制御
「………………」
消えた。どれだけ柄を離さないように掴んでも意味などなかった。黒い機体へ巡らせた肉の膜と根を残して。刀身は跡形もなく消えた。慣れ親しんだ重量が空っぽになった。
「ド、して。お前がくたばる、必要が」
(あれが十三の紫の力です。同情することはありません。あなたは大切な、大切な相棒を殺さ――ッうるせェんだよ。オメエよォォォ)
バチンと。強い衝撃が頭部装甲の内側で一度弾けた。絶えず響いていたカノンの命令が、喧しい騒音のごとき声に上書きされていく。
(十三の紫なんて関係ねェんだよ。なああにがワタシのレイルだぁ? こいつはなぁ、オレに寄生された哀れな人間なんだよなァ……! んで、お前はコンマ何秒も呆然としてるつもりなんだ?)
呑み尽くすような非科学の力が通信を遮断した。荒々しい声が怒気を帯びて響く。制御の効かないはずの機体を動かすことができた。
(お前の身体は乗っ取ったぜェェ……? オレ様がなッ!)
カノンの命令によって意に反する力が赤い肉の根によって駆逐、統率されていく。
「レイル!!」
ソラは恐れることなく黒い手を握り締めた。青く腫れぼった小さな手が指を交える。引っ張る腕にも消えそうにない痣がくっきりと刻まれていた。
それでも彼女は強がった笑みで見上げ、痛みを押し殺すように歯を食い縛る。
「……なぜ。ここまで俺に構う。こんな、――機械に」
「まだ分からないの!? 盗み聞きしてたくせに!」
感情を隠すことなく声を荒らげたと同時、鈍く砲声が轟いた。砕け散る教会の壁。撃と砂塵が吹き込み瓦礫と金属片が無秩序に飛散する。
「ソラ、伏せろ」
視界を黒い外套が覆った。飛び散る破片と衝撃が一枚の布によって全て防がれる。襲撃者の乱入を理解しながらも、ソラは僅かに安堵していた。
……【肉の剣】が、助けてくれた。レイルを戻してくれた。
しがみつくと金属の冷たさと肉の根の脈動が入り混じる。そのままジッとしていたかった。
「あーあーぁ……もう僕らの教会が滅茶苦茶だ壊れるなぁ。ラインフォード商会? それともキミの知り合いかい? カノン様ぁ?」
エフィアとカノンが鍔競り合う。火花も金属音も発せられることはない。異界道具の刃に全てが吸い込まれていく。
「あなたに構っている暇はもうないんですよ」
斬撃を打ち流し、圧縮した熱でエフィアの身体を撃ち抜いた。だが、倒れない。致命傷を与えたがゆえに《十三の紫》としての力が彼を怪物へ作り替えていく。
こうしている間にも、新たな闖入者が教会内部にまで部隊を展開させていた。
攪乱のために放たれる有毒のスモークが空気を黄土に濁す。規則的に放たれる飛行ドローン。特異な音波、電磁波、デコイを放ちあらゆる情報を遮断する。
『認識エラー。装備者の生体反応を検知できません。プログラムを終了します』
真っ先に影響を受けたラビットサイトがソラの側頭部から離れ落ちる。レイルの視界にも確かな影響が出た。画面が数度点滅し、ノイズが絶えず走りピープ音が鳴り渡る。阻害される熱探知、電子機器探知機能。
それでも空間を切り裂く緋の斬撃と断続的に瞬く紺碧の光は視認できた。空間に干渉する二つの力の流れがレイルへと距離を詰める。
姿を現したのは燃えるような長い髪を靡かせる有角の少女と、狼の相貌を持つ荒々しい男。便利屋のミオフィルと喋る狼のヴェディルだった。
二人が異界道具を構えるよりも早く、黒い手で無造作に頭部を鷲掴む。頭蓋骨の境目に指を合わせそのまま脳漿を――。
「殺しちゃダメ! その二人は……平気。少なくとも今は」
ソラの言葉を受けて力を押し留めた。少女と狼頭を一瞥し、小さく会釈しながら両手を離した。
「……っ、今度こそ死ぬかと思った。【死神】レイル。着いて来て欲しい」
「少なくとも銀機から離れてえなら従えよ。黒機様よぉ……!」
今しかチャンスはなかった。ラインフォード商会の乱入によって悪化した視界。遮断された通信。カノンとエフィアは未だ交戦中。【肉の剣】のおかげで機体の制御も取り戻せている。
「ソラ、移動する。…………信じてくれるか? 俺を」
「今更聞くの? それ」
物怖じしない眼差しでレイルを見上げる。爆風と衝撃が紫銀の髪を靡かせていた。互いに見つめ合ったのはほんの一瞬で、すぐさまソラの腹部を抱え持つ。
ビクリと、少女の身体が僅かに跳ねた。気まずいようにソラはジッと睨んでいた。
(ギャハ! 怖ェだろうなぁ。そりゃあよお)
「こっちだ。黒機様ぁ……!」
ヴェディル達は身を屈め疾駆した。崩れ、折れた支柱を蹴り込んで、跳躍し、崩落した天井から戦線を離脱する。レイルは後を追った。肉の根が生み出す力が機体の限界を超えた加速と跳躍を生み出す。一跳びだった。
「白の十三番が――」
カノン・クロムウェルにとってレイルが制御から外れることは一番の誤算だった。すぐに追いつくことが出来そうにない。
エフィアを一度殺すことは容易いことだったが、《十三の紫》は絶命したときに怪物に成り果てる。
飄々とした澄まし顔は分厚い頭殻に覆われ、竜のごとき鱗が全身を覆う。瞳から開いた瞳が紫紺の炎を灯す。
「僕ともう少し遊ぼウじゃなイか。銀機さン?」
牙の切れ間から響く歪な声。怪物を片付けるには数分は必要だった。
片翼が破壊されたことによる出力低下の所為だろう。白の十三番以下の、たかだか大司教ごときに苦戦を強いられる。僅かな苛立ちから、流線形の頭部装甲が赤く明滅した。
「……嗚呼、悲しいものです。正しさというのはいつも理解の外にあります。この世界はまだ終わっていない……直せるというのに。異星、異界の存在を全て消し去ることさえできるというのに。ワタシ達、人間の力で」
「人間ンン……? ドコに。怪物が二匹、イるだけダとも」
銀機は片腕を怪物へ突き向けた。白の十三番が逃げた以上、加減する理由もなかった。展開される砲身。空間の制御によってエネルギーを限界まで圧縮、循環させ、一条の純銀を撃ち放つ。




