第19話 拍を合わせて、今日を置く
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「――慰霊碑、ですの?」
雁の宿の机にひろげた図面の端に、藍のリボンを指で押さえながら問い返すと、ニナが短く頷きました。いつもの、余計な言葉を削ぎ落としたような頷きです。
父が付けてくれた四人の護衛のひとり――弓兵ニナ。西の森に生まれたエルフで、長耳を髪の奥に忍ばせるのは癖というより矜持かもしれません。
正装としてのレオタードアーマーは、白銀の糸と金具で縁取られた儀礼用。人間社会では視線を集めすぎるため、腰には黒布を斜めに巻き、スカートのように見せているものの、それも仮の姿。鎧の下に隠れる紋様や、決して脱がない前提の縫製が、彼女の出自を黙して語ります。
街の外れで変化の兆しを見抜き、各地の協力者からの報せを拾い集め、噂になる前に段取りへと繋げてゆく役目です。
「城外は風が三筋に乱れ、鳥は輪を解き、野犬の声が重なっています。一つひとつは珍しくありませんが、ここは供養地ですから、このままだとすぐ『亡霊だ』という噂になります」
「亡霊はもう、おりませんわ。亡くなられた方々は供養により還られましたわ」
「はい、セレフィーナ様。ただ、頭で分かっても、心では消化しきれません。揺れているのは――生き残った側の心です。ですから『供養は済んだ』と否定するだけでは鎮まりません。想いを預ける場が要ります」
わたくしは小さく息をつき、頷きました。
「噂を消すのではなく、噂になる前に“置く”輪を据えるのですね。よろしいですわ。進めましょう。教団の後見は?」
「得ています。開会の挨拶は手短に。教主様は『言葉より行い』を旨とされますので、太鼓の一打を合図に開式されるおつもりです。」
「でしたら、名は慰霊祭のままで――館づくりと同じように、皆で手を携え、顔を合わせる場として、息長く重ねてまいりましょう。これまで南部で暮らしてきた方も、これからこの地に根を下ろす方も、同じ輪に。ここで何が起きたのかを確かめ、今日を静かに重ねていけば、輪はおのずと縁へと結ばれますわ。」
机の向こうでラウレン殿が控えめに頷き、日取りの余白を指でとん、と叩きました。段取りの拍がひとつ、部屋に落ちました。
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――太鼓が、一度だけ鳴りました。
胸の奥まで、ころん、と落ちてくるような低さで。
その一打が合図。言葉はいらないのですって――教主様のやり方、好きですわ。
*
広場には、香の薄い煙と炒り麦の匂い。
低い石環の中心に鈴の輪。そこへ、白い布がひとすじ。
南からは港の若衆、北からは供養地へ移り住もうとしている方々、そしてかつて魔王軍であった兵士の方々――皆さま、今日は肩を並べておいでです。
「姐さん!」
「おはようございます! 良く晴れてよかった!」
胸元の藍の小さなリボンが、呼びかけのたびにかすかに揺れました。わたくしは笑って手を上げます。
視線の端で、ラウレン殿が人の流れを結び、ボルク殿は盾の縁をこん、と一度。列が自然にふくらんでは戻り、広場の呼吸が整っていきました。ニナは屋根の影、鳥と風を測って目を細めています。マリーニャはわたくしの背で、髪飾りをそっと直しました。
隣で書付をさばいていたロジオンの手が、一拍だけ止まりました。
視線が横顔に滑ってきて、頬にやわらかく触れた気がします。わたくしが目だけで微笑むと、彼は紙を持ち替えて小さく咳払い。
「失礼……見惚れていました」
「また、ですのね?」
彼は目だけで小さく白状しました。そういうところ、好きです。
太鼓の一打のあと、石環の前に教主様が立たれました。
開きの言葉は短く――というより、ほとんどありません。掌を胸に当て、ひと呼吸。
それで十分に伝わるのです。「行いで示す」ということが。
*
奉納はつぎつぎに。
まずは弓の遠鈴。
鈴の輪が風の上でかすかに揺れて、矢がふれるたび、涼しい鈴気が遠雨のようにほどけます。
弓弦のかすかな震えが耳に触れ、視界の矢が細い線にほどけていく。少し遅れて、遠鈴がちりりと鳴り――胸の奥がすっと澄みました。
歓声よりも先に、静けさが広がる――良い音のする静けさでした。
つぎは型の奉納。
僧兵と旧魔王軍の兵が、互いの「型」を交換して舞う。
剣先は誰も傷つけない軌跡を描き、足は砂に拍を刻む。
「間」をひとつ置くたびに、広場がひとつ呼吸を覚えていくのが分かります。
材担ぎは笑いが多め。
若衆が丸太を肩に、足並みを合わせて運ぶ。
