戦いは星々の狭間で14 ご機嫌な狼(後編)
環状銀河西域の空間に浮かぶミドガンド基地には夕暮れといった概念はない。それでも人々は未だ惑星上に生活の拠点を置いていた時代同様の生活周期に捕らわれ過ごしている。
休憩スペースの端に掲げられた時計の針は何時しか午後五時を差し少しもの寂しげな音楽が周囲に流れた。
「あ! もうこんな時間だ」
ティラーニャからゴムボールを受け取った多々良は少しだけ照明の落とされた休憩スペースを見回し呟いた。
突如与えられた休息日を多々良は昼に少量売店の味もいまいちな固形物を腹に入れただけで只ひたすらに仔犬と無心に戯れる事だけで過ごした。
その事に後悔はない、今日の休日は多々良にとってもいい気分転換となったのだ。
しかしもう日が暮れる。一日の終わりにはまだ時間があるにしても飼い主の許可も得ず目の前の仔犬を長時間連れ回してしまった。
多々良にとってもそれは非常に残念な事ではあるが彼女に遊びの終わりを告げた。
「もうティラーニャも帰ってきてる筈だね、無断でキミを連れてきた事も含めて謝らなきゃ。さぁ、今日はもうお仕舞い、ティラーニャの部屋に帰ろう?」
そう彼女の赤い体毛を優しげに撫でその小さな身体を抱き上げる。
「クゥン」
彼女が哀しげに鳴き声をあげる。
「そんな哀しい声で鳴かないで、僕ももっとキミと一緒に居たいよ。でもね、ティラーニャだって心配しているよ?だから、ね!?」
「おや、タタラじゃないか、どうだ? ティラーニャにはちゃんと謝る事は……って、その抱いているのは…………そうか、仲直り出来たようで何よりだ」
訓練が終了したのかデボラがボディスーツに上着を引っ掻けた姿で休憩スペースに現れた。後ろにはがっしりとした体躯の男性を連れている。
唯、その頭と尻にライカンスロープの特徴の耳と尻尾が生えていた。
「こうしてちゃんと顔を合わせるのは初めてだったな、紹介しよう、彼はウィルミン思想体からミューツが不在の間ミドガンド防衛基地に出向してくれていたガニガス・ガクートス中尉だ。帰国の前に是非ともタタラに挨拶をしたいと言うので連れてきた。
ガクートス殿、彼がクロサワ・タタラだ」
デボラの紹介にガニガスは一歩前に出るとウィルミン作法の敬礼をする。
「クロサワ殿、お初に……ではなかったな、会議室での騒動の際に居たのだが……まぁ君は覚えてはいないだろうから改めて。小官はウィルミン思想体所属ミドガンド派遣軍第108大隊を率いるガニガス・ガクートス、あの見事な機動を目にして以来こうして合いまみえる事を願っていた」
「ガニガス・ガクートス………あっ!」
多々良は気付いた。あの漂流時、そして演習でウィルミンのガルガンティスを率いていたのがこの目の前の男だと言うことを。
しかし思った印象と違う。理不尽に自分達を襲ってきたのだからもっと荒っぽい無頼を想像していたのだが彼は姿こそ厳めしいがどちらかと言えば実直な軍人然とした雰囲気を帯びていた。
多々良の戸惑いの理由に想像がついたのだろう、デボラがくすりと笑い助言する。
「タタラ、彼は上官の命令に従っただけだ。あの様な出会いでは印象もよくは無いだろうが決して彼自身が望んだ事ではないのを覚えてやっていてくれ」
「あ、はい、すみません、僕は黒沢多々良です。よろしくお願いしますガニガスさん」
「ああ、ところで気になったのだが君が抱えている少女は!?」
ガニガスは互いに挨拶を終えると多々良が抱いているティラーニャに視線を送った。
「少女!? ああ、この仔ですか? この仔はティラーニャって僕の友達のペットなんです。そう言えばティラーニャもガニガスさんと同じライカンスロープだそうですよ?」
「ペット? いや、そのティラーニャなる君の友人がライカンならばその仔こそがティラー…………がはっ!??」
突如デボラの制肘が文字通りガニガスの脇腹を抉る。
ガニガスは痛みに悶絶しその場に踞る。
