なのか。アトルムの創術で肉体を強化、ニクスの法術で遠ざけつつ空間ごと全身を引き裂く。護るべき少年すら巻き込みかけて。


「…ちょっと!?」


「黙ってろ。後で聞く」


 畏怖せざるを得ない。あれほどの敵が紙屑のように。文字どおり砂のような粒となって舗装された地面に溜まる。だが所詮は幻、エルフの森を侵すことはできないはず。


 アトは無事だった。人質としての価値を認められたか。むしろ護衛のほうが粗略に扱っていたような。怪我一つしていないのは奇跡とすら思える。


「セレス……」


「アルフは何をしているのだ!?」


 少年の無事を確かめるなり、最初に叫んだ言葉がそれだった。大人も怯える剣幕だが、アトは意に介さない。普段から短気なのだろうと推測する。


「はぐれた。コンビニ行くって出たきり。最初はルームサービス取ってたけど、あまり戻らないから」


「外に出たのか?ルースアの手下が狙っていると言われたろう」


「お姉ちゃん達に助けられた。母さんは捕まったけど」


 ようやく通りすがりの協力者達を思い出す。アト同様、彼女にも形しか見えていない。マナの陰影で分かるのは、剣呑な空気を滾らせる少女と用心深い男がいることのみ。


「私はエア、こっちはゼクス……それより、さっきのあれは何?下手すると自分でこの子を殺したかもしれないのよ。あなたはこの子の護衛でしょう?」


「違うな。正確にはアウラの護衛だ」


「同じことじゃない。お母さんに頼まれたんでしょ?子供達を護ってほしいって」


「一義的に狙われているのはアウラだ。ランディは言うことを聞かせるための駒に過ぎない。人質にされるくらいなら殺す、そう考えていると思われたほうが安全だ」


「……………っ」


 納得できないが、有利なことは認めざるを得なかった。


 自分はアウラ達の国から来たと告げる。政府とは関係ないが、敵は疑いの目で見るだろう。表向き身分をなくしても、元はFBIの人間ではないか、と。それを利用するのだ。勝手に超大国の影を見てくれれば何かと動きやすい。


「場所を変えるぞ。ここでの戦いはルースアに筒抜けだ」


「…姉さんは?」


 肩越しに振り向くセレスは、自信ありげな笑みを浮かべた。


「隠してある。自分が死ねば、まず見つからない場所だ」


 事実、そうだったのだろう。この後セレスが負け、しかしアウラは殺されることも目覚めさせられることもなかった。


 言うなれば痛み分け、そして今の世界がある。ルースアは愛欲の女神として信仰を集め、アウラも細々とではあるが存在を伝えられている。アウラのほうは、さぞ寝苦しい思いをしているに違いない。自分のために家族や仲間が争う悪夢を見せられるのだから。


(アトはどうなったんだろう……?)


 前に一度訊いたときは、外の世界を見たくないと言った。


 今も同じだろうか?気が変わっていれば、できるだけのことをしたいと思う。本人が望むなら、ライセンの里へ連れてゆくことも。いずれにせよ、全ては終わってからだ。アウラと対話し、危険な『神様ごっこ』をやめさせる。


「…ヴァチカンへ向かう。教皇猊下が相手なら落ち着いて話を聞くはずだ」


「カトリックじゃないよね?」


「構わんさ。懐の深い著名人なら、誰でも」


 日和見の国々を経由、幾つもの大国が配慮する小国へ。その国は権威であり、実力はなくとも影響を及ぼせるという。攻撃すれば世界の三分の一を敵に回すゆえ、無縁の者達も間接的に大人しくせざるを得ない。


 問題はこの国が島国であること。陸続きならよかったのだが、国を出るには海を渡るしかない。それは敵のほうがよく分かっており、まともな方法では確実に見つかる。


 そこでセレスが考えたのは、貨物船で密航するやり方だ。アウラが礎と化したことを知っているのは、今や世界中に睨まれているこの国だけ。他国を当てにできるはずもなく、一度外へ出てしまえば人混みの中に紛れられる。


