表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
約束の声  作者: ナオ
PR
5/11

5話 同じ場所

 結局、みゆうは紗奈への返事をすぐには打てなかった。

 

 スマホを持ったまま、画面を見つめる。

 

 今日ひま。

 午後ちょっと出れる。

 

 いつもの紗奈らしい、軽い言い方だった。

 深い意味なんてないのかもしれない。

 

 ただ時間ができたから、なんとなく誘っただけ。

 でも今のみゆうには、その“なんとなく”がうまく受け取れない。

 

 昨日までなら普通に……

 

 行ける、今日は無理、とか返せたはずなのに。

 

 今は返事ひとつ決めるのにも、妙に時間がかかる。

 

 見沼へ行かなきゃ。

 そう思う自分がいる。

 

 でも、それを優先する理由を紗奈に説明できるわけもない。

 

 みゆうは短く打った。

 

「ごめん、今日は家のことある」

 

 送ってから、すぐに後悔した。

 

 ……また嘘だ。

 

 別に今日は何もない。

 母は仕事だし、ともきと、こはるは部活にバイトだし、はるかだって今のところ家にいる。

 

 ほんとは、見沼へ行く。

 

 ただそれだけだ。

 

 スマホがすぐ震えた。

 

「そっか、了解」

「また今度」

 

 みゆうはその二行を見て、小さく息を吐いた。

 ほっとしたような、少しだけ胸のあたりが痛いような、変な感じだった。

 

 また今度。

 その言葉が、やえの声の奥にあった

 

 またここで会おう

 

 とどこかで重なる。

 みゆうはスマホを伏せた。

 行かなきゃ、と思う。

 それでもしばらく、すぐには立ち上がれなかった。

 

 午後の見沼たんぼは、昨日の夕方とは少し違って見えた。

 

 空が高い。

 風がある。

 畑の土は昼の光を受けて、乾いた色をしている。

 住宅地から少し離れただけなのに、視界がひらけて、空の広さだけで別の場所みたいだった。

 

 みゆうは昨日と同じように、用水路沿いの細い道を歩いた。

 

 制服じゃなく、家からそのまま出てきた私服だ。

 なのに、足元だけは昨日の続きみたいに落ち着かない。

 

 ポケットの中には、かんざしの欠片が入っている。

 

 入れてこない方が怖かった。

 途中で何度か立ち止まった。

 本当にここでいいのか。

 昨日見た祠の場所まで、ちゃんとたどりつけるのか。

 

 でも歩いているうちに、見覚えのある畝の曲がり方や、水路の光り方が少しずつ昨日の記憶と重なってくる。

 

 そこだ!と思った。

 

 小さな石の祠。

 

 草に半分埋もれたみたいに立っている。

 

 昨日と変わらないはずなのに、その前まで来ると、空気が少しだけ重くなる。

 

 みゆうは立ち止まった。

 風が吹く。

 でも昨日みたいに、すぐ景色が変わるわけじゃない。

 

「……やえ」

 

 口に出してみる。

 返事はない。

 畑の向こうで鳥が鳴く。

 

 それだけだ。

 

 少しだけ馬鹿みたいだと思った。

 誰もいない場所で、知らない子の名前を呼んでいる自分が、急に現実に戻ってきたみたいで恥ずかしくなる。

 

 でも、次の瞬間だった。

 

「遅い」

 

 すぐ横で声がした。

 みゆうは息を呑んで振り向く。

 

 ……誰もいない。

 

 いや、いなかったはずなのに。

 瞬きをした次の瞬間、祠の向こう側にやえが立っていた。

 

 昨日と同じ着物。

 でも今日は、白っぽく透けた影じゃない。

 もっとはっきりしている。

 髪は長く、後ろで少し雑にまとめられていて、その髪にかんざしが差してある。

 

 先が欠けている。

 薄桃色の玉が、みゆうのポケットの中の欠片と同じように光っていた。

 

「……ほんとにいた」

 

 思わずそう言うと、やえは少しだけ眉をひそめた。

 

「昨日もいた」

 

「昨日は、なんか急に消えたし」

 

「そっちが勝手に戻ったんでしょ?」

 

「戻ったって何」

 

「何って、そのまま」

 

 言い方が雑だ。

 でもその乱暴さが逆に、作り物っぽくない。

 やえは本当にそこにいる。

 

 みゆうは少しだけ息を整えた。

 

「なんで呼んだの」

 

「昨日も言った」

 

「聞いたけど、ちゃんとはわかんない」

 

 やえは一度だけ視線を外した。

 昨日みたいに強いままじゃない。

 少しだけ考えている顔をする。

 

「……宗助に、届けたいから」

 