「えっ!? デボラさん、どうしたんですか突然!?」
「いや、タタラ、気にするな、軍人たるもの突然の奇襲にも動揺してはいかんのだ。これはワタシとガニガス殿の訓練のようなもの、真の軍人にはよくある事さ」
「はぁ~ー、そうなんですか、軍人さんって大変なんですね」
「ぐ……がはっ、その様な話初めて耳にしたぞ大尉」
「そうだったかな? ガニガス殿、ティラーニャの件はご内密に、おそらくは多々良はこの仔犬がティラーニャ本人だと気が付いてはいまい。ティラーニャにしても知られたくは無い筈だ」
「そう……なのか!? いまいち要領は得んが承知した。彼女の件はクロサワ殿には黙っていよう。しかしひとつ訂正させてくれ、彼女は仔犬ではなく仔狼だ」
「………失礼、そうだったな。ところでタタラ、オマエはこれからどうするつもりだったのだ!? 見たところその仔犬は何やら哀しげであったが?」
「大尉、仔犬では………」
「はい、もう時間も時間ですしティラーニャの部屋に送ろうかと思っていたんですけど、なんかこの仔が離れたがらなくって……」
「そうか、生憎とティラーニャはワタシが少し用を頼んでしまっていてな、今日は部屋にも戻らん。そこでオマエに頼みたいのだが、そのティラ……仔犬を一晩中預かってやってはくれないか? 彼女も部屋にひとりでは寂しいだろうしな」
「え!? それは構いませんが……いいの?」
と、多々良は抱いた仔犬に問い掛ける。当の彼女はさも嬉しげに尻尾をぶんぶんと振り立てていた。
自室にティラーニャを連れ帰ると早速今日一日の疲れを取る為に多々良は浴槽にお湯を張り服を脱ぎ出した。
この浴槽、こちらの習慣にはないものだが鉄人が是非にと指令にねだったものである。
整備長を訪ね改築を依頼し出来上がった一人用の小さなユニットバス。更には多々良の自室を訪ねたミューツも欲しがり都合三つ、整備長は仕上げる事になった。
そんなにもよいものかと試しに鉄人の自室の風呂に浸かった整備長もこれにハマり現在この基地ではお湯に浸かる身体洗浄がブームであったりする。
ついには整備長と鉄人が何やら画策し展望室の一角を改装中、やがては満点の星を眺められる露天風呂が出来上がるであろう事は想像に難くない。
とまれ多々良はいつもの通り浴槽に向かおうとしたところ、部屋の片隅にぴょこんと尻尾をこちらに向けた仔犬の姿を発見した。
多々良は考える。思えば彼女もまた今日一日休憩スペースを駆け回り汚れているはずだ、ならばついでに洗ってしまおう。と。
「キミもお風呂でキレイになろうね」
裸体も露にそのまま彼女の元まで赴き何故か震える仔犬を抱き上げる。
「ワフッ、クワワワワッ!ワフゥン」
奇妙な鳴き声をあげる彼女に多々良はお湯が嫌なのかとあたりを付け。
「大丈夫だよ、こうやってしっかり抱えていてあげるからね」
とさらに抱き締めた腕に力を込めれば。
「クワッ! バッフ~ーーーーーン」
と悶絶してしまった。
「うわっ!? ちょ、そんなにお風呂嫌なの!?」
と問えば彼女は正気を(多少は)取り戻しぶるぶると首を横に振った。
「ならいいよね? シャンプーって犬用のとかってあるのかな? 僕が使ってるのじゃ駄目かな?」
などと呟きながら多々良は温めのお湯に肩までじっくりと身を浸したのであった。
それはティラーニャにとって至福と拷問、両方の時間であった。
真っ直ぐに目をやれば正面に多々良の細身だがしなやかな裸体。下に目をやれば悠然と水面下を巨大な蛇が泳いでいる。
ティラーニャは正面を見てはうっとりと目を細め、下を見ては恐ろしいかがちの姿に身をすくませた。
夕食は多々良の手料理であった。何故か多々良の兄、鉄人と先程の休憩スペースの主、おやびんが待ちかねた様に顔を揃えふたりと二匹の楽しい夕食は始まった。
「おっ! 夏野菜の肉巻きか! 美味そうだな」
「うん、今日はゲストも居るからこの仔でも食べられそうなものを作ってみたよ」