 再びレッシャに乗り込んだ。シュウデンが近いという。ヒトの気配が消えた街中を走るのは目立つため、なるべくなら避けたい。


「寝てていいぞ。自分が見ている」


「…ん……力を使い過ぎた。少し……」


 言い終える前に寝息が聞こえた。歳相応のあどけない顔――思わず手を伸ばしかけ、厳しい視線に気づいてやめる。


「…あー……うん」


「何だ。言いたいことでもあるのか」


 アトを取られたようで寂しい、とは言えなかった。元々セレスは知人であり、出会って数時間のエアが取られたなどと考えるのは変。


 代わりに昔のことを訊ねる。アトとはどのようにして知り合ったのか?事件前の暮らしはどうだったのか……アトに父親はいないのか。


「自分も大して変わらん。十日前に会ったばかりだ」


 没頭すると周りが見えなくなる母に代わり、双子の世話をしてきたのはセラとルースア。それはアウラが研究所に留め置かれるようになっても変わらず、少年は明るさに満ちた家の中で誰かが訪ねてくるのを待ち続けた――らしい。あの部屋の状態を見れば、どのような有様だったかは何となく分かる。


「……親しかった人達が敵に?」


「そうなるな。母の友人とはいえ、見知らぬ女を信じてくれている」


 父親のことは、珍しくもなさそうに言い放った。ユリィはああいう奴だから愛想を尽かされても仕方ない。別れた男は普通の女と再婚して普通の家庭を築いている。子供達とは定期的に会っていたらしいが、今度のことでそれも難しくなったろう、と。


「こういう言い方は嫌だろうが……慣れたのかもしれないな」


「…慣れた?何に」


「他人を利用すること。この子にとって、人間は敵か味方しかいないのだろう」


 ホームにレッシャが入ってきた。あれで貨物船が着く港を目指す。船底に潜り込めばこちらのもの、くらいに考えているのか。事実、荒くれごときにセレスは倒せない。


「ここまで来たら最後までか?」


「フランのこと心配?なら戻ってもいいけど」


「いや、任務だからな。最後までやるさ」


 アトを抱えたセレスが行くぞ、と宣言する。続いて乗り込み、それから眠っているアトを受け取った。セレスには戦ってもらわねば――圧倒的な強さに加え、膚感覚の異なるエア達ではいざというとき間違いを起こす。


「厳しいことを言ったが、これでお前達には助けられている。プロトタイプとテストタイプの四人を始末してくれたから、奴はもう自らの分身を送り込めない」


 先程の圧勝も背中を預けてこそ、と言いたいのだろう。他のことを気にしながらでは慎重になるし、その分時間もかかる。時間がかかれば援軍の分身が送られてくる。そうなったら勝利は覚束ない。二人の貢献は大きかったのだと。


「そう言ってくれるのなら、本物のアウラ様に口利き願いたいものだな?俺達の目的は、先程説明したとおりだ」


 ゼクスが要求する。機嫌を損ねたのではないが、セレスはやはり腑に落ちないといった表情を浮かべる。


「…『本物』か。自分は今隠してきた少女が本物だと思っているのだがな。あの子が本物でないなら、自分もダイチもルースアさえ贋物ということになる」


「そういうつもりじゃないんだけど……元々いたヒトなのかって言われたら、多分違う。何ていうのかな……そのものじゃないけど同じ?ゼクスもそういう言い方したら駄目だよ。このヒトのアウラ様、私達のアウラ様。どっちも本物で別物なんだから」


 彼女はセレスティア=キャロルの複製だが、この世界に元々のセレスティア=キャロルはいない。他の複製は存在しないのだから、自分のことをセレスティア=キャロルだと信じていて問題はない。ある晩に突然時空を飛び越え、遥か未来の別世界へ飛ばされた。そしてその世界は、友人の娘が創造した夢であると。


「そのあたりはどっちでもいい。というと何か?こっちのアウラ様にマテリアライズをかければ、もう一人のアウラ様を連れ出せるのか?そんな真似ができるなら、願いを聞いてもらうどころの話じゃないぞ」


