第18話 光の姫、砂にて舞う
・↓の★★★★★評価
・ブックマーク
で応援いただければ幸いです!
朝の鏡は、時に友であり、時に告発者でもあります。
窓からの斜めの光が銀の縁に沿って滑り、鏡面はひんやりと指先をはね返しました。
袖を少しあげて――二の腕をつまむ。しっとりとして、柔らかな感触。
(……きっと気のせいですわ。気のせいという名の、ややふくよかな詩情)
すると背後でマリーニャが、開口一番、こう申しましたの。
彼女はわたくしの袖口のレースをきゅっと整え、目だけで微笑みます。
「『気のせい』は上品な言い訳でございますが、恐れながら少々、運動不足と存じます」
「ま、まだ何も申しておりませんわよ!」
「しかし、セレフィーナ様。南部に着いてからは机仕事が多うございます。外回りはたいてい殿方にお任せですから、これではお身体によろしゅうございませんわ」
「今はロジオンの仕事ぶりを南部の皆さまにご覧いただく時期でして、今後のためにも統治者としての経験を積んでいただく必要があるのですわ。それに、わたくしも視察でたくさん歩いて――」
「ええ、存じておりますとも。視察で歩いた分以上においしいものを召し上がった――と毎回ご本人からうかがっておりますので」
「とはいえ、セレフィーナ様。ロジオン様はどのようなセレフィーナ様でも愛してくださるでしょうが、ウェディングドレスのほうは針が容赦いたしません」
「で、では、どうすれば」
「朝の稽古に参加なさってはいかがでしょう。南部に来てから、魔法も剣もほとんどお使いになっておりません。ぽにん対策も兼ねて、お身体を動かすのがよろしゅうございましょう。アークレイン家の光は当代随一、剣も素人ではあられませんが――錆びさせてはもったいのうございます」
「ぽ、ぽにんなど、しておりませんわ」
わたくしは視察札の紐を首に回しました。札がちりと鳴り、朝の空気が背筋を冷やします。
*
*
*
訓練場の朝は、砂の匂いと、拍を刻む足音で始まります。
雁の宿の坂を下りたところで、最初の声が飛びました。
「おお、姐さんだ!」
「光の柱の姐さんだ! 魔法もすげぇが、剣もやるって聞いたぞ!」
胸元の視察札が「ちり」と鳴って、背筋が一段と伸びます。砂は夜露でまだ冷たく、列は三つ。旧魔王軍の残兵、僧兵、港の若衆――ばらばらの来歴が、いまは一本の拍でどん、どん、どん、どん。
その手前で、壁がすっと立ちました。
ボルク殿。父が付けてくれた四人の護衛のひとり、盾槍の達人。今朝の練兵の主任。
この方は命令でなく合図で場を回します。楯の縁がこんと一度鳴るだけで、百の踵が揃う。任務は兵の訓練――だけではありません。ばらばらの気質を一つの『動き』に編み直す、組織づくりこそ本懐。その実地としての練兵です。
「型から。歩測、素振り、足運び。見本は静かに、声は短く」
低い声が砂に吸い込まれて、全員の体に届く。石突が一度、こん。三つの列の踵が、同じ音で沈みました。
「おはようございます、セレフィーナ様」
砂の向こうからロジオン。いつもの落ち着いた声音で、目だけが訓練の目。
「本朝も基礎です。ご一緒にいかがですか」
「もちろんですわ。歩測、お願いできます?」
「四拍で十二歩、旗へ。呼吸は合わせて。風は味方に」
とん、とん、とん、とん。砂の上の自分の音が、遠くの列の音と重なって、胸の奥がほどけていきます。(二の腕、ちゃんと目を覚ましてくださいませね)――心の中でそっとお願いしてみました。
旗のあたりで、懐かしい横顔がこちらへ。
魔王国に人質になっていたとき、何度か姉さまたちと一緒にいた方。――あとで聞いたところ、南部残党のまとめ役をされていたようです。
その顔の皺に苦労がにじんでいました。
