一章 三節 机上の行使術式
「私、がんばりますからっ!」
そう小さな身体で元気よく、笑顔で走っていく桃花を思い出して、優は屋上で寝返りを打った。いつもの習慣は身体から抜けない。午前の授業を自主休業していた優はまた寝返りを打つ。
弱さを隠し続けられる桃花はきっと、強いのだろう。
そんなコトを考えていた。
午前の授業が終了して教室に入ると、悟は桃花の席を指差す。
「今日も午後出勤ご苦労様です、社長。桃花ちゃん欠席みたいだぜ」
冗談半分で言われて、優はあんなことあったしな、と何となく納得していたし、クラスメートたちも昨日の今日だからと何も言わない。
教室には結局…戻らず、か。
アフターファイブになっても桃花は姿を見せず、優は担当の京と向かい合っていた。
「てっきりフケ込むと思ったんだが、どういう心境の変化だい?」
授業を淡々と受けて、十九時を回ったところで終了すると京が不気味なものを見るような目で優を尋ねる。
確かに優なら途中で抜け出してしまうこともするだろうが、今回はそうにも行かなかった。
「出席しないと命の危険性があるものでね」
「聞いたのかい、暗殺命令」
「一応」
優は正直に答えると、京はうなずいた。
「まぁそんなことよりも、寮に戻ってもやることねぇんすよ」
「若いのに何を言っとるんだ、お前は」
寂しい奴だ、と京が哀しそうに笑う。
その笑顔がなんとなく、桃花の笑顔と重なって優はふと尋ねた。
「桃ちゃんの失敗ってどうなるんすか?」
「失敗…ね。あれは桃花のせいじゃないと見解が出てるよ。本人はどう思ってるか知らないがね。まぁこの様子じゃ自分の責任だと思っているだろうね」
世界には…どうしようもないこともある。と言外に言っているような気がした。
「あの子がもし、失敗したと感じているなら、あの子は始めて失敗したことになる」
「そうなんスか。やっぱり桃ちゃんは初めて…」
桃花はスゴい奴なんですね、と言おうとして止めた。何十回も出撃していて、今回が始めての失敗なら確かにすごいのかもしれないが…桃花は決して強くはない。優はそれを目の当たりにしていたから、言えなかった。
「優、これは私の予感なんだが…お前はあの子と同じ世界に飛び込もうとしてるんじゃないのか?」
優は言われて、ハタと気付いた。自分があれだけ嫌がっていたアフターファイブに出席して、話を聞いていた。そして覚えることに熱中していたのも事実だった。
「誰かを守るための戦いに行くと?」
それを聞いて京はにやり、と意味深な笑みを浮かべる。
「また随分とキレイな言い方をするじゃないか。でも綺麗事ばかりじゃない、と言うのも勘付いているんだろう?」
「ええ、まぁ」
優は頷くと京は「そうかい」と呟く。
「教えてる人間が言うのもなんだけどね、私たちの技術は確かに世界革新を…社会基盤をそっくりひっくり返したよ。いいことがあれば悪いこともある。それが両極端に顕現し始めてる。私たちよりも若い世代のあんたらがどうするかは、あんたらが決めることだけどね、行使者の存在を完全に人間に納得させるのは不可能だよ」
蟠りは確かに存在していた。人間は行使者を恐れることもある。まるで天敵のように存在している行使者は、その意思で簡単に人を殺せるのだから…。
「高名な科学者が可能であると言えば、それは可能である。そして高名な科学者がそれは不可能であると言ったのならば、それは疑ったほうがいい」
優が小さな声で呟く。
窓を開けて、守護者をセットしたグローブを左手にはめる。
「行使術式、起動準備」
「準備完了」
優の言葉に守護者が答えた。
「飛翔」
「行使」
ふわり、と地面から両足が離れた。
「それを知ってるならこれも知ってるな?」
京は優の背中に言った。
「急速に発達した科学は…」
「魔法と区別がつかないってんだろ?」
優が遮ってその続きを口にすると、京がふっとわらう。
