一章 四節 天使は静かに激怒する
それでも優は何と無く納得していないようだ。
「そうですね、実は私は宝具を使ったことはないんですよ。守護者は私の援護はしてくれましたけど直接命令入力をしたことはありません」
「そうなのか?」
優は装備していた守護者に問う。
「はい、直接命令入力された履歴はありません」
「俺のは自動でカットしてるんだっけか?」
優は前の出来事を思い出して呟く。
「イエス、私には自己保存定義がありますので瓦解されるような入力は無条件で安全な値まで解除します」
「お利巧さんだこと」
優が呟くと桃花が苦笑する。
「いまいちわかんねぇや」
優が伸びをすると桃花が立ち上がってブラックボードの前に立ち、ホワイトマーカーを片手に持った。
「こういうことです」
桃花が文字を書き込んでいく。
1、行使者は人間に対して危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって人間に危害を加えてはならない。
「これは…人間と行使者を明確に分類分けている項目ですね」
「んー?桃ちゃんは犯罪者とかを行使術式で攻撃したりしてるよな?」
優の疑問に桃花は鋭いです、とうなずく。
「そうですね。私は全ての危険に対してそれを看過して危害を加えてはならない。後者のほうを優先して行動したので…四日前の交戦でも行使術式を行使しました」
はっとして優がバツの悪そうな顔をする。桃花にとって嫌な思い出だろうから触れないようにしていたのにこれだ。自分の軽率さに嫌気が刺す。
「よくよく考えると酷い事だとは思いませんか?命を天秤にかけろというようなものなんですよ」
桃花はそう言うと次の文字を書いた。
2、行使者は人間に与えられた命令に従わなければならない。ただし、1に反する命令の場合はこの限りではない。
「あまり重要視されてないんですよね。一応規定としてはありますけど…要人暗殺とか出ますからね。この人間は自分の所属する部署の上位者に置き換えると、わかりやすいかもしれませんね」
桃花がさらりと言うのに優は言葉を失った。
暗殺、とかそういう単語が簡単に出てくる環境にいるのだとすれば、それは哀しい事ではないのだろうか…。
「要は…人間は殺したらまずいけど、行使者は別にこれに含まれないのですから、殺しちゃってもかまいませんってことです」
笑顔で言われて優は「あー」と呟く。
何かが壊れている…狂っている。そして自分は殺される側なのか、とぞっとする。
「三つ目です」
桃花が文字を書き入れる。
3、1と2に反することのない限り自らを守らなければならない。
「宝具もこれと同じ定義を入力されているので、自己保存の法則を優先して優くんの無茶な行使術式出力をカットするんです」
「無茶で悪かったなおい…」
優が項垂れると桃花が可笑しそうに笑った。
「世界行使術式機構(WPO)は世界全てに対して予め行使術式出力を抑制する封殺結界を行使しているんですけれども…それでもなお、あの出力を発揮するとなると大したものです。今回の暗殺命令はそれが仇になってますがねー」
桃花がブラックボードの文字を消す。
「出力のみで言うならば特A級だと思いますよ」
何の慰めにもなっていない言葉に優はそっぽを向く。
子供のような対応に桃花はため息を吐く。
「おーし、始めるか…」
秋雨が教室に入ってくるとどこか物憂げだった。桃花は優の隣に座る。
「優は昨日で学科が終わった。これから実技とかだが…。筆記テストは八十六点でぎりぎり」
「八十五点以上だっけ…?」
優が首を傾げると秋雨がうなずく。
「組み上げた行使術式理論のほうは恐らく行使可能だと日本魔法省(JPM)から返信が来た。が、あれは大量無差別殺戮兵器保有禁止条例の行使術式の一覧で禁止項目に入るぞ」
とんでもない行使術式を組み上げたものだ、と先ほど国からお叱りを受けた。それに対して秋雨は「アタシが汲んだわけじゃねぇぞ、くそったれ野郎」と罵倒したばかりだった。
「どんなものを組み上げたのか想像するのが怖いですね」
