第七話 四国震撼
# 第七話:四国震撼
九州王国、そして防長二カ国の毛利家。西国の二大巨頭が結託したという報は、瀬戸内海を震わせ、対岸の四国全土へと瞬く間に波及した。
徳川家康はこの事態を看過できず、四国の大名たちに「九州・長州の逆賊どもを海上で阻め」と厳命を下した。伊予(愛媛)の藤堂高虎ら親徳川派の大名たちはすぐさま軍船を集結させ、瀬戸内海の海上封鎖を試みる。
しかし、黒田如水の知略は、ここでも家康の先手を打っていた。
「海の戦いは、船の数ではなく『波と風、そして銭』で決まる」
如水は、長崎貿易で得た莫大な富を惜しみなく投入し、ある強力な軍勢を味方に引き入れていた。かつて瀬戸内海を支配した村上水軍の流れを汲む「塩飽水軍」や「伊予水軍」の海賊衆である。徳川の厳しい海上統制に不満を募らせていた彼らは、如水が提示した巨額の金銀と「関所撤廃」の約束に狂喜し、ことごとく王国側へ寝返った。
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慶長十七年冬。瀬戸内海・今治沖。
徳川方の藤堂軍と、王国・毛利の連合水軍が激突した。
藤堂軍は数で勝っていたが、連合水軍の先頭に立つのは、長崎から回航された黒田の「南蛮式巨船(ガレオン船)」であった。厚い船体を覆う鉄板は徳川方の矢を悉く跳ね返し、船首に据えられた南蛮製のフランキ砲が轟音とともに火を噴く。藤堂方の軍船が次々と木端微塵に砕け散っていく。さらに、水路を熟知した海賊衆の小早川船(快速船)が縦横無尽に駆け回り、徳川の陣形を内側から切り裂いた。瀬戸内海の制海権は、わずか数日の戦いで完全に王国のものとなった。
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「瀬戸内の海は、我らが制した! 続け!」
如水の命を受け、四国上陸の指揮を執ったのは、毛利秀就と、九州から派遣された黒田の猛将・栗山四郎兵衛であった。
連合軍が伊予へ上陸すると、それを待っていたかのように、四国の地で息を潜めていた「豊臣の遺臣」や「不満分子」たちが一斉に動き出した。
かつて四国に覇を唱えながらも豊臣秀吉に敗れ、関ヶ原の後に改易(取り潰し)となっていた長宗我部盛親の旧臣たちが、土佐(高知)の各地で蜂起したのだ。
「豊臣秀頼公は生きておられる! 九州におわすぞ! 今こそ徳川の軛を脱し、長宗我部を再興するのだ!」
一領具足と呼ばれた土佐の屈強な半農半士の兵たちが、鍬を捨てて槍を取り、徳川方の山内家へと襲いかかった。阿波(徳島)や讃岐(香川)でも、小早川の旧臣や生駒家の内紛に乗じた国人衆が、王国の呼びかけに応じて次々と反旗を翻す。
四国は、まさに地鳴りを立てて揺れていた。徳川の支配体制は、内と外からの大津波によって、わずか一ヶ月足らずで崩壊を迎えたのである。
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讃岐の屋島から、遥か東の大坂・京の方角を見つめる栗山四郎兵衛の傍らに、いつの間にか、輿に乗った如水の姿があった。潮風に吹かれながら、如水は静かに頷いた。
「四郎兵衛、見よ。これで九州、中国、四国が一つに繋がった」
日ノ本の西半分が、完全に徳川の手から零れ落ちた瞬間であった。それはかつて豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた「西国大連合」の再現であり――いや、南蛮の富を得た分だけ、それ以上の脅威として江戸幕府へ牙を剥いていた。
「内府(家康)殿も、そろそろ腰を上げざるを得まい。……さあ、中央へ打って出るぞ。第二の関ヶ原の幕開けだ」
如水の双眸に、ついに天下の玉座がはっきりと映し出されていた。
江戸では老いた家康が怒髪天を突き、自ら三十万の大軍を率いて出陣する決意を固めつつあった。