 これにはセレスが反論した。


「いや。そうはならないだろう。統制者の力はライブラリあってこそ。別のライブラリを生み出せるかもしれないが、お前達の世界に与える影響は限定的だ」


 大体その理屈だと、『白銀』を連れ出すこともできてしまう。このことに気づいたら、ニンゲンの冒険者達が危険な橋を渡らないとも限らない。


「…そうね。それはいい考えだわ。ユリィが指定した座標は見つけたから、今度やってみようかしら?」


「な……ッ!?」


「初めまして、セレスティア=キャロルさん」


 車内の通路に女が立っていた。いつの間にか――アトを抱いて座るエアの前、それと向き合うセレスの後ろに。生き物としての質感を持つ、『白銀』そっくりの存在が。


「ヴァルマ=ルースアです。私のことはヴァルマと呼んでくださって構いません。あなたのことをセレスさんとお呼びしてもよろしいですか?」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 最初に金縛りが解けたのはゼクスだった。呻くように疑問を叫ぶ。


「いつここに……どうやって現れた!?」


「あら。ずっといましたよ?この電車に乗ったときから。そちらの影のお嬢さんが、何やら話しにくそうに私達のことを訊ねたときから」


 くすくすと面白そうに笑う。つまり最初からだ。どのホームでどのレッシャに乗るか、それさえヴァルマには筒抜けだったと。何故か。


「簡単なことです。セレスさんには分身の欠片がついていました。あの塩みたいなものをマーカーに……教養で放射線化学か分子生物学をお取りになっていらっしゃらない?」


「……専攻は社会学、教養は進化論と量子物理学だったな」


「敬虔なプロテスタントとは思えない選択ね。神を疑っているのかしら」


「戯言に付き合うつもりはない」


 考えようによっては好都合だ。ここでルースアを倒しさえすれば。


 しかし危険な考え方でもある。彼女は戦闘員ではない。にもかかわらず現地政府を掌握できた理由。エルフ化した関係者の中には、この国の将校もいたはず。


「あの子はどこですか。引き渡さないなら、それでも構いません。しっかり目覚めさせて、あなたが面倒をみてくださいな。そのうえで、もうライブラリに繋がないと約束してくれれば。ユリィは既に捕まえましたから、真似できないはずですし」


 それでも親子は一緒にいるべきだと思いますが、と付け加える。逆らわなければ危害は加えない、という意味か。このままアトとアウラを引き渡す?それで万事解決?…まさか。信用できるわけがない。信じるだけの根拠がない。


 アウラの力が目的ではない、と言うが。狙いはユルハの知識か。言うことを聞かせるための人質として双子を欲している?だとすれば……


 セレスは右手の指で後頭部を掻いた。


「……そう言われてもな。レベル3を起こすには、七万倍のマナ濃度が要るらしい。早く貯める方法でもあれば別だが、一年や二年でできるものではないな」


「…何ですって?ならユリィは何の保証があって大事な娘を……」


「それくらい危機的と思ったのだろう?詳しくは本人から聞いてくれ」


 ルースアの狼狽は、事情を知らないエアが見て分かるほどだった。セレスも困った様子で肩を竦める。ユルハがライブラリの使用に踏み切ったのは、いつでも被験者を起こせるようになったからではないのか。更に知識を応用すればセラも。合理的なルースアの頭では、見込みや当てもなく我が子を犠牲にするなど考えられなかったのである。


 その意味において、ユルハのほうが狂っていた。友の喪失に常軌を逸し、錯乱したルースアのほうが分からなくもない。


「…いいえ。まだあるはずよ。フィーナちゃんを救う方法が」


「認めない。諦めるしかないなんて」


「フィーナちゃんのレベルは2。プレゼンターはレベル3以上の適格者による起動を推奨した」


「…マナが漏れないから?だとすれば………」


 独りごとが速い。十人いれば七人が困るだろう。


「な、何?フィーナちゃんって誰のことなの?」


「知らん!あいつは頭がおかしいのか!」


 ゼクスの悲鳴を合図に、ぴたりと止む。そして元どおり微笑んだ。


「やはり必要です。目覚めさせるにはマナを分けてもらわないと。こちらから持ちかけておいて恐縮ですが、交渉の余地はなくなりました」


「…敵対するつもりはないのだがな?」


「信用できません。フィーナちゃんがライブラリへの完全接続を申し出たとき、あなたの友人は何をしました。他に道はないと言って背中を押したではありませんか。あの場に私がいたら腕ずくでも止めたのに」