どちらもSF小説作家、アーサー・C・クラークの言葉だった。
「だからこそ俺は思うのさ。人間と行使者がいがみ合ったりとか、世界が矛盾で荒れていたとしても、それをできるだけ摩擦のない世界にしようとする桃花に賛同する」
「ひねくれもんが、どういう心境の変化なんだか…」
言われても優は不思議と頭に来ることは無かった。
「可能性の限界を測るには、不可能であるところまで行ってみるしかねぇだろ」
「やってみろ」
優は外へ飛び出した。
まっすぐ上空へ飛翔。
高く、どこまでも高く。
そして足元を見下ろすと、街がものすごく小さく見えた。
灯りが無理やり押し込められているような世界を見下ろす。
「桃ちゃんも空でこういうの見てるのかな?」
「イエス」
律儀に守護者が答える。
「矛盾を矛盾で相殺する。行使者はそれが可能だ」
「そのようですね」
「なら、まず桃ちゃんの矛盾を解明しようか」
行使者は科学者である。
科学者は事象の究明を求める。
だからこそ優はそう思った。
「可能である限り、助力しますよ。マスター」
「よろしい」
優が答えると、守護者がきらり、と光った。
笑いながら、泣きながら…彼女は辛い思いを一人で抱える。
その重みで彼女が崩れてしまう前に、壊れてしまう前に…。
救ってやらなければならない。
優は泣きながら微笑みを浮かべようとする桃花が忘れられなかった。
行使術式、と呼ばれる世界根源の規定を改変実行させる行使者は、その効果を発生させるのに得意作業が存在する。
またその作業を円滑に進める速度や効果範囲など、さまざまな要因から改変できる世界に干渉する能力によって世界行使術式機構(WPO)によって階級分け(アスライズ)されている。
アフターファイブに入った優はさまざまな技術的な根幹である知識を叩き込まれていた。
「魔法っていうと、女の子とかが、ばしばしやったりとか、クソ長い呪文みたいの喋るイメージがあったんだけどさ」
「そんな無意味で視聴者を喜ばすような作業は殺し合いにいるとおもうか?」
京の姐さんは腕を組んでため息を吐いた。
「ロマンはいるだろ」
「いらん。コスチュームなら制服で十分だ。ちなみにくそ遅い詠唱時間をぺらぺら喋っている間があったら近代兵器のほうが殲滅速度は上がる」
ごもっともで…と優はため息を吐く。
「基本戦術に関してもそうだが、接近戦に入る前に砲撃を行う。そんなもので死ぬようなら相手は格下だと思えばいい。問題は接近戦、中間距離での戦闘になる。お前の志望する、軍及び治安機関ないし世界行使術式機構(WPO)の前衛的抑止部隊は戦闘がメインになる」
「それなんだけど、どうして砲撃戦闘で仕事が終わるんだ?戦争は制圧して終了するもんだ」
「制圧するものをぶっ飛ばすからだよ。基本的に対象は人、ないし道具であって場所ではない。私たちは戦争をしているのだが、実のところ宝具の確保か対象の捕縛がメインになる」
京に言われてなるほど、と優は納得した。確かに危険なものはぶっ壊す、危険人物なら抹殺する。そうすれば制圧の必要性はない。
「砲撃戦なんてのはな、くそくらえ、だ。あんなもの回避すればいい」
「言ってくれるぜ」
京らしい発言に優は項垂れる。
二日目、最初に行われた模擬戦闘は学園上空に封殺結界を行使して、周囲に影響が出ない形で行われたが、あの雨嵐のような弾幕の全てを回避することは人間の反射神経では不可能だ。
秒間二十八発のスプレーミサイルランチャー四基の前に立っているのと同じ状況、という仮想訓練だ、と京は楽しげに砲撃を開始。優は二秒で撃墜された。
「さっきみたいなのは絶対に回避不能だっての」
思い出しても吐き気がする。全身がびりびりと熱いし、制服はぼろぼろになっていた。
「絶対はない。回避行動は大きく分けて六つだ。機動力に任せて避けるタイプが桃花だな。あいつは元々偵察型行使者で訓練を受けていたからね。感覚神経増大や走査系行使術式に長けてる」