「ゲスト? うおっ! 犬か、ちっこいから気が付かなんだ、なんだ多々良、何処から拾ってきた?」
「拾ってきてなんかないよ、ティラーニャのペットの仔、デボラさんに今日ティラーニャは居ないから預かってくれって言われてさ」
「ふぅん、あの狼ムスメのかぁ、堅物そうな感じがしてたからペットを飼ってるとか女の子っぽくって意外だな」
「あんちゃんそれってティラーニャに失礼だよ。彼女はれっきとした女の子だってば。そりゃぁ真面目っぽいけど
それも含めて彼女の魅力じゃない!? むしろ可愛いと思ったよ?」
「お? 多々良はあーゆーケモノっ子が好みか! そうだなぁ、オメェみたいなのんびりしたヤツにはああいったぐいぐい引っ張ってくれるような娘がお似合いかもなぁ」
「そーゆー事を言ってるんじゃないんだってばっ! もういいよっ、あんちゃんには夕食はやんない! 肉巻きは仕事で来られなかったミュー姉ちゃんの差し入れにするから!」
「わっ、悪かったって、機嫌直せよ多々良ぁ、多々良きゅ~ーーん、たたたらっち」
「………………絶対あんちゃんには食べさせてやんないっ!」
「キュゥ~ーーーーーン」《可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い、好み好み好み好み好み好み好み、お似合いお似合いお似合いお似合いお似合いお似合いお似合いお似合い~ーーーーーーーーーッッ、うふ、フフフフフフフフフフフフフフフフ》
「ニ"ギャリュゥ~ーーールル!」《娘、惚けるのもよいがせっかくの料理が冷めてしまうぞ、我が家族の料理の腕は一級品だ、食さねば後々悔いが残ろうぞ?》
団欒の楽しい時間は瞬く間に過ぎていった。
そして就寝、布団に入った多々良を追うようにティラーニャはその隙間に潜り込んだ。
多々良は一瞬驚きの表情を浮かべるが次いでにっこりと目を細め彼女の小さな頭をゆっくりと撫で上げた。
「今日は疲れちゃったかな? でもキミのお陰で僕は楽しかったんだ、ありがとうね?」
「クゥン」
楽しかったのは彼女もだった。扉が開け放たれ目の前に彼が居た時は本当にどうしようかと焦ったが振り返ってみれば幸福に彩られた時間であった。
多々良の胸の内を聴かされたことも嬉しかったし、休憩スペースでも久々に童心に戻れた。浴室では驚き怯えもしたが自分の煩悩も満足出来た。夕食、家族に接する際の自然な多々良の言動は彼女に多々良の新しい魅力を発見させた。
そして一日は終わる。
惜しいとも思うがそんな惜しく思える毎日が幾度も重ねられる事こそが幸福なのだと彼女は気が付いた。
隣に目を移せば暗闇の中多々良はもう夢の狭間、ほんのりと微笑むその表情は彼女こそが引き出したのだと思うと胸が高鳴った。
ふと気が付く。何時しか彼女はライカンスロープ特有の『あの日』を終え人形を取り戻していた。
「あ、やだ、………裸」
獣形の際には毛皮を纏っていたが今は衣ひとつ帯びないまっさらの裸身、その様な姿で想う相手と褥を共にしている事にティラーニャは顔を真っ赤に染めた。
「う……ん」
ティラーニャがびくりと身動ぎしたせいか多々良が寝返りをうつ。横を向いていた身体は天井を仰ぎ口は半開きに規則正しい寝息を繰り返す。
「ふふ」
穏やかな寝顔にティラーニャは微笑んだ。焦り慌てた自分が馬鹿らしくなる程の平和な安らいだ表情。
「多々良、今日は本当にありがとう、難しいかも知れないけど私もう少し自分に正直になってみるわ」
そう告げそっと多々良の少しだけ開いた唇に自らの唇を押し付けた。
謝罪は告げない。楽しい時間の終わりに謝罪などといった負の要素は一片たりとも挟みたくは無かったからだ。
ティラーニャは多々良の眠りを邪魔しないよう慎重にベットを出ると脇にあった替えのシーツをその白く美しい裸体に巻く。
ドアを開ける直前にもう一度だけ振り返り想い人の熟睡を眺め彼女は部屋を出て行ったのであった。