「見捨ててはいない!主の教えに背くだろうが、そのために自分も進化したのだ」


「……………」


 静寂が永い。他の乗客達も何事かと思い始めている。


 変なものを見る目だ。ゼクスと同じように、頭かおかしいと思ったのか。


「…あわ、っと!?」


 そのとき大きくレッシャが揺れた。反射的にゼクスが腕を伸ばし、それを支えにしてエアは事なきを得た。アトの無事を確かめつつ、改めて周りの様子を見る。


 吊革に摑まっている者はよいが、少々の揺れに慣れている者は脚の力だけで姿勢を保っていた。その限度を超えてしまい、乗客が乗客へ、更に他の乗客へと波紋が広がってゆく。争いを避ける民族性からか、そこかしこで互いに謝りながら会釈する光景が。


 しかし何事にも例外はある。このときルースアにぶつかった中年の男は、まさしくそれに当たるものだった。


「…んだよ。ちゃんと運転しろ。金払ってんだから」


 直接は何も言わなかったが、通路側に立っていたルースアを睨みつける。不機嫌そうに舌打ち、右手で吊革を摑む。自分が誰かに責められるなど考えられないという態度。


「……邪魔しないでください」


「あ?」


 エア達に聞こえたのは、それだけだった。十人中十人が困る小声と早口で何かを呟く。息を呑んだセレスがルースアを押さえようとする。


「おい、やめろ!」


 男の姿が消えた。ほんの一瞬、轟音と白い爆炎を伴って。今時分の客は、周りに関係なく寝ている者が多い。それにしてもきつ過ぎた。心の泥濘を鋭い悲鳴が切り裂く。


「今、大事な話をしていますから」


 危険を察知してレッシャが急停車する。


 今度はルースアの姿勢も崩れた、完全に停まるのを待たず、セレスがドアを蹴破りエアとアトを抱えて外に飛び出す。そのうち追いつかれるゆえ後は見ない。倒した分身の欠片がついているからだ。


 その前に二人を降ろし、別行動で逃がす。アトは賢い子だ。優秀な護衛がいれば、密航を手引きするようなならず者とも渡り合える。


「ゼクスは……!?」


「大丈夫だ。マナを解けば干渉されないのだろう」


「あ……そっか」


 優秀な護衛は溜息をついた。ここからはエアひとりでアトを護るのだ。安心するのは、まだ早い。


「あんたは、どうするの」


「自分か。自分は」


 隣の屋上を目指して真っ直ぐ跳ぶ、その四度目に失速した。地面だけはどちらにもある。三人とも打ちつけられたが、まだ高度を取っていなかったのは幸い。眠りが深いのだろう、額から血を出してもアトは目を覚まさない。


「話は、まだ終わっていません」


「早く行け!場所はダイチの記憶に送ってある」


 誰も動かなかった。しかしマナの満ちる気配を感じて、思わず足を止める。反射的に足が竦む。


「逃がしません」


 突然暗くなった。一条の光も差さないとはこのこと。熱の精霊の力を借りてヒトの位置だけは分かる。


 ルースアが右手を掲げると、頭上に光が灯った。それでも黒いことに変わりはない。自然な色を成すのはヒトと地面のみ。これと似たものを、エアは見たことがある。黒いのではなく光が届いていないのではないか。先程の逃がさないという言葉。闇の精霊に力を借りて目隠しをしたのではないだろう。


 アトをエアに任せ、セレスが捨て身で挑みかかる。されど不可視の障壁に阻まれ、全く効果を成さない。片やセレスもルースアの反撃を適確に避ける。その間にエアは、何とかして黒い壁を抜けようと模索する。