桃花が呟くと優がにやりと笑う。
「今日から実技だ。着いて来い」
秋雨が教室を出て桃花と優がそれに続く。
十七時を回っているのだから廊下も暗くなり灯宝具が廊下を照らしていた。
一般生徒立ち入り禁止の地下室に入ってドアを開けられるとだだっ広い空間が現れる。
「地下にこんな部屋があったのか」
優が呆然とすると桃花も驚いているのか周囲を見回している。
「壁面には強固な封殺結界が張られてるんだ。学園のシェルター兼訓練部屋だな」
秋雨はそう言うと左手にすっぽりと収まる程度の大きさの卵のような塊を取り出す。
「ウェアブルコンピュータ?」
「そうだよ」
秋雨が答えるとHUDディスプレイが表示されてキーボードのようになり、それをタッチする。
「空間設定は廃棄都市(旧東京)だ。それくらいの広さがあるからちょうどいい」
秋雨が実行のボタンを押すと空間にノイズが走ってぼろぼろのビルや道路、折れ曲がった看板や今にも崩れそうな高速道路だった残骸が表示される。
「私が殲滅強襲型行使者だとは説明したな?桃花が偵察型行使者だ」
「えっと、俺は攻撃型行使者だっけ?」
優に秋雨が頷くと秋雨は桃花を見た。
「桃花、優と接続してくれ」
「はい」
桃花は頷くと優の前に立つ。優は反射的に一歩、後ろに下がった。
バーガーショップの一連を思い出すとある意味、桃花は身近に置きたくない。
桃花がすたすたと近づくと同じ距離だけ優が後ろに下がる。
「…逃げないでください」
「体が勝手に…」
優が呟くと桃花がにっこりと笑う。
とて、と前に出てくる桃花、下がる優。秋雨はそんな二人の様子を見て首を傾げる。
自分を殺そうとしている奴に身をゆだねるほど馬鹿な神経は持ち合わせてない。
優はそう思うと桃花が困ったように微笑する。
「えい」
桃花の掛け声のような発声と同時に優の体が硬直した。
行使術式で完全に体を止められた…!
優が身動ぎするがほとんど動かない体。
「精神接続します。目を閉じて楽にしてください。自我防壁は私が管理しますから安心してくださいね?」
桃花が両腕を広げて優に近づいてくる。
「うわあああ!死ぬ!殺される!くそったれ!死んだら復讐してやる!覚えとけよ!」
優が喚くと桃花が目を細める。
「死んでどうやって復讐するんだい…」
秋雨が突っ込むが優はそれに返す余力はない。
すっと優の顔に桃花の両手が触れた。
「うるさい口ですね、塞いじゃいます」
桃花が目を閉じて優の顔に自分の顔を近づけて、二人の唇を重ねる。
「うぐっ!?」
優が驚くと桃花がすぐに顔を離した。
「おーし完了だ」
秋雨がにやにやと笑いながら優の鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのを眺めている。
「え?」
いまいち要領を得ない優。
女の子の匂い…久しぶりに近くで感じたな。
優がそんなことを呆然として考える。
「たぶん、リンスの香りじゃないでしょうか」
桃花が呟いて優は驚いた。思ったことが桃花に伝わっているではないか。
「優くん、雑念とかは表層で処理しないでください。私に流入しちゃいますから…」
「え?あ、接続…」
優はなんとなく理解した。精神情報網を使用した意思伝達の一種だ。
「限定的な接続を行いました。精神第一階表層における精神同調です。自我隔壁も制御しているので同一化することはありません」
桃花に言われて優は自分の体を見る。変化は何もない。
(わかります?)
桃花の声が直接聞こえた気がした。
(いちおう、わかる)
優が返信すると桃花が頷いた。
「できました」
桃花が秋雨に報告すると秋雨が頷く。そして怪訝な顔をした。
「桃花、優と桃花回線に上位上書き(オーバライド)したいんだが、暗号化水準を下げちゃくれないか?介入できん」
「あ、ごめんなさい。どうぞ」
桃花に秋雨が頷く。優は頭の中がすっきりしたような気がした。
「おし」
秋雨の言葉と同時にまた頭が熱を持つような気がする。桃花が暗号水準を上げたのだろう。
(優、桃花、聞こえるか?)