「……アークレインの姫さま、お久しゅうございます――いや、今は姐さんでございましたな」
深くうなずき、目尻だけで笑います。
「本日は見届け役にて。あのころの“間合い”を、皆に伝えとう存じます」
「二拍、下げ」
ボルクの短い合図で、場の呼吸が落ち着く。続けて素振り三十、足運び。僧兵の列に遅れが出ると、楯が半歩ぐっと出て、怒鳴り声の代わりに影で線を作る。こうして、場がひとつの背骨になっていきます。
身体が温まったところで、ボルクがこちらを見て、楯の縁で短く二度、こん、こん。
「ロジオン殿と共に、一手ご披露いただけますか。止めは私が掛けます。砂の線から出ず。顔は打たない」
つまり――ロジオンと二人で合わせを、ということ。わたくしも少しだけ、剣のほうでご挨拶を。
木剣を受け取ると、砂の向こうがざわめきました。
「おお、兄貴と打ち合うのか!」
「姐さんすげぇ……!」
ロジオンが一礼。わたくしも返します。距離は半間。呼吸を合わせ――
一合目。かん。木がきれいに鳴る。
二合目。あえて遅らせて、相手の芯を見る。
三合目。わたくしの右の木剣を、ロジオンが受け流しで軽く逸らす。踏み込み――来る。
ここで、わたくしは右の木剣を自ら手放す。
同時に、左の掌に光の小刀を、わざと目立つように咲かせてひゅと切りかかる。
どよめき。
――けれど、本命は見えない。右手の指先に、〈見えない〉光のレイピアを無音で延ばす。砂も風も驚かない、静かな一太刀。
ロジオンの目が、ふっと細くなりました。
見られた――そう気づくより先に、右手首がやさしく掴まれる。
引き込まれるように、体が回って――視界が空へ。
腰に、確かな支え。地面には落ちない。
踊りのディップみたいに、背が弧を描いて、右腕は伸びたまま、光の剣は空を切る。
「――止め」
ボルク殿の合図。楯の縁が小さくこん。
訓練場の空気が、一斉に息を吐きました。
「兄貴の勝ちだ!」「でも姐さん、見事だ……!」
支えられたまま、見上げたロジオンの横顔が、すこしだけ息を弾ませています。
「お見事です。左は囮で、右が本命――とても綺麗でした」
「……でも、読まれてしまいましたわ。せっかく"見えないのも光魔法"ということを皆様にお手本をお示ししようと思いましたのに」
「ええ。何度でも読ませてください」
小さく笑う。腰の支えが、そっと力を抜いて、正面へ立ち戻す。
二の腕は、熱く、そして――少しだけ、誇らしい。
老兵が、列のうしろから一歩進み出て、深く頭を下げました。
「お二人とも……やさしい手でございます。南部の手です」
その言葉が、砂よりも深く、わたくしの胸に沈みます。
ボルク殿が合図を重ねる。
「型に戻る。三つ、繰り返す。今の“間”は、歩測の中に落とす」
号令は簡単、でも効く。旧軍の兵も、僧も、港の若衆も、今見た“間合い”を、それぞれの身体へ写し取っていく。練兵は、合図を渡し合う稽古。ボルク殿の仕事は、今日も確かに進んでいました。
砂を払って立ち上がると、遠くからバルドさんの声。
「姐さん、蜂蜜レモンはこっちに! 兄貴も一口!」
「ありがとうございます。皆さまも、指先から冷やして――」
盃が回り、笑いがほどけ、拍が戻る。どん、どん、どん、どん。
(……二の腕。これなら、針もきっと許してくれますわよね)
そう心の中でそっと頷きながら、わたくしは木剣の柄をもう一度だけ握り直しました。
次の拍に、ちゃんと間に合うように。
―――――――――――
あとがき。
お読み頂きありがとうございました。
楽しかった、続きが少しでも気になる思われましたら★★★★★評価や作品ブックマークをどうぞよろしくお願いします!
次話は明日19:10頃に投稿致します。ぜひご覧下さい。
―――――――――――




