夏休み(空編)
海里の屋敷を出たは良いが、相変わらず行く宛はなかった。
自分が何度も同じ轍を踏んでいることが情けない。こんな思いも三歩進めば忘れてしまう。
一、二、三。あれ、俺って何考えてたっけ。見事な鳥頭だった。
「これからどうするよ。やっぱり、公園探すか」
俺は周りを見渡すが公園はなく、山ばかりだった。
山はとても大きい。この山の前では人も蟻も変わらないだろうと感慨深くなる。
そんな山を見つめていると、ピョンピョン飛んでいる影があった。
「なんだ、あれ」
俺はその様子を目を奪われていた。すると、その影は獲物を見つけたかのようにどんどん俺の方に近づいてきた。
「やべぇ、狙われてる?」
俺は逃げ出そうと走ったが、影に前方に取られてしまった。俺は地面に倒れ、死んだふりをした。見事な死体と化した。獣に狙われたら、こうするのが正しいはずだ。しかし、死んだものも食べるので無駄だとも言われている。どっちが正解かは分からん。
「やっぱり遊離だ」
その声には聞き覚えがあった。俺を知ってる奴か。そう思って、目の前の影を見た。
「ちゃお」
長髪で凛とした顔。カモシカのように美しい肢体。名取空が目の前に立っていた。
「なんだ、空か。俺はてっきり未知の生物かと思ったぞ」
「それで死んだふりしてたのか。ユニーク。」
ぷぷぷと笑う。俺は自分があられもない格好をしていたのに気づき、恥ずかしくなった。
「ところでなんで山をピョンピョン跳ねてたんだ。そして、どうしてこっちに来た」
二つの疑問をぶつける。まぁ妥当なところだよね。
「買い物の帰りで近道を通ってた。そしたら、遊離の声がしたから来た」
空が簡潔に答えた。声が聞こえたってマジかよ。二キロぐらい離れてただろ。超人かよ。
俺は少し後ずさる。それにしても結構久しぶりだな。やっぱりクラスが違うと会う機会も少ないのかな。そう考えると他にも面白い奴がいるのかもしれない。自身の交流関係の狭さに嫌気がさす。
「まぁここで会ったのも何かの縁だ。俺をお前の家に泊めてくれ」
ダメ元で頼んでみた。空はきょとんとした表情を浮かべている。もしもーし聞こえてますかーと手を空の顔の前で振る。しばらくフリーズしていたが、急に俺の目の前まで寄ってきた。
「いいよ!いいさ!いいとも!」
食い入るように空は俺に返事をした。お、おう…急にどうしたんだと心配になる。
歓迎されているようだった。こりゃあ長居出来そうだ。俺はホッと胸を撫で下ろす。
「ところで、空の家ってどのへん。このへんにあるんだろ」
俺は色々トラブルに巻き込まれていて体中痛かった。できるだけ歩きたくない。そんな淡い希望は見事に打ち砕かれる。
「山を二つ越えたところにあるよ」
空は非情にもそう言い放った。山ってこの山か。大きい。俺にはとても越えられそうにない。
「空、やっぱり俺…」
断ろうと声を掛けると空が泣きそうな顔をしていた。女の涙には勝てない。
「あはははは、ちょうど運動したいと思っていたんだよ」
今すぐ倒れてもおかしくはないが、そこはどうにかもってくれるだろう。頑張って、俺の体!