「何を?」

 

「言えなかったこと」

 

 みゆうは黙った。

 その答えは、なんとなく予想していた気もする。

 

 でも、やえの口から出ると急に重みが変わる。

 

「それ、自分で言えばよかったじゃん」

 

 みゆうがそう言うと、やえはすぐにこっちを見た。

 

「言えるなら言ってる」

 

 その返しがあまりにも速くて、みゆうは一瞬詰まる。

 

 その言い方は、ちょっとだけ自分に似ていた。

 でもやえは、自分と違う。

 

 みゆうならそういうとき、もっと曖昧にごまかす。

 

 やえはちゃんと刺すみたいに言う。

 それなのに、言えなかったんだ。

 

「……宗助って、そんなに大事な人なの?」

 

 みゆうは慎重に聞いた。

 やえはすぐには答えなかった。

 

 風が吹いて、草の先がざわざわ鳴る。

 

 その音の中で、やえは少しだけ顎を上げた。

 

「大事だった」

 

 過去形だ。

 みゆうはそれが妙に胸に引っかかった。

 

「……だった、って」

 

「……だって、もう」

 

 やえはそこまで言って、口を閉じた。

 その先を自分で切ったみたいに。

 

 みゆうは少しだけ苛立つ。

 

「そういう途中でやめるのやめて」

 

「何」

 

「わかんないから」

 

「全部いっぺんには無理」

 

「なんで」

 

「……あんたがまだちゃんと聞ける顔してないから」

 

「は?」

 

 腹が立って、みゆうは思わず一歩前に出た。

 

「意味わかんないし!」

 

「そのまんま!」

 

「昨日からそればっか」

 

「だってほんとだもん」

 

 やえは少しも引かない。

 目もそらさない。

 

 たぶん、宗助にもこうやって言っていたんだろうと思う。

 

 みゆうはそのまっすぐさに、むかつくのに少しだけ羨ましくもなる。

 

「じゃあ何なら話せるの」

 

 やえは少し黙った。

 それから、祠の脇にしゃがみこむ。

 

「宗助のこと」

 

「だからそれを聞いてる」

 

「全部じゃない」

 

「……少しだけってこと?」

 

「そう」

 

 やえは指先で、祠の足元の土を軽くなぞった。

 そこに昔からそうしてきたみたいに自然な手つきだった。

 

「宗助は、宿場の茶屋で働いてる」

 

「知ってる」

 

「何で!」

 

「見たから」

 

 やえが顔を上げる。

 ほんの少しだけ驚いたみたいだった。

 

「いつ?」

 

「昨日たぶん、あんたの見てたやつ」

 

 やえの目が細くなる。

 疑っているのか、確かめているのかよくわからない目だ。

 

「……何見たの」

 

「茶屋の前で、あんたが宗助に怒ってた」

 

「怒ってない」

 

「怒ってた」

 

「……ちがう」

 

「怒ってたし」

 

「……少しだけ」


 

 みゆうは思わず小さく笑いそうになった。

 やえはそれを見て、少しむっとした顔をする。

 

「何!」

 

「別に」

 

「その顔やめて」

 

「いや、あんたも普通にそういう言い方するんだなって」

 

「何それ!」

 

 言ってから、少しだけ空気がゆるむ。

 

 昨日より話している。

 昨日より、やえがちゃんと“人”に見える。

 ただの声じゃない。

 過去の少女でもあるけど、それ以上に、ちゃんと同じ年頃の女の子だ。

 

「それで?」

 

 みゆうが言う。

 

「何で宗助に怒ってたの」

 

 やえはまた口を閉じた。

 でも今度は完全に拒む感じじゃない。

 

「……すぐ、平気みたいな顔するから」

 

「宗助が?」

 

「そう」

 

「実際平気なんじゃないの」

 

「違う」

 

 その否定は強かった。

 やえは少しだけ下を向く。

 

「ほんとは違うのに、何でもないみたいにする」

 

 みゆうは何も言わなかった。

 その言い方が、少しだけ胸に刺さったからだ。

 

 紗奈は違う。

 紗奈は何でもないみたいにしているんじゃなくて、たぶんちゃんと前を向いている。

 

 でもみゆうは、自分がそうできない時ほど、相手の平気そうな顔ばかり見てしまう。

 

 やえの言い分は、みゆうが思っていたものとは少し違うのに、どこかで似ていた。

 

「宗助はさ」

 

 やえが続ける。

 

「自分のことなのに、すぐ後にする」

 

 みゆうはぎくりとした。

 それはまるで、はるかが自分に言ったことみたいだった。

 

 言いたいこと飲み込んできた顔。

 自分のことを後にする。

 違う時代の話のはずなのに、変なふうに重なる。

 