「!?…何これ」


 触っているのに触った気がしない。異様に硬くて滑らかな物質が目の前にある――という錯覚。ニウェウスが得意とする法術のひとつに『断絶の結界』というものがあることを、この頃のエアはまだ知らなかった。


「…統制者の資質はありませんでしたが」


 ルースアが呟く。


「術の適性には恵まれていました」


 一見して千日手、だが両者の状態には大きな違いがある。


 慌てないルースア、強攻を余儀なくされるセレス。自ずと差は出てくる。


「…そんなもの、私は要らなかったのに」


 最初の位置から動かないまま、ついにセレスを拘束した。


 次はエアの番。実際に殺されはしないが、ゼクスと合流しても勝つのは無理。さりとてアトが酷い目に遭わされるのも見たくない。


「…誤解があるようですね」


 アトを抱く手に力が入った。横から見るのとでは、圧迫感がまるで違う。


「危害を加えるつもりはありません。ただ、重要なものを持っているはずなのです」


 それらを使えば、手軽に未来を予測できるようになると。マナを激しく消耗する実験を繰り返す必要もない。アト本人にも興味がある。子供でありながら、研究所の誰より情報工学の才に秀でていたゆえ。


 最初の穏やかな笑みを浮かべて言う。


「渡してくださいな。何でもとは言いませんが、あなたの望みを叶えてさしあげます。矛を収めてはいただけないでしょうか」


「断る。あんたには渡せない」


 狂った母の友人。アトは目の前の女をそう呼んだ。


 一気に仕掛ける。短剣は囮。本命は熱の精霊を宿した右手。ニンゲンの冒険者を追い払ったときと同じだ。どちらがより脅威か、その錯誤を突く。


「フィーナちゃん。私を護って」


 セレスが破れなかった見えない壁。どのあたりに生じるのかは、先程の戦いで分かっている。マナを解けば素通りできるはずが、後ろから引っ張られるように弾かれた。


 靴を脱いで裸足になる。もう一度、これを外せば勝機はない。


(…今だ!)


 障壁に外套を叩きつけて注意を引く。


 危険な賭けだったが、無事ルースアの懐へ。完全に敵の虚を突いた。予想外のことに反応できず、エアの動きを目で追うのみ。


「…え……!?」


 再びマナを熾し、短剣を繰り出そうとした。その前に撥ね飛ばされ、腰や腕の痛みに呻く。敵を中心に爆発的な風が吹いたのだ。


「…時間を稼いでくれた。感謝する」


 思い詰めた声がして、エアは俯せのまま顔を上げた。


 その表情は覚悟に満ちていた。ルースアを道連れにする――この世界にとって幻のエアは問題ない。だがアトはどうなる?巻き込まれて怪我をしなければよいのだが。


 何事か唱えると、その場にセレスの身体が崩れ落ちる。その隣に全く同じ姿形の幻が現れ、やはりエアが知らない言葉を叫ぶ。ルースアも矢継ぎ早に祝詞を唱えるが追いつかない。それどころか思いどおりの効果を発揮していないようだ。


「…何をしたのです……!」


 幻は消え、倒れた女も答えない。少しずつ揺れが激しくなる。今までにないマナの高まりを感じ、エアは無意識にアトの傍へ這い寄った。そしてしっかりと抱き締める。幼子を危険から護るように。


 全身の骨が軋むのも構わず、限界までマナを励起する。気絶してはならない。意識を失くせば、その瞬間アトは潰れてしまう。二人は木の葉のように宙を舞った。


(……あ………)


 離したつもりはなかった。華奢な肩や腕、柔らかい頬の感触をまだ憶えている。だが目を覚ましたとき、エアは森の中で独りだった。


 現実の光景か分からず戸惑う。だが間違いない、これは現実だ。凄まじい爆発の後で、あまりに脈絡がなさ過ぎる。見慣れた植生。苔を踏む感触。自然な明るさ。得体の知れないマナが熾り、弾き飛ばされて幻の外へ。途中で力尽きたのだろう。


 容赦ない事実が認識を迫る。


「アト?」


 探しながら彷徨い歩き。


「アト……?」


 元の場所へ戻ったことも、すぐには気づかなかった。

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