「重いのは命令で軽くならない。拍で軽くなる」――ボルク殿の低い指示で、拍がそろって、丸太がふっと軽くなる瞬間。見ているこちらの肩まで、すっと軽くなりました。
(家って、こうやって立つのですわね)
胸の中の小鳥がぱたぱたします。わたくしたちの家も――もうすぐ。
子どもたちは鈴結び。
石環の鈴に、色とりどりの細い布を結んでいく。
わたくしも一人の少女の手を包むように持って、結び目を作りました。
きゅ。
「上手にできましたわ」
「うん!」
小さな「うん」が、今日でいちばん大きな祝福に聞こえました。
そして――教主様の「気付けの一打」。希望者のみ、並びます。
僧兵の方が一歩進み、短く告げました。
「これより、教主様の“気付けの一打”。無病息災を願う方、どうぞ」
太鼓が、小さく一度。
その拍に合わせて――どっと人波が前へ。
「俺から!」「あたし先!」と声が重なり、手拭いで頬をぬぐう者、前髪を整える者、肩をぽんと叩き合う者。列はみるみる伸びていきます。
「お願いします!」
ぱん。
頬に澄んだ音。叩かれた当人は、一瞬目を白くしてから、次の瞬間「ありがとうございました!!」と、まっすぐ笑う。
この一撃は無病息災の“気付け”とも言われているのですけれど……
(痛そう……でも、気持ちが前を向く音)
隣でマリーニャが囁きます。
「――御希望でしたら止めませんが、化粧直しは必要になりますわよ」
「……きょうは鈴結びで十分にいたしますわ」
「賢明でいらっしゃいます」
*
合間に、バルドさんが大きな桶を掲げました。
「蜂蜜レモンだよー! 姐さん、兄貴、まずは一口!」
「ありがとうございます」
紙盃を受け取ると、ロジオンの指先がわたくしの指に触れて、きゅ。
「……危険です」
「え?」
「距離が」
「まあ」
言いながら、自分から半歩近づいてしまうのが、恋という病ですのね。治す気はありませんけれど。
教主様がこちらを一度だけ見やって、静かに頷かれました。
「言葉より行い。――姫さま、鈴を」
「はい」
石環に進み、わたくしは藍の細い布を蝶に結びました。
今日ここに置かれる思いが、明日には灯りになりますように――そんな願いを、布の結び目にそっと仕舞います。
振り向くより先に、ふわりと抱き寄せられました。重さでも力でもない、風と同じ加減で。
「……あなたが結ぶと、場が静かに締まります」
「効き薬のように仰らないでくださいませ」
「何度でも、見ていたくなります」
「もう」
頬が熱くなって、逃げ道の代わりに、彼の胸元の衣の皺をそっと直しました。
(式の日まで、ちゃんと保たせなくては――ドレスの針が笑いますわ)
そう思ったところで、二の腕がきゅっと引き締まっていることに気づき、内緒でひとつ、誇らしく。
最後の奉納は、やわらかな勝負。
弓の遠鈴は拍手の多さでよし、型は揃いの美しさでよし、材担ぎは笑顔の数でよし。
勝ち負けではなく、見る側の胸が温かくなるほど良し――そんな取り決め。
「姐さん、型の締め、お願いできますか!」
「喜んで」
ロジオンと向かい合い、短い合わせ。
一合目、かん。
二合目、間を置いて、砂が静かに鳴る。
三合目――受け流しと踏み込みを、見せるだけ。止めるだけ。
終わった瞬間、広場の拍がひとつになって、どん、と地面の下で鳴りました。
「お見事」
ロジオンが目だけで言って、わたくしも目だけで返します。
(――今夜、図面の余白に“音”を書きましょう。今日の音を)
「はい。あなたの紅茶の湯の音といっしょに」
自分の声が少しだけ小さくなって、背でマリーニャがくすり。
「はいはい、視察の続きは書き物机でございますね」
夕刻、太鼓がもう一度だけ、一打。
教主様が掌を胸に当て、ひと呼吸。
それで祭は、ひと区切り。
振り返れば、鈴の輪には布がいくつも揺れ、石環の前には小さな灯りが三つ。
今日の想いは、ちゃんと置かれ、明日の灯りになり始めている――そう感じました。
ロジオンが、わたくしの手を探して、指先だけを合わせます。きゅ。
同じ強さが返って、きゅ。
わたくしの胸の小鳥が、ぱたぱた。
――慰霊祭。その名はそのままに。
けれど今日のこの場は、たしかに「いっしょに未来を編む」輪でしたわ。
そして……編む手が隣にあるという事実が、いちばんの祝福。
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あとがき。
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次話は明日19:10頃に投稿致します。ぜひご覧下さい。
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