夏休み明け
あのあと歩夢は走って逃げていった。肝心の寝床は提供されることなく、俺はほっぽり出された。つくづく食えん奴だ。またしても俺は行く宛を失ってしまった。ここまで来ると変な霊でも憑いているかもしれない。俺は体をくまなく触ってみた。付いていた、良かった。
「良くねぇよ!」
俺の華麗な一人ツッコミも観客がいなくては虚しいものだ。携帯の電池が切れてしまって、誰とも連絡が取れない。麗華辺りから何か連絡があったのかもしれないが。それを確かめる術はない。それから俺は二週間近く奔走する羽目になる。その時の話はまた別の機会にしよう。今はただ休みたい。あぁベッドにテレビ。夢のような生活が戻ってくる。嬉しさのあまり俺は数日の記憶を失くしている。そうだ、だからこの二週間を語れないのだ。そういうことだ。そういうことにしておこう。なんやかんやで夏休みは終了。俺の夢の寝床が返ってくる。それだけは忘れてない。
「帰ってきた…私は帰ってきたぞぉ!」
俺は雄叫びを上げる。この夏休みはいろんな問題に巻き込まれてしまった。それも今日で終わり。学校では衣食住が完備されている。特に住の存在は大きい。人の家にお邪魔するのは気が滅入るのだ。いや、そんな繊細な神経を俺は持ち合わせてなどいないが。しかし、どうしよう。雄叫びを上げたは良いが、始業式は始まってしまっている。
「途中で入るのは注目されるからなぁ」
俺はとりあえず寮に戻って風呂にでも入ってさっぱりしよう。うん、我ながら名案である。
俺は寮に行ってから教室で合流することにした。
教室に入った俺には海里と美紗が出迎えてくれた。
「ゆ、遊離。その、おはよう」
「遊離。おはようとでも言っておこうか」
出迎えなのか。美紗が何かの影響を色濃く受けているように思う。海里はいつもどおりに見えるが。目が、体の芯が座っている。やっぱり今まで何かしら我慢していたのかもしれない。
「おはようさん。可愛い娘に出迎えられて俺は幸せだよ」
俺はいつもどおり軽口を叩く。
少し深く関わったからといって俺は何も変わらない。変われない。
海里が焦ったように俺の口元を抑える。一体何のつもりだろう。
「それは言っちゃダメ。卒業までは、というか書類上で僕は男だから」
耳元で囁かれる。端から見たら海里と抱き合っているように見えなくもない。
隣にいる美紗が頬を膨らませている。これはこれで珍しい反応だ。
「そうなのか。悪い悪い。じゃあ、今まで通りに接すれば良いんだな」
俺も海里の耳元で囁く。海里の顔が紅潮する様が面白い。やり返す精神は忘れてはいけない。
今まで散々やられてきた俺が言っても説得力の欠片もない。海里はモジモジとしている。
もよおしたのか。どっちのトイレに行くんだろう。気になる。
「今まで、通り…。」
何故か歯切れが悪い。一体どうしたんだろう。心配になる。
「大丈夫か。調子が悪いなら、保健室にでも。なんだかんだであの保険医の腕は確かだぞ」
「今まで通りなんて、嫌…。僕は、遊離の前では女の子でいたいんだ」
拳を胸の前で握りしめて海里は言った。あまりの迫力に圧されてしまう。
美紗は何事かと驚いている。声は聞こえていないようだ。これも何らかの魔法か。
「あぁ、分かった」
俺はそう言っていた。これ以外にどう返して良いのか分からない。
「海里とばっかり話してる。ずるい」
そう言って美紗が俺に抱きつく。首に腕がいい具合に入って落ちそうになる。
しかし、幸せな感触があるので無碍に払えない。このまま、死ぬのかな。俺は光を見た。
「そい!」
ゴスっと股間に衝撃が走る。俺はただでさえ朦朧とした意識が途絶えた。股間を押さえて悶絶する。だが、俺は男の子。不意打ち如きでは落ちない。途絶えかけた意識が鮮明になる。
「てめぇ、何しやがる」
振り向き様に胸倉を掴む。しかし、持ち上げた体の主はよく見知った人物だった。
「ぽっ///」
「そ、空! 悪い」
俺は掴んでいた手をすぐ下げる。そこには怪しい笑みの空がいた。一体なんだってんだ。
「遊離の匂いがしたから来た」
うん、この娘は掴み所がない。いや、胸は掴めるどころか取りこぼしそうだが。
そんな思考を読まれたか。空が胸を強調させ、恥ずかしがっている。
「そ、そんなに見たらダメ」
そう言いつつ見せつけるようにする仕草が相反して、エロい。
「何見てるんですか」
先ほど地面に振り落とされた美紗が怒った表情で目を突いた。
「目が、目があぁあぁあぁあぁ」
第二関節ぐらいまで入ったぞ。限度ってものを知らないのか、この娘は。
俺は膝をつき、眼球を抑える。今までにないくらい液体が流れる。水晶体が破裂したのかもしれない。
「ちょっと遊離。大丈夫」
海里が心配してくれている。やはり、この娘が救いだ。
「遊離に酷いことするな」
「大丈夫です。責任は私が取ります」
空と美紗の口論が聞こえる。美紗はヤンデレタイプだったのか。俺は回復した目で二人を見据える。ちょうど美紗が先ほど突き立てた指を舐めとっていた。
「これが、本当のヤンデレなのか」
脊髄がゾクゾクとする。意外に悪くないと思える自分が怖い。
「ちょっと、どいてくれない」
その時、聞き慣れた声がした。どうやら俺達が出入り口を塞いでしまっていたようだ。
「あぁ、悪い悪い。空は自分のクラスに戻れよ」
俺は解散を促す。空はしぶしぶといった感じで帰っていった。しかし、先ほどの空の蹴りは何だったのだろう。嫉妬か、それともそれを理由に介護を申し出るつもりだったのか。ひとまず怪我するようなことはさせないようにしないとな。俺は達観していた。
「理事長。おはようございます」
「麗華様。おはようございます」
海里と美紗が挨拶をする。さっき入ってきたのは麗華だったようだ。
まぁ声で気付けてはいたが。俺も遅れたが挨拶を返す。
「おはよう麗華。お前のせいで散々な目にあったぞ」
俺は愚痴を漏らす。そう確かに俺の注意不足ではあったが、閉寮の際どうするかを聞かされていなかったのだ。どこにも頼りにできる人がいないのだから、少しばかり気を掛けて欲しい。少しぐらいね。しかし、そんな言葉に麗華は苛立ちを感じているようだ。
「そうね。それは悪かったわ。ごめんなさい」
麗華は足早に自分の席に着いた。何かあったのだろうか。凄く切羽詰っているように見て取れる。この夏休みに何かあったのだろうか。俺は授業の間その事ばかりが気になっていた。