(はい)
「ういーす」
秋雨の言葉に優が口を動かす。
「優、相互確認したいんだ」
秋雨が困ったように言うと、優は苦笑した。
(さーせん)
「確認した」
秋雨が二人に精神情報網を介して直接情報を送り込んでくる。頭の中でそれを展開して優と桃花は目を細める。
「模擬戦闘を開始する。廃棄都市に潜入したテロリスト中隊を一掃する」
「多いですね、百二十名?」
桃花が不安そうな顔をする。下手をすると交戦時間が長くなるし、模擬戦闘なのだから相手の攻撃も当たれば痛い。
「抗議は受け付けない。ポイントは二つ。桃花に言うまでもないが…一般市民はできる限り無傷で例外はない」
「できる限りってことは…運が悪い奴は?」
「お前らに任せるよ」
秋雨が冗談とも本気とも取れないことを言う。
「私は隣の部屋にいる」
管制室に秋雨が去っていく。
「!」
優は瞬間的に桃花を抱えて、五階建てのビルの屋上まで跳躍する。先ほどまで優と桃花がいたところに乾いた音と同時に発砲されて銃弾が跳ね、地面が抉られていた。
「あぶね…」
優が呟くと向かいのビルからこちらに向かって銃口が向けられている。
「行使術式、反射」
桃花が抱えられたまま前面を保護する防壁を行使すると銃弾がそれに当たってはじけた。桃花が優の体の中からするりと抜ける。
「行使術式、射撃」
優は空いた右手をそちらに向けると射撃を放つ。桃花の反射は単一方向は反射するが別方向の行使術式や物理弾丸などは透過するらしい。反対側のビルの窓があったであろう場所からこちらを狙っていた人間が倒れる。
「目標の殲滅を確認」
守護者が優に伝える。
桃花はその人間であった何かを見てため息を吐く。
優の射撃によって上半身が吹き飛び、それはすでに人の姿をしていなかった。
「あなたのやり方に文句は言いませんが…」
「ん?」
優は首を傾げる。
「殲滅対象だろ?」
「人間ですよ?」
「…殲滅対象だろ…」
何をそんなに怒っているか理解できずに優はため息を吐く。
「殺さなきゃ殺されるんだろ?」
(おーい、喋るのは後にしろよー?)
秋雨の言葉が頭の中に送られてくる。
優は舌打ちする。
「これは俺の訓練だったな」
「え?」
優が残忍な笑みを浮かべると空高く飛翔する。
「な…何を!?」
桃花が止めるよりも早く、優に行使術式方向が…圧倒的な力が収束されていく。
(桃花!回避行動!早く!)
秋雨の焦るような言葉を聞いたのは久しぶりだ。
桃花はそれを遠くで聞いているような気がした。
何とかしないとあの人はダメね。
そう思うと桃花は短距離空間跳躍して優の地上に向かって伸ばしている手の先に現出する。
「邪魔だぜ?」
制御工程も完了している。あとは引き金を引くだけのようなものだった。
「残存する敵勢力のみならず、全ての住民に対しても危害を加えるような行使術式の発動は許可しません」
桃花が断言すると優はにやりと笑った。
「戦場にいるほうが悪い」
分かってもらえませんかね、と桃花は残念そうな顔をした。
「…守護者、優くんの行使術式方向を全て逆転させなさい」
「イエス、マスター」
桃花の命令に守護者が作業すると、優の行使術式が全て解除される。
ふわり、と優が落ちて行く様を見て桃花が悲しそうに手を伸ばす。
「なんでだよ…」
腕を掴まれて優が止められた、ことに対して抗議した。
「自分の力に溺れることは、あなたが人間だから…?」
「俺は行使者である前に人間だぜ」
「落ちて死ぬのも、人間ですしね。止めなければよかったです」
桃花が呟くと、仮想空間が解除される。
(お前ら…もういい。今日は終了)
秋雨がそれだけ言うと精神接続を解除してしまった。
桃花が着地すると優が手を乱暴に離した。
「ざけんなよ。なんだよお前。あのままやってれば三秒で任務達成だぜ」
「ざっと六百人、あなたがあの一撃で殺したであろう数です」
言われて優は難しそうな顔をして眉間に皺を寄せる。
「廃棄都市の厄介なところは意外と市民の数が多いところにあります。あなたの殲滅対象を自動追尾する射撃は…射線上にいる市民を巻き込む形で発動していたでしょう」
「運が悪いって諦めてもらうしかないだろ!」
優が叫ぶと秋雨がその様子を腕を組んで眺めていた。
「桃花、優。二人で模擬だ」
「はい」
桃花が返事をすると秋雨が部屋から出て行く。
「は?何で…」
優はやってられるか、と部屋を出て行こうとする。
「行使術式、射撃」