「あの火力を保有してか?」
見せられた戦闘映像を思い出して優はうんざりする。
「まぁ…あの子は攻撃されたらその数十倍の火力を相手に叩きつけるからな。一時期、偵察形(笑)の桃花さんは圧倒的な火力を保有していますね。なんて週刊誌に書かれたくらいだ」
「笑い、で済ませるのかよ」
「しょうがないだろう。偵察とか何とか言う前にあの子は見敵必殺の状況下で常に身をおいていたからな」
「へぇ…」
人の過去は模索しない。だから模索されたくない。
優は聞き流すと、京はにやりと笑う。
「行使者の戦闘は、短期決戦だ。すれ違ったらどっちかが落ちる。絶対的な虚数と虚数のぶつかり合いだ。ためらいはいらない。下手糞な呪文だとか、イミテーションに過ぎない衣装、振り回すだけの魔法杖はいらん」
「あんたは世界中の何かを敵に回すタイプだ」
「敵は潰す、それでいい」
「…」
人の形をした何かを感じて優は何も言えなくなる。
「とは言え、形骸化されていないものも確かに存在する。行使術式は世界に干渉するものだ。そのきっかけとして、武器のようなものを保有して自分の行使術式を世界に干渉させやすいようにするのなら話は別だ。メルティアルの大剣とかがそうだな。私の知ってるのだと大型狙撃銃を左手一本で振り回す奴もいる」
「近代兵器と行使術式を組み合わせた…さくら姉か?」
「あれは特別だよ。あの子は近代兵器だろうと何だろうと使いこなす」
世の中、化け物のような力を持っている連中が多くなった。
「人間が、行使術式を自在に操る行使者を嫌う理由がわかったぜ。同じ行使者だって自分より上位の行使者に畏怖するからな。人間からみたら神か何かにしか思えないぜ?」
「神、か。神こそ形骸化された思想だと思うがね。私たちは生まれたときは人間だった。行使術式など扱えなかった」
「人が人で無くなる瞬間は確かに存在するだろうよ。ただ、俺たちはその瞬間を越えてなお、人でいたいから人に依存するんじゃないのか?」
「哲学的でよくわからんな。お前の昔の話に何か関係があるのか?」
聞かれて優はそっぽを向く。
「あー、いい天気だ」
あまりにもわざとらしくて、京は何も聞く気がなくなった。
絶対に喋られない、優が頑なに口を閉ざすならば聞き出すときは殺し合いになる。
それはまだ望まれてはいないことだ。優の固有行使術式を解析後殺すならまだしも、それが世界にとって善し悪しもわからないまま抹殺するのはもったいない。
「頼みがある」
「なんだ?」
優が真剣な顔をして京を見ているのに、京は不気味さを覚えた。いい加減な生徒が真剣な顔をしているときに限って、それはけっこう面倒だったり厄介だったりするのは教師生活を始めて思い知ったことの一つでもあった。
「この授業、アフターファイブの密度を上げてほしい」
「それは?」
「早く終わらせたい」
「お前の技量次第だな」
京が鼻で笑うと、優はうなずいた。
勉強、などというものは今まで一切興味がなかったし、行使術式に対して特別な思いがあったわけでもない。ただ、それを覚えることで自分が最も知りたいことがわかるような気がした。
「生きること、死ぬことは表裏一体なんかじゃない。それが基本だ」
京のアフターファイブが開始された…。
数十倍のペースだ。
京はそう思った。
吸収力は空っぽの頭に叩き込むのだから早いと思えばそれまでかもしれない。ただでさえ優は学習能力が一般教養も早かったのだから、それが大した問題でもないのかもしれないが、精神力がとても精細なものだった。
組み上げる行使術式はどれも芸術的で素早く、無駄がない。
ムリを言われてもそれに応えるのが教師だ。
優の提案した一日二時間のアフターファイブを二時間増やしてほしいと言われた。それに応じたところですぐに能力や理解が上がるわけでもないのだが、一度やってみてわかった。優は一般の人間よりもはるかに早い理解能力を持っていた。
