第三十話 新しきアジアの黎明
# 第三部 第十話:新しきアジアの黎明(大団円)
北京城内における「水の陣」の激闘から、数年の月日が流れた。
寛永五年(一六二八年)。国力を限界まで注ぎ込んだ総力戦の末、日明連合軍の前に完全なる大敗を喫した清国(後金)は、もはや単独で南下する牙を失っていた。皇帝ホンタイジは力でアジアをねじ伏せることの限界を悟り、「アジア合議評議会」が提示した和平の席につくことをついに受諾したのである。
新しき時代の調印式は、かつて数多の激戦の舞台となり、今は平和な交易の中継地として目覚ましい発展を遂げた朝鮮半島・釜山城にて執り行われた。
釜山城、大広間。中央に置かれた巨大な円卓を囲むように、東アジアの運命を握る諸将が席を並べていた。
日ノ本からは、亡き長政の遺志を継ぎ、名実ともに最高海軍提督となった黒田忠之、そして豊臣家を代表する豊臣国松。明国からは唐王・朱聿鍵と、海の英雄・鄭成功。朝鮮王朝の若き高官たち。そして円卓の対面には、満洲族の誇りを胸に秘めながらも静かに筆を握る、清国の全権使節・ドルゴンの姿があった。
旧来の歴史であれば、勝者が敗者を徹底的に蹂躙し、新たな怨恨の火種を植え付けるのが常であった。しかし国松が皆の前に広げたのは、領土の割譲を求める地図ではなく、一本の「法」の書状であった。
「我が祖父・黒田如水は、かつて水鉢のなかに『戦なき新世界』を見据えました。力で他国を従えれば、必ず次の戦が生まれる。なれば、これより我らは武力ではなく、ルールによって富を分かつのです」
国松の厳かな宣言とともに、東アジア初の国際共同条約――**『釜山万国公法』**が締結された。
漢民族の「明」は南部を中心とした独自の自治を行い、北方の「清」は満洲およびモンゴルを治める対等な国家として評議会に参入する。そして朝鮮半島と日ノ本、さらには鄭成功が拓いた台湾や東南アジアにいたるまで、すべての国々が独自の主権を認め合いながら、一つの巨大な「東アジア経済共同体」を形成する――。
かつて官兵衛が播磨の地で夢想し、長政が世界の海へ漕ぎ出すことで土台を作った「合議の世」が、大陸の民族の壁をも超えて、ここに完成した瞬間であった。
ドルゴンは署名を終えると、黒田忠之を見つめ、静かに口を開いた。
「黒田の若き覇王よ。我らは陸の上で貴殿らに敗れたのではない。その『水の如き変化の知略』に敗れたのだ。……見事なり」
「いや。これからは、貴殿らの八旗の力もまた、アジアを西洋の侵略から守る強固な盾となる。共に新しき海を渡ろう、ドルゴン殿」
忠之は不敵に笑い、清国の宿将と固い握手を交わした。
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数年後。日ノ本、博多の港。
夕暮れ時、瀬戸内海へと続く美しい博多湾の水平線には、蒸気機関の雛形とも言える最新の推進装置を備えた、黒田の超大型大朱印船「如水丸・二世」が堂々と錨を下ろしていた。
波打ち際に立つ黒田忠之は、懐から祖父・官兵衛が愛用していた小さな水鉢を取り出し、そっと海水を汲み上げた。水鉢の水面には、赤く染まる空と、異国の巨船が行き交う活気ある港の情景が美しく映り込んでいる。
「お祖父様、父上……」
忠之は優しく微笑み、水面を指でなぞった。
「見ていらっしゃいますか。日ノ本は島国の檻を完全に飛び越え、アジア全体を優しく包み込む大樹となりました。もう、飢えや領土のために武士たちが命を散らす、あの陰惨な戦国はどこにもありません」
風が吹き抜け、水面が細かく波立つ。まるで亡き二人の英雄が「よくぞ繋いだ」と忠之の肩を優しく叩いているかのように、暖かい夕日がその顔を照らし出した。
「忠之殿!」
振り返ると、豊臣国松と鄭成功が笑顔でこちらに歩いてくる。その手には、南蛮から届いた極上の葡萄酒と、新しき世界を巡るための航海図が握られていた。
「さあ、提督! 新しき時代の、さらなる大航海への旅立ちです。次は遥かなる大西洋、そして新大陸の民が我らを待っていますぞ!」
「ふっ、分かった。今行く」
忠之は水鉢を大切に懐へと収め、二人の盟友のもとへと歩み出した。その足取りは、これから何百年と続いていくであろう東アジアの果てしない繁栄への道のりを、しっかりと踏みしめていた。
博多の天守、そして船団のメインマストに掲げられた「藤巴」と「五七の桐」の旗が、世界の海から吹き付ける新しい黎明の風を受けて、どこまでも高く、誇らしげに翻っている。
鎖国なき日ノ本。水平線の向こうに広がる無限の新世界へと、日本の船団は今日もまた、白帆をいっぱいに張って漕ぎ出していくのだった。
(第三部・完)




