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第二十九話 水鏡の記憶


# 第三部 第九話:水鏡の記憶(英雄たちの宿命)


通州つうしゅうの平原は、赤黒い硝煙と、引き裂かれた悲鳴に包まれていた。


清国の最新鋭巨砲「紅夷砲こういほう」の容赦ない連続砲撃、そして近代化された八旗銃兵の弾幕の前に、豊臣国松と黒田忠之が率いる連合義勇軍は、かつてない壊滅的な打撃を受けていた。


「忠之殿、左翼が突破されました! このままでは完全に包囲されます!」


血にまみれた将校が叫ぶ。


「馬鹿な……! 我らが数年かけて築いた近代軍の優位が、これほど容易く覆されるとは……!」


黒田忠之は、怒りと焦燥から唇を噛み切り、鮮血を滴らせていた。


父・長政や祖父・官兵衛の戦いを見て育った忠之にとって、この敗北は受け入れがたい屈辱であった。完璧な「平和のシステム」を作ったと自負していた若き龍たちは、敵の「勝つための執念」の前に、脆くも踏みつぶされようとしていたのである。


「退くな! 黒田の意地を見せよ! 突撃だ!」


我を忘れて刀を抜き、自ら敵陣へ斬り込もうとする忠之の肩を、豊臣国松が強く掴んだ。


「忠之殿、落ち着かれよ! 祖父君である如水公の教えを忘れたか!」


国松の鋭い声が、忠之の耳を打った。


「『水は、障害にぶつかればその勢いを増し、器に応じて形を変える』。今の我らは、清国という巨大な岩に、真っ正面からぶつかって砕け散るだけの『硬い氷』になってしまっている! 岩を砕くのではない。一度引き、形を変えて、敵の足元をすくい上げるのだ!」


国松の言葉に、忠之はハッと息を呑んだ。脳裏に、かつて父・長政が語ってくれた、祖父・官兵衛の「水鉢の記憶」が鮮烈に蘇る。


力に力で対抗するのは、黒田の知略ではない。


「……すまぬ、国松公。我が未熟であった。全軍、これより『水の陣』を敷く! 北京の城壁まで戦術的退却を敢行せよ!」


連合軍は、前線の全砲座をあえて放棄し、北京の城内へと一斉に退却を開始した。


「勝ったぞ! 島国者どもが尻尾を巻いて逃げ出した!」


清国の宿将ドルゴンは、連合軍の退却を壊滅と誤認し、勝利を確信して十五万の大軍とともに北京城内へと怒濤のごとく押し寄せた。


しかし、これこそが国松と忠之、そして海の若き龍・鄭成功が仕掛けた「決死の罠」であった。


清国軍の先鋒が北京の城門をくぐり、紫禁城へと続く大通りを埋め尽くしたその時、城壁の各所に潜んでいた鄭成功の潜伏銃兵隊が一斉に姿を現した。


「ここが、お前たちの墓場だ。放て!」


ズガガガガガッ!!!


城壁の上、そして周囲の民家の窓から、無数の銃弾が清国軍の頭上へと降り注ぐ。広大な平原では無敵を誇る清国の騎馬も、障害物の多い城内(市街戦)では、ただの巨大な標的に過ぎなかった。


さらに、忠之の号令とともに、北京の地下に張り巡らされていた明国時代の「地下水路」の仕掛けが一斉に開放された。


ゴォォォォッ!!!


凄まじい濁流が、市街地の石畳を突き破って溢れ出し、清国軍の足元をすくい上げた。泥水に足を取られた軍馬は暴走し、清国が誇る重い紅夷砲は泥に深く沈み込んで完全に沈黙した。


陸の力を、水の力で無力化する。


若き龍たちは、文字通り「北京の街そのものを巨大な水鉢」と化し、清国軍をそのなかに溺れさせたのである。


「今だ! 反撃せよ!」


赤備えの甲冑を纏った国松と、黒田の精鋭を率いる忠之が、大和殿の前から一斉に突撃を敢行した。


「チェストォォォッ!!」


退路を断たれ、泥水の中で混乱する清国軍に対し、連合軍の白兵戦が炸裂する。忠之の豪快な剣撃が敵の将校を次々と叩き斬り、国松の振るう豊臣の槍がドルゴンの本陣へと迫る。


数日間に及ぶ凄惨な市街戦の末、十五万を誇った清国軍は半数以上の兵を失い、再び長城の北へと命からがら敗走していった。


寛永二年、冬。激戦の余韻が残る北京・紫禁城の天守。


勝利の勝鬨が響くなか、大坂から一本の早馬が到着した。それは、博多の地で静養していた最高海軍提督・黒田長政が、息を引き取ったという悲報であった。


長政は最期に、一枚の書状を忠之へと遺していた。


そこには、掠れるような文字でこう書かれていた。


――「忠之よ、国松公よ。お前たちが苦難を乗り越え、真の水の知略に目覚めたことを信じている。戦なき世とは、戦いを忘れることではない。変化し続ける世界を、自らも変化しながら導くことなり。アジアの未来を、託す」――


忠之は父の書状を胸に抱き、静かに涙を流した。しかし、その瞳には、もはや迷いはなかった。


旧世代の英雄たちは逝った。しかし、彼らが遺した「水鏡の覇王」の魂は、いま完全に新世代の若き龍たちへと受け継がれたのである。


(第9話・完)


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