テキストを読ませるわけでもなく、ノートに何かを記入するわけでもなく。彼はただ自分の発言を寝ているのか、起きているのかわからないが、ぼーっとしている間に理解していた。気持ち悪いほどの頭の回転の速さ。
四日目にしてほぼ全ての基礎修練を終了、桃花が無断欠席からアフターファイブに姿を現した。
五日目のアフターファイブ。
優と桃花は京がやって来るまで教室で待機している。
十五時四十分に学園の授業は終わり、十七時までだいぶ時間がある。この時間はアフターファイブに参加する生徒がその準備や気持ちの整理をつけるために設定されている時間らしい、と優は聞いていた。
「そう言えば、秋雨先生(秋雨の姐さん)が言ってたけど、特A行使者と天使旋律って呼び名があるよな?」
「はい?」
桃花が突然聞かれて首をかしげる。二人きりの教室なので会話がないと気まずい優の何となく発した言葉に桃花が笑顔で優を見た。
「私の固有行使術式の名称が天使旋律、でして…。異名や通り名みたいなものですね」
「うん、それで天使旋律ってどんな行使術式なんだ?」
「音…旋律だから指定対象地域発動型?」
「だめです、それは秘密ですよ」
桃花がくすくすと笑い、唇に人差し指を当てて「しー」と言った。
「…異名が付くくらいなら魔法省(JPM)の記憶中枢に記録されてるんじゃないのか?」
「さぁ、どうなんでしょうね。誰も知らないはずですよ。私以外は。だって観測されていないことなのですから」
「待てよ、観測されていない事実は記録されないのはわかるが、何でお前の行使術式が記録にないのに呼び名として残ったんだ?」
「秘密、です」
桃花はそれ以上取り合うつもりもないのか、そっぽを向いた。
「三日間、いろいろ考えました」
ふと桃花に言われて、優はうなずいた。
「迷ったのか?」
「いえ、私は飛び続けようと思います。私のために」
「その空に何があると思う?」
優に尋ねられて桃花は苦笑する。
「私の探し物はどこかにある気がするんです」
何を探しているのか。
優にはわからないが、桃花の慈善事業で空を飛んでいるわけではないのだろう。
むしろそっちのほうが人間らしくていいとも思えた。
純粋に誰かを守るために飛んで、戦って、そんなくそったれなバカ野郎はいつか落ちる。
むしろそういう連中は醜悪で気持ち悪い。
「そういえば優くん、アフターファイブ嫌ってたのにどうしてやる気になったんです?」
「さぁなぁ、なんだかよくわからないんだけどさ…、守られてる側にいるだけって俺は性に合わないらしい」
「嫌味っぽいですね」
桃花がふぅとため息を吐いた。
「知ってます?優くんの測定された行使術式の使用容量は私より大幅に高い値を示しています」
「そうみたいだな、でも固有行使術式は不明な状態だ」
「覚醒前の状態なら良くあることです。本来、固有行使術式を保有している行使者は初めに固有行使術式を展開させるんですけどね…。ソレは覚えていないのでしょう?」
「ああ、覚えてない」
優の断言に桃花はなるほどーと呟く。
「俺には固有行使術式がないとかいうオチは?」
「それも含めて調査中だと」
桃花が「わからないことだらけですね」とうんざりしている。
「おそらく、優くんの大きすぎる容量や固有行使術式が宝具に大して影響を与えているために、宝具が瓦解しているのではないでしょうか?」
「だとすると俺は一生立派な行使者って奴にはなれないな。宝具を扱って二流だろ?」
「そんなことないですよ。宝具を使うのが二流だなんて今の世界ではそうですけど、宝具は元々なくてもいいんです。行使術式を使えない人用に調整されたのが宝具なんですから」
あくまで人間が基本で世界が回っているのだから、と桃花が考えを訂正させる。