極限まで簡略化された行使術式は即効性で、起動準備など必要としていないのは知識で知っていたが、それは魔法と変わらない。
「ぬおっ!?」
優の頭を掠めるようにして射撃が放たれて壁に当たって霧散するが、封殺結界があるはずの壁が凹んでいる。直撃されれば確実に優は…死んでいただろう。
「何しやがる!」
優が振り返って桃花を睨もうとすると眉間に一発当たって上半身を仰け反らせる。
「痛いですか?」
「当たり前だ!」
優が力いっぱい抗議する。
「次、行きます」
優は反射的に身を屈めて部屋の中央まで移動する。桃花がそれをゆっくりとした動作で眺めていた。
「っ!」
優の眼前に桃花の上段蹴りが放たれる。首に直撃した瞬間、接点が爆発して優が吹き飛ばされる。行使術式、爆発を同時に繰り出している桃花の一撃は少女のそれとは思えないほどの衝撃だった。優が床を滑って転がっていく。
「行使術式、噴火」
桃花が優に向かって手を伸ばすと、炎の柱が優の足元から噴き出して優を空高く打ち上げた。守護者の防壁がなければ灰になっていただろう。
「行使術式…水槌」
膨大な水の塊が優に当たって地面に叩きつけられる。肺の中の空気が水圧で勝手に抜ける。反射もなにもあったものではなかった。理不尽に蹂躙される。
噴火と水槌が重なった瞬間、水蒸気爆発が発生して左右前後から優を衝撃が襲った。
キーンと耳鳴りがする。爆発音で耳が完全にイカれた…。
「まだです…行使術式…」
桃花は行使しようとして止めた。どさり…と煙の中で優が地面に叩きつけられてしばらく動かない。優がふらり、と両手で膝を抑えるようにして何とか上半身を支えながらなんとか立ち上がる優を見て、桃花は確信した。
口から血を吹き出して、床がぽとぽととその雫で赤く変色する。
恐らく…次で死ぬ。
桃花にとって生かすも殺すもどちらにせよ、それが正しいことであることは知っていた。
殺せば任務完了、生かせば優は成長してくれると思った。
「私はひどいことをしていると思いますか?」
優は揺れる視界と余りにも遠い桃花の声に集中した。そうしないと気を失ってしまいそうだ。
「…死んだらどうすんだよ」
歯を食いしばっていないと倒れてしまいそうだったが、何とか言葉を返す。
「死ぬ…死んだら終わり、です」
優は驚愕した。それが人に言う言葉なのだろうか…。いや、自分もそう思っていたからこそ、さっき地域殲滅行使術式を行使しようとしていたのではないだろうか…。
「ようやく気付きましたか?」
優は何も言い返せなくなった。
桃花の言わんとしている事が理解できた。
「ああ…いてぇな」
優はそう呟くと前のめりになって倒れそうになる。桃花は優に近付いて微笑むと、優は力尽きた。
「強すぎる力に惑わされてはいけないんです。強力だからこそ絶対に」
桃花は優を抱き締めると優の体から力が抜けて完全に桃花に覆いかぶさるようにして気を失った。
桃花は優を寝かせるとその頭を膝の上に乗せてやる。
「やり過ぎちゃいました…か」
「いい事だと思いますよ?」
守護者が機械的な口調ではなく、すんなりと答えた。
「レイシア様…宝具のふりなんてさせてごめんなさいね」
「かまわないよ。でも、この子は面白い子だと思うの」
少女の声の守護者は本当に興味深そうに言った。
「レイシア様もそう思います?」
「ええ、とっても」
桃花は何処となく同じ感情を保有しているその高位存在に親近感を覚えた。
「この子の制御系はたぶん…」
「なんです?」
桃花が尋ねると、レイシアはしばらく間を空ける。
「いえ、まだ確定的でないことは言わないようにするわ」
「確定、に的はありませんからねぇ」
桃花が呟くとレイシアがくすくすと笑う。
桃花は深追いせずに気にしないようにして優の髪を撫でてやる。
「うぁ…」
優が目を開く。
「頭が痛い…」
「そうですか…」
桃花は自分がしたことなので弁解することができないが、優が上半身を起こすと苦笑した。
「桃花、優、緊急招集だ」
秋雨が部屋に戻ってきて二人の様子を見て口を開いた。
「優くんは休養が必要なので私が単独で任務に」
「頼む、転送する」
「受信しました」
秋雨と桃花が短いやり取りをして、桃花が部屋を出て行く。
「ばいばい、優くん。また今度ね」
桃花が手を振って部屋を出て行く。
「優、寮に戻って安静にしておけよ」
秋雨もそれだけ言うとそのまま背を向けて出て行った。