「じゃあ、行くよ」
そう言って空は凄まじい跳躍と共に山に消えていった。俺もその後を追って山に入って行った。
まだ体は完治しておらず、疲労は限界値を突破していた。それでも俺が意識を保っていられたのはただ女の子の涙を見たくないという一心だった。
「つ、着いた…」
山の途中にあるその家は時代劇に出てくる団子屋のような家だった。そう例えるならば俺はさしずめ旅人と言ったところか。この汚らしい風体では旅人に失礼だった。
「ただいま。友達を連れてきた」
そう言う空は家の扉を開けるなりそう言った。さすがに一人暮らしをしているのではないらしい。いや、空ならば一人のサバイバル生活をやってのけるだろうが。
「おかえり。珍しいね」
優しげな声がする。俺は中を覗くと人のよさそうなお婆ちゃんが出てきた。
空の祖母だろうか。ひとまず紹介されたので挨拶をしておく。
「空の学校の友達の不知火遊離です。しばらくの間お世話になります」
俺としてはかなりまともに挨拶出来た方ではないか。下手に小ネタを挟んでも、このお婆さんがリアクションをくれるとも思えないと思ったからだ。
「とも…だち…。はぁそうかい。珍しいこともあるもんだね。空の彼氏さんかえ」
お婆ちゃんが嬉々としている。どうやら、この家にお呼ばれされることは珍しいことらしい。
「ポッ…///」
空が赤くなっていた。口でそんな事言わないの。
「あははは、空とはまだそんな関係じゃありませんよ」
俺は答えた。下手に違うと否定すると空が悲しむから少し含みを持たせてあげる。
これも優しさか。いや、甘えか。
「彼氏じゃない。夫」
空が断言していた。見事に優しさに浸け込まれていた。
「早くひ孫の顔が見たいのぉ」
お婆ちゃんもノッてきやがった。おいおい、大事な孫を初対面の男にあげるなよ。
「お婆ちゃん。遊離はこの家を愛の巣にしたいんだって」
空は追い打ちをかける。やめなさい、お婆ちゃんが信じちゃうでしょ。
「構わないよ。空いてる部屋は好きに使いなさい」
本当に孫が増えたみたいだよとお婆ちゃんは言う。俺はその言葉が素直に嬉しい。血は繋がらずとも家族が増える喜びを知った。まぁ最初はおっさんだったが。
「では遠慮なく」
俺はいつもの軽い調子に戻った。下手に畏まるのは失礼だろう、家族にはさ。
「まずはお風呂に入ったほうが良い。臭い」
ズバッと空は言った。そんなに臭うだろうか。
俺は体を嗅いでみた。使いすぎた雑巾のような臭いがしたた。
「お風呂ならもう湧いてるから。一番どうぞ」
そうお婆ちゃんが薦めてくれたので俺は遠慮なく頂いた。
「ふぅ」
俺は湯船に浸かった。もちろん入る前に体を綺麗にした。俺はそんな礼儀知らずではない。厳しかった刑務所生活を思い出していた。よくおっさんに怒られたものだ。
俺は思い出に耽っていた。やべぇ、眠りそうや。俺は逆上せる前に風呂から上がることにした。
「もうダメだぁ」
洗面所に出ると空がいた。こりゃまたベストタイミングだね。俺は自分で自分を褒めたくなる。と言っても全裸なのは俺だった。
「キャー!」
男の悲鳴が上がる。全然色っぽくない。
「遊離。その、男の人のはお父さんのくらいしか見てないけど…すごく大きい」
空は俺のぶら下がっているものを凝視しながら言う。どうやらこっちも血色が良くなってしまったようだ。
「女の子がそう言うこと言っちゃいけません」
俺は注意しながら用意してくれていたバスタオルを巻いた。
「ごめん。リンスが切れてるころだと思って」
そう言う空の手にはリンスの換えが握られていた。確かに俺が使った時はポンプを押してもカシュカシュと音を立てるだけだった。リンスで色々遊ぼうと思ってたのに。男なら憧れる夢のシチュエーションの予行練習だからな。ある意味義務だ。
「ひとまず体を拭きたいから外に出てもらえないか」
俺はお願いした。このまま空の無垢な瞳で見られたら、色々反応してしまいそうだ。
「分かった。あとバスタオルが浮いてる」
空はその一言を言って出ていった。既に遅かったようだ。
俺が上がると空がお風呂に入っていった。風呂あがりに何か飲みたいなとお婆ちゃんを探していると玄関から暗い顔をしたお婆ちゃんが入ってきた。
「あぁ、どうだったかね。良い湯かげんだったかね」
その表情を隠そうとお婆ちゃんはすぐ笑顔になって言った。俺はその表情を見逃さなかった。
「えぇ、いい湯加減だったよ。それより何かあったんですか」
俺は尋ねた。お婆ちゃんは手にした郵便物を見ながら、言うか言うまいか考えているようだった。
「空の友達だからねぇ。知っておいて貰った方が良いかもね」
そう言ったお婆ちゃんはとても悲しそうな顔をしていた。