「奉公に出るのも、たぶんそう」

 

「……奉公」

 

 やえは小さく頷いた。


「奉公ってなに?」


「えっ?……知らないの?」


「聞いた事も無いけど」


「んー…離れた役所に住み込みで働きに行くって感じ」


「ふーん」

 

「まだちゃんと決まったわけじゃない」

「でも、奉公に出るの」

 

「うん」

 

 風が吹く。

 やえの髪に差したかんざしが揺れる。

 みゆうのポケットの中の欠片が、少しだけ熱を持つ。

 

「だから昨日、見沼に呼んだ」

 

「何でここなの」

 

 やえは少しだけ祠の向こうを見る。

 

 畑の広がる向こう側。

 風が通っていくひらけた土地。

 

「ここだと、ちゃんと話せるから」


「誰と?」

 

「宗助と」

 

 みゆうはゆっくり息を吐いた。

 だんだんわかってくる。

 

 やえにとってこの場所は、ただの風景じゃない。

 

 宗助と会う場所なんだ。

 

 誰にも聞かれずに、少しだけ本当のことを言える場所。

 

「……好きなんだ」

 

 口に出した瞬間、やえがこっちを見る。

 強い目だった。

 

 でも、怒ってはいなかった。

 

「何?」

 

「いや、そうなのかなって」

 

 やえはしばらく黙っていた。

 それから、ほんの少しだけ目を逸らす。

 

「そういうの、勝手に言わないで」

 

「違うの?」

 

「違わないけど」

 

 あまりにも正直で、みゆうは言葉が詰まった。

 やえは頬を少しだけしかめる。

 

「でも、それを宗助に言うつもりはない」

 

「何で?」

 

「言ったら、あいつ困るから」

 

 みゆうは、すぐには返せなかった。

 それは自分が紗奈にしていることと、少し似ている気がした。

 

 言ったら困らせる。

 だから言えない。

 やえみたいにまっすぐな子でも、そういうふうに思うんだ。

 

「でも、届けたいんでしょ」

 

「……だから困ってるの」

 

 その声だけ、少し弱かった。

 やえは祠の石に手を置く。

 

「行かないでって言ったら、あいつはきっと困る」

 

「うん」

 

「でも何も言わないで行かれるのも嫌」

 

「……うん」

 

「だから、何て言えばいいかわかんない」

 

 その言葉を聞いた瞬間、みゆうの胸の奥で何かが静かに沈んだ。

 

 同じだと思った。

 全部じゃない。

 相手も状況も違う。

 

 でも……その……

 

「何て言えばいいかわかんない」

 

 だけは、すごくよくわかった。

 風が、二人のあいだを抜ける。

 

 やえは少しだけ顔を上げた。

 

「だから、あんたが聞いて」

 

「……え?」

 

「私が言えなかったとき、ちゃんと聞いてて」

 

 みゆうは目を瞬いた。

 それは昨日より、ずっとはっきりした頼みだった。

 

「……なんで私」

 

「見えたから」

 

「それだけ?」

 

「それだけで充分」

 

「勝手すぎる!」

 

「知ってる!」

 

 やえはそう言って、初めて少しだけ笑った。

 ほんの一瞬だった。

 強がってるみたいな、小さな笑いだったけど、確かに笑った。

 

 その顔を見たとき、みゆうは少しだけ思った。

 この子、ちゃんと同い年なんだ。

 自分と同じように、変わっていくものが怖くて、でも全部は言えなくて、それでも前に立とうとしてる。

 

 そう思った瞬間、遠くから誰かの足音がした。

 やえの顔が変わる。

 

「……来た」

 

「え」

 

 みゆうが振り返るより先に、景色が少しだけ揺れた。

 

 畑の向こう。

 今の風景の上に、もうひとつの時間が薄く重なる。

 

 夕方の光。

 土の道。

 歩いてくる少年の影。

 宗助だと、みゆうはもうわかった。

 

 やえが立ち上がる。

 

 その横顔は、さっきまでより少しだけ固かった。

 

「ねえ?」

 

 みゆうは思わず言った。

 

「今日、ちゃんと言うの?」

 

 やえは答えなかった。

 ただ前を向いたまま、小さく息を吐く。

 

「……言えたらね」

 

 その声が落ちた瞬間、風が強く吹く。

 

 みゆうは思わず目を閉じた。

 開いたときには、見沼の午後だけが残っていた。

 

 祠も、畑も、用水路もそのまま。

 でもやえの姿だけが消えている。

 みゆうは立ち尽くしたまま、ポケットの中のかんざしの欠片を握った。

 

 少しだけ、震えている